第5話 孤独




 荒野にできた小さな泉の脇で、アレンは膝をつき、その水面を見つめていた。湧き上がる水は透明で、揺らめく陽光を受けて煌めいている。ほんの数時間前まで、ここは人間を寄せ付けない不毛の大地だった。だが、いま彼の錬金術によって、命の源である水が生まれ、湿った土は生命の息吹を宿し始めている。


「よし……まずは仮の拠点を作らないとな。」

 アレンは低く呟く。

 この泉を中心に、まずは小さな集落の雛形を作ろう。人間の生活に必要なのは水と食糧、そして安全な寝床だ。グリモワールの記述によれば、空気中から有機物を錬成して食糧を模倣できなくはないが、味や栄養価は限られる。長期的には農作物を栽培し、畜産や狩猟で補う必要がある。


 彼は魔力カプセルを一つ取り出し、腕を掲げる。カプセルを媒介に空気中の元素を操作すれば、必要な素材を無限に錬成可能だ。いくつかのレシピを思い描き、まずは簡素な住居の建材となる木材を錬成する。自然界に木々はほとんどないが、記憶にある樹種を思い浮かべ、魔力を通せば分子構成が組み立てられる。

 淡い光が渦を巻き、荒野の一角にパッと一枚の厚い木板が出現した。それを続けて複数枚生成し、積み重ねる。さらに簡易な柱や梁となる部材も創り出す。まるで神業だ。幾度もグリモワールの術式を組み替え、次々と建材を“創造”していく。


「これなら一日で村ひとつ作れるかもしれないな……」

 アレンは苦笑めいた笑みを浮かべる。かつて勇者パーティーの一員として物資に苦労し、夜なべして素材を探し回った自分が、今では何もない荒野から素材を錬成できる。皮肉なものだ。裏切られ、踏みにじられた結果、得た力は圧倒的で、そして痛快でもあった。


 とりあえず小さな物置小屋を組み立て、水辺には簡易な囲いを作る。空気から織物用の繊維を生み出し、粗末だが布を織って簡易ベッドを錬成する。乾燥地帯で強風が吹くので、風除けの土壁も立てる。手際はまだぎこちないが、それでも半日も経たないうちに、辺境の荒地に「人が暮らせる拠点」が出現し始めた。


 夕暮れが近づく頃、アレンは額の汗を拭った。魔力を多用すると精神的疲労が溜まるが、グリモワールの知識を活用すれば効率的な魔力循環法もある。休みながら作業を続け、試行錯誤しながら少しずつ拠点整備を進める。飲み水も豊富で、乾パン状の簡易食糧も錬成できた。味は淡泊だが、飢えることはない。


「さて、次は種子だ。農耕を始めよう。」

 彼はグリモワールを開き、農業に適した作物や薬草を思い浮かべる。王都時代、薬草採取に苦労した記憶がある。自分で栽培できれば、回復薬や特効薬の原料が手元に揃うのだ。魔力カプセルを使って以前採取したことのある薬草の成分を思い出し、複合的に錬成する。何度か失敗し、奇妙な臭いのする塊ができてしまうが、試行錯誤の末に生命力のある種子を錬成することに成功した。


「これを湿った土壌に播けば……」

 指先で小さな穴を開け、種を落とし、錬成水をかける。少し待つと、緑色の芽がひょっこり顔を出す。この地には本来存在しないはずの生命。それが、彼の手で生まれた。

 後は日照と水分管理、魔力による成長促進もできるだろう。あらゆるものを生み出せるなら、作物の成熟を速めることも不可能ではない。


 その時、遠方からざわめくような気配が届いた。アレンは眉をひそめる。辺境の荒野には人がいないはず――いや、先ほど盗賊が出たくらいだから、周辺には漂流者や難民が潜んでいる可能性は大いにある。自分が整備した泉や建物を見れば、資源を狙いにくる連中もいるだろう。


「構わないさ、来るなら来い。俺はもう支配する側だ。」

 彼は冷笑する。以前の弱々しい自分ではない。盗賊など一撃で蹴散らせるし、人々が必要なら利用すればいい。この新生地帯を富ませるには労働力が欲しいし、人々が集まれば経済が回り、国が形成される。その過程で裏切り者どもがすり寄ってくれば、条件を突きつけ従わせてやるだけだ。


 時間が経ち、薄紫の夕焼けが荒野を染めていく。風が少し冷たくなり、アレンは火の気が欲しくなった。魔力で薪を錬成し、火打ち石を錬成して火を起こす。小さな焚き火の炎が、彼が組み上げた簡易小屋の木壁を揺らめく影で彩る。


 ふと、遠くで悲鳴のような声が風に乗って聞こえる気がした。

 アレンは立ち上がり、目を凝らす。荒野の彼方、吹き曝しの地平線の向こう側から、数人の人影が歩いてくるようだ。身体をよく見るとボロボロの服を纏い、荷車も満足に持たない、まさしく難民のような一団だ。男数人と女が二人、子どもの姿も混ざっている。どうやら魔物か他国との戦火を逃れてきたのだろうか。


 彼らは、アレンの作った泉を見つけて目を疑うように立ち止まる。普通、この辺境に水場などあるはずがない。再び叫び声――どうやら驚喜と不安が混じった叫びだ。彼らはゆっくりと近づいてくる。中には足を引きずる者もいれば、栄養失調でやせ細った赤子を抱える者もいた。


「はっ、早かったな……」

 アレンは呟く。

 まだ国家形成の最初の一歩を踏み出したばかりなのに、既に“客”が来た。彼らは望むなら水を求めてくるだろう。だが、アレンは慈善家ではない。利用価値があるなら保護し、働かせ、社会を動かす歯車にしてやる。もちろん、暴力的なら排除するが、この様子では刃向かう元気などないだろう。


 不安げに近寄ってくる難民たちは、アレンの姿を見て足を止める。痩せた男が声を震わせて尋ねた。

「すみません……こ、ここは、いったい? 水が……水があるんですか……?」

 その目には必死の光があった。飢えや乾きに耐え、ようやく救いの手を求めるかのような眼差しだ。


 アレンは冷然と答える。

「ここは俺の領地だ。まだ名前すらないが、ここで俺は新しい国を創るつもりだ。」

 一同が目を見開く。この何もない荒野に国を創る? 正気を疑う表情だが、彼らは水辺と小屋と焚き火という確かな現実を前に、黙り込むしかない。


 アレンは続ける。

「お前たち、行く当てがないんだろう? 水が欲しいなら飲めばいい。だが代わりに、ここで働いてもらうぞ。俺は資源を生み出せる。農作物も、道具も、武器も――」

 その言葉に、人々は一瞬戸惑う。だが生存の危機に瀕した者たちに選択肢は多くない。水がある、食糧もあるかもしれない、こんな奇跡的な場所から逃げる意味がない。


 痩せた男が震える声で答える。

「わ、わかりました……働きます。何でもします……ただ、この子たちと妻を、どうか……」

 男の背後では、衰弱した母親が赤子をあやしている。女の一人は足に大きな腫瘍ができ、歩くたびに痛みを堪えているようだ。

 アレンは鼻で笑う。ずいぶんと惨めな集団だが、逆に言えばいくらでも従順に働くだろう。何せ彼らにはここ以外に安全な場所がないのだから。


「いいだろう。安心しろ、ここなら水も薬もある。」

 アレンは錬成で生み出した清水を陶器の壺(もちろんこれも錬成品)に注いで差し出す。人々は目を潤ませ、口々に感謝の言葉を呟く。

 突然現れた謎の錬金術師が、荒野で奇跡を生んでいると知れば、噂は広まるだろう。難民が一人、二人と増えていくかもしれない。だが、構わない。彼らを人手として用い、農耕や建築を任せ、豊かな村をつくる。そのための基盤は既にある。


 アレンは治療用ハーブを錬成し、腫瘍のある女へ与える。幼子には滋養のある液体食品を錬成する。これで彼らの忠誠を得られるはずだ。

「ただし、忘れるな。ここでは俺が絶対だ。裏切れば、遠慮なく叩き潰す。」

 淡々と告げる。その冷たい響きに、一同は一瞬強張る。だが、生き延びるには彼の庇護が不可欠だ。全員が「わかりました」と小さく頭を下げた。


「いい子だ。それじゃあ、あそこの小屋を仮住まいに使え。明日は農地の拡張を手伝ってもらう。」

 アレンは指示を下し、難民たちは感謝と畏怖が混じった表情で小屋へと向かう。疲労が限界の彼らは、清らかな水を一杯飲むだけで命を繋ぎとめられることに歓喜していた。


 焚き火の前で一人になったアレンは、グリモワールを開き、新たな計画を練る。人が集まれば領土は拡大する。やがて交易路を整え、他国の商人を呼び込み、さらなる繁栄を築けるだろう。

 もちろん、王国や勇者がこの動きを無視するはずがない。いずれ干渉してくるはずだ。その時こそ、彼は条件をつきつけ、かつての仕打ちを思い知らせる。もう物資不足に苦しむこともない。武具も兵器も思いのままだ。


「ここはまだ荒野のただの水場。でも、いずれは都市になる……いや、王国だ。錬金王国。いい響きじゃないか。」

 彼は低い笑い声を漏らした。ほとんど狂気に近いほどの自信と欲望が膨れ上がる。だが、それは正当な報復だ。裏切られた弱者が、圧倒的な創造力で世界を塗り替える。それだけのこと。


 夜空には星が瞬き、荒野の風がさらさらと小屋の壁を撫でる。

 以前のアレンなら、この静寂は不安を増幅したかもしれない。だが今、彼は孤独であることを恐れない。孤独は自由であり、創造の源泉だ。自分で世界を作るという圧倒的な権能を得た今、何も怖いものなどない。


「明日はさらに農地を拡張し、道具も増やそう。家畜代わりの魔物を飼育することも不可能じゃない。いずれ、商隊を呼び、この地を市場に変える。誰もがここに来れば財と命が得られる場所……」

 想像は止まらない。アレンは焚き火に手をかざし、炎の揺らめく様を眺める。熱が彼の肌を暖め、唇に微笑が浮かぶ。


 ここから始まる物語は、純朴な善意ではない。屈辱と恨み、そしてその逆転から生まれた覇道だ。だが人々は豊かさを享受し、彼に従う限り、幸福になれるだろう。

 裏切った勇者たちが歯噛みする日が待ち遠しい。彼らがポーション欲しさに擦り寄り、領主となったアレンに頭を下げる光景を想像すると、胸が躍る。


「ふん、悪くないシナリオだ。待っていろよ……世界を牛耳ってやる。」


 こうしてアレンは、初めての臣民(難民たち)を手に入れ、辺境の一角に礎を築いた。夜風が冷ややかに吹きつけるが、彼の中では血が熱く滾っていた。

 王都での追放から始まったこの道は、まだ始まったばかりだ。




 

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