第3話 扉
砂と岩屑が崩れ落ちる裂け目の中、アレンは暗闇へと足を踏み入れた。地上の殺伐とした陽光が届かぬこの場所は、ひどく静かだった。たまに上方から入り込む風がヒュウ、と冷たい音を立て、まるで古代の亡霊が嘲笑しているかのように聞こえる。
下へと続く壊れかけの石段を慎重に降りると、幅の広い地下空間が姿を現した。崩れた柱、倒壊したアーチ状の天井、地面には石瓦の破片が散乱している。目を凝らせば、壁には奇妙な模様が彫り込まれていた。獣の頭を持つ人型や、不気味な文字列、錬金の象徴たる蒸留器や炉の絵……かつてここが錬金術に関連した遺跡であったことは、素人目にも明らかだった。
「ここは……一体何なんだ?」
声が反響する。恐ろしく静寂な空間だ。アレンは荷車を岩陰に隠し、懐中ランプ代わりの魔石ランタンに火を灯す。微かな青白い光が、埃まみれの壁面を照らし出した。
目を凝らすと、床には潰れたガラス瓶、剥がれ落ちた金属片が散らばっている。揮発した薬品の香りはもはや残っていないが、ここが錬金術の工房だったのだろう。人知れず、この地下で実験や研究が行われ、そして何かが起きて放棄された――。そんな物語が空気に染み付いているようだ。
アレンは鼓動を押さえる。
「チッ、まずは素材になりそうなものがないか……」
倒れた棚を覗き込み、錆びた金属ツールを掴み上げる。ピンセットか鋳型らしきものが砕けているが、もしかするとここにはまだ使える鉱石や薬草の化石的残骸があるかもしれない。
彼は必死だ。
追放され、盗賊に襲われ、何も得るものがないのでは笑い種だ。ここで“何か”を掴まなければ、立ち上がる術がないのだ。
その時、不意にランタンが揺れる。
地鳴り。いや、何かが動いた?
ゴトリ、と遠くで鈍い音がする。アレンは身を硬くする。暗闇の中、わずかな光で見る限り、この空間には彼以外に生物はいない……はずだった。しかし、人か魔物か、それとも古代の仕掛けか、確かに何かが今、動いた。
「……出てこいよ、脅しは通用しないぜ」
アレンは掠れた声で吐き捨てる。既に殺されかけ、追放された身。怖いものなど、そう多くはない。腰に差していたボロいナイフを握り、静かに歩を進める。
瓦礫を越えた先、半ば崩れたアーチの内側に、半円形の扉のようなものが埋まっている。銀灰色の金属板に奇怪な紋様が刻まれ、中央には掌大のくぼみがあった。
アレンは思わず唾を飲む。この扉が遺跡の中枢部への入り口なのだろうか? くぼみに何かを嵌め込めば開く仕掛けに見えるが、鍵など持っているわけがない。
「こいつを破壊するには……」
ナイフでこじ開けようとした瞬間、背後でガキリ、と金属音が鳴る。咄嗟に振り向くと、そこには身の丈二メートルを超える鉄塊が立っていた。全身錆び付いた甲冑のような姿、その両手には刃の代わりに奇妙な金属爪が生えている。その眼孔らしき穴からは、緑色の微光が揺れている。
「ゴーレム、かよ……」
遺跡の番人だろう。遠い昔、錬金術師たちが造り出した守護者。今なお動くとは驚きだが、アレンにとっては最悪の相手だ。ゴーレムは人間よりも圧倒的に頑丈で力が強く、まして錬金工房製なら魔力への耐性も高い。
ゴーレムが無言で腕を振り下ろしてくる。ギィ……金属が軋む音と共に、アレンはギリギリで横に跳ね退った。床石が粉砕され、破片が飛び散る。
「ちっ、やっかいだな!」
正面から戦えばまず勝ち目はない。アレンは素早く考える。ゴーレムが動いているということは、何かしら動力源があるはずだ。錬金術師として、素材や魔力駆動には多少の知識がある。狙うべきはコアか、関節部の錆びやすい部分だ。
だが手元にはナイフ程度しかない。いくら錬金術師といえど、今は使える道具が限られている。
目を凝らすと、ゴーレムの胸当て部分に奇妙な石がはまり込んでいる。淡い緑光を放つ魔力結晶……あれが心臓部か。あれを破壊すれば停止するかもしれない。
だがどうやって近づく? 正面から挑めば腕ごと叩き潰される。
アレンは荒野で盗賊を撃退した時と同様、即席の化学反応を狙う。床に散乱する瓦礫の中から、割れたガラスビンと錆びた薬ビンを拾い上げ、中身を確認する。
「これは……揮発性の金属粉末?」
腐敗して黒ずんだ粉末が残っていた。古代の試薬だろうか。衝撃で発火する性質があれば、爆発的な熱量を起こせるかもしれない。
ゴーレムが肩を回しながら再び突進してくる。まるで錆びた戦車だ。アレンはその足元へガラスビンを転がし、自身は反対側へ走り込む。ゴーレムがビンを踏み割ると、カシャン、と甲高い音。と同時に、パチパチと光る火花が散った。
「よし……!」
微小な爆炎がゴーレムの足元で弾け、金属脚を一瞬揺るがした。ダメージはわずかだが、バランスを崩させるには十分だ。ゴーレムがよろめいた一瞬を逃さず、アレンは背後に回り込み、膝裏あたりに残っていたナイフを叩き込む。無論、金属には効かないが、関節部に挟まった錆や汚れを掻き出し、わずかな隙間を広げる。
ガリガリと不快な音を立てながら、ゴーレムが動きを鈍くする。今だ――。
アレンは懐からもうひとつの小瓶を取り出した。王都で追放される前、僅かに確保していた高粘度オイルだ。これをコア付近にぶちまけ、ナイフで火花を起こせば、熱でコアを壊せるかもしれない。
鼻先に汗が滲む。ミスは許されない。
ゴーレムが右腕を振り回す。刃のような金属爪がアレンの袖を裂く。血が滲むが、気にしている余裕はない。
「これで、終われ!」
アレンはコア部分に手を伸ばし、オイルを塗布。そして石の壁にナイフを打ち付け火花を散らすと、一瞬の閃光が走る。
ボッという鈍い爆裂音、コアに亀裂が走り、緑光が瞬く。ゴーレムは痙攣するように腕を振り、ガクガクと震え、ついにその巨体を支えきれずに崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
アレンは荒い息を吐き、倒れたゴーレムを見下ろす。追放された錬金術師が、何とか工夫とわずかに残った道具で勝ち得た勝利だった。
「これでも……俺は ‘役立たず’ かよ……」
呟いて、震える手で前髪を掻き上げる。視界には銀灰色の扉がある。ゴーレムがここを守っていたということは、この先に何か重要なものがあるに違いない。錆びたコアの破片を拾い上げると、その中に小さな金属片がはまっていた。これは鍵……? それとも制御チップのようなものか。
アレンはコアの中から外れた金属片を扉のくぼみに当ててみる。ガチリと手応えがあり、歯車が噛み合うような音が響くと、扉がゆっくりと開いた。
扉の向こう側は、より狭い通路で、奇妙な光苔が壁を照らしている。ほのかな緑光が続く先、アレンは鼻孔をくすぐる甘い香りに気づく。魔力を帯びた空気が、そこに満ちている。
この奥に、アレンが求める秘宝があるのだろうか? 彼を見下した輩たちを再起不能なほど黙らせる力。死んだ土地を豊穣に変えられる錬金術の究極形態。もしそんなものがあるなら、今の彼には絶対に必要だ。
「行くしかない……」
ひび割れた唇を舐め、ゆっくりと歩き出す。痛む腕、散々な目にあったが、それでも前へ進むしかない。
薄暗い通路を抜け、その先に待つ未知の空間へ踏み込んだ時、かすかな鼓動音のような響きがアレンの耳を打った。まるで遙か昔の錬金術師が、この地でアレンを待っていたように、彼の胸に謎の昂揚が湧き上がる。
世界は残酷だが、彼は今、新たな運命に触れようとしている。
その運命が、錬金術師アレンを、ただの“使い捨て”から“大陸を揺るがす存在”へと塗り替えるための第一歩。
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