第2話 荒野へ堕ちる


王都の門を抜けた先、風が唸り、砂塵が頬を削る不毛の荒野が広がっていた。柔らかな緑も、優雅な噴水も、得意げな貴族たちの笑い声も、ここには一片たりとも存在しない。ただ死んだ土色の大地が、ずるずると遠くまで続くだけだ。


 アレンは安物のマントをぎこちなく首に巻き、身を縮めて進む。背後には、もう見えなくなった王都の白い城壁。その中で繰り広げられた屈辱の追放劇は、まだ血のように鮮烈な記憶として頭を焼き付いていた。


「……役立たず、か。」

 独り言が砂漠の風に千切られる。歯を食いしばり、拳を握るが、今は何もできない。後悔と怒りが渦を巻く中、焼け付くような太陽がじりじりと肌を焦がしてくる。かつてはパーティーの仲間たちを支えるため、昼夜を問わず薬草を煎じ、金属を溶かし、欠けた剣の刃を鍛え直し、貴重な素材を求め夜陰に紛れて魔物の棲み処に忍び込んだことさえあった。それが「お前は不要」と一蹴され、笑い者だ。悔しさが胃を焼く酸のように立ち上ってくる。


 だが、この苛立ちを誰にぶつける? 辺境へ向かう荒れ果てた小径には、乾いた草すら生えていない。アレンはわずかな食糧と道具を荷車に積んでいるが、それも微々たるものだ。こんな場所で倒れれば腐肉の匂いに誘われた scavenger(腐肉漁りの魔物)が啜りに来るだけだ。


 脚は棒のように重い。砂塵にかき乱される視界の中、アレンはやがて、風変わりな岩の陰を見つけた。そこは裂け目のように地面が割れ、巨大な岩塊が積み重なっている。

「休める場所は……あそこか」

 どこへ向かえばいいのかも分からないまま、ただ人目を避けるように身を隠す。砂ぼこりが肺を侵し、喉がひりつく。どこかに水はないのか。辺境とは聞いていたが、まるでこの世界が拒絶しているような不毛さだ。


 身を屈めて岩場の陰に腰を下ろす。

「俺は、本当に必要なかったのか?」

 吐き捨てるような自問が耳に響く。答えは出るはずもないが、思わず歯を鳴らす。守っていたつもりだった。影で支え、それが報われる日が来ると信じていた。それが、あの残酷な公開処刑にも似た追放――。


 視界の端で、何かが動いた。

 ヒュッ、と空を切る音。アレンは反射的に身を転がし、岩陰から離れる。その瞬間、さびた槍の先が、さっきまで彼の頭があった位置を突き刺していた。


「クックッ、こりゃ奇遇だねえ。こんな辺境に、ひとり旅とはどういう了見だ?」

 二人組の盗賊が、岩陰からぬっと姿を現す。着古した革鎧に、汚れた布頭巾。獣臭い笑いを浮かべ、アレンの荷車を舐めるように見ていた。

「おい、そいつ、さっき王都から追い出されたヤツじゃねえか? 見たぜ、ゴミみてえに捨てられてたなあ!」

 もう一人の盗賊が嘲笑混じりに叫ぶ。どうやら王都近くで様子を伺っていたのだろう。アレンは舌打ちをこらえる。追放劇を見ていた輩が、今度は辺境で待ち伏せをしていたらしい。


 立ち上がるアレンの両手は空だ。特別な武器を持たぬ彼に、成す術はあるか?

「おいおい、ビビってんじゃねえよ。ポーションでも売ってるクズ錬金術師か? 俺たちに全部寄こしな。さもなくば、この荒野で血抜きされてハイエナの餌だぜ」

 槍を持った男が唾を吐く。もう一人は小刀を構え、荷車へ一歩一歩と近づいてくる。


 何もかも踏みにじられるのか。この世には正義がないのか――。

 アレンは悔しさで眦を吊り上げた。心底追い詰められた彼は、わずかな手元の道具袋に手を伸ばす。そこには腐食しかけた薬草片や、壊れかけの小瓶がある程度だが、錬金術師としての経験が即座に判断を下す。


「……勝手にほざいてろ」

 アレンは怒りを抑えた低い声で言い捨て、薬草を急ぎ粉末状に潰し、僅かに残っていた高濃度アルコールの液体を染み込ませる。適当に砕いた鉱石片を混ぜ、即興で自作の刺激物を作り出す。

 盗賊が薄笑いを浮かべ、あと数歩で荷車に手が届く。今だ。アレンはそいつに向けてその粉末をばら撒く。


「な、なんだこれっ……ぐあっ、目が、目があああ!」

 盗賊は悲鳴をあげ、目を押さえて転げ回る。もう一人は驚愕して短剣を振り回したが、アレンは即座に岩陰を回り込み、足を払い、転倒させる。ずっと裏方でも、危険な素材採取で多少の格闘技術は身につけていた。それに、この程度の賊なら脅しに近い。


 男が唸りながら立ち上がろうとするが、アレンは荷車から刃こぼれしたナイフを掴み、その首筋に突きつけた。

「黙って消えろ。俺に構うな。次はもっと痛い目に遭わせる」

 怒りで震える声に押され、盗賊は青ざめて頷く。仲間が泣き喚きながら目を押さえて逃げていくのを見やり、そいつも尻餅をつきながら這うようにして退散した。


「チッ……」

 アレンはナイフを投げ捨て、乱れた呼吸を整える。追放された挙げ句、こんな連中に襲われるなど、まるで世界中が自分を嘲笑しているかのようだ。


 しかし、今は生き延びるしかない。

「どこかに……何か、手がかりになる場所はないのか」

 アレンは荒涼とした地形を見渡す。風が巻き上げる砂粒の向こう、奇妙な形をした石柱が立ち並ぶ地帯が目に入った。そこだけ地面に亀裂が走り、古代の建築物が朧気に覗いているようにも見える。


 ひび割れた大地の隙間に、何やら石造りの円柱群がある。崩れた石階段が半ば砂に埋もれているが、その先には洞窟か遺跡の入口のような暗がりが見えた。

「もしや……」

 手が震えた。未知の遺跡は得てして危険だが、同時に素材や秘宝が眠っていることもある。錬金術師として、アレンは過去に何度か古代の小規模遺構を探ったことがあった。そこに残されていた魔力鉱石や珍しい薬草が、勇者パーティーの資源になったのだ。


 今、必要なのは力だ。圧倒的な、誰にも否定させない力。あの裏切り者どもを黙らせる力。荒野で死ぬくらいなら、最後の賭けに出よう。

 アレンは荷車を引きずり、その地割れの中へと足を踏み入れた。吹き荒れる風音が不気味な低音を奏でている。

「もしこの中に、俺を変えてくれる何かがあるなら……俺は掴んでやる」

 額の汗を拭い、視線を前へ。絶望しかなかった現実の先に、小さな可能性が揺らめいている気がした。


 こうしてアレンは、荒野に埋もれた古代の遺跡へと足を踏み入れる。

 まだ誰も知らない。ここで見つかる秘宝が、世界の秩序を変え、錬金術師と呼ばれた一介の男を“錬金王”へと押し上げる運命の歯車になることを――。

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