第4話

諏実は、穏やかな眠りに落ちる寸前だった。風がやさしく吹き、耳の中で波の音が遠くから近づいてはまた遠くへと運ばれていく。クッキーの甘さとコーヒーのほろ苦さが、今も口の中に残っていた。体はすっかりリラックスし、目を閉じていた。


だが、突然、耳元でカモメの鳴き声が響く。高く、明るいその声は、穏やかな眠りを優しく引き寄せ、そしてまた、諏実の意識を少しだけ引き戻した。目を開けると、目の前には青い海と青い空が広がっていた。少しぼんやりとしていた視界が、カモメの声とともに次第に鮮明になり、彼女は心地よい空気を吸い込んだ。


周囲の景色は相変わらず穏やかで、風に揺れるシートや、ゆっくりと動く海の波が諏実を包み込んでいる。しかし、彼女はゆっくりと体を起こすと、ふと立ち上がり、シートの上で軽く伸びをした。やわらかな風が肩を撫でる。波が一層、近くで打ち寄せる音が聞こえ、足元の砂が軽く揺れる感触を感じながら、諏実は足を踏み出した。


海の向こうに広がる、果てしなく続く水面を眺めながら、ゆっくりと歩き始める。砂がサラサラと足の裏に感じられ、波の音が少しずつ大きくなってきた。カモメの鳴き声も遠くで響いていて、その音が心を落ち着けるように思えた。


しばらく歩くと、足元に波が届き始める。諏実はそのまま立ち止まり、波が足元を洗うのを感じた。波が少しずつ足元に寄せてきて、冷たい水が指先に触れると、ほんの少しだけ冷たさが広がる。けれど、それは心地よく、自然の一部として感じられた。


波が引いていくと、今度は再び少しの間を置いて、穏やかにまた波が近づいてくる。諏実はその波の先に足を差し出し、もう一度、水に触れる。波の冷たさが、足の甲から指先に広がり、心の中で何かが解けるような気がした。


「💝…」


諏実は小さくつぶやいた。波の感触、冷たい水、風、そして遠くのカモメの声。すべてが一つになって、今この瞬間に諏実を包み込んでいる。


波が再び引いていくと、彼女はその感触をしばらく手のひらで確かめるように、少し足を動かしながら、また波の引き際に立ち続けた。水は何度も諏実の足を洗い、そのたびに心が落ち着いていくようだった。海の中に、自分も溶け込んでいくような、不思議な感覚に包まれていた。


諏実は風に揺れる波の音と、カモメの声に耳を澄まし。波を触るたびに、心の中の蜃気楼か晴れてくれる気がした。世界がどこまでも広がっていて、その中で自分が小さな存在だとしても、それでもこの瞬間だけは、自分でいたいと、満たされていると感じた。

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