第3話

諏実はカップを持ち上げ、ゆっくりともう一口、コーヒーを口に含んだ。しばらく、手のひらで温かさを感じながら、波響音に耳を傾けている。海は静かに広がり、穏やかな風が髪を揺らす。太陽の光が柔らかく肌に触れ、その温もりが諏実の体全体を包み込むようだった。


海岸の砂は少し湿っていて、波が寄せるたびにほんのり湿った香りが漂ってくる。それに呼応するかのように、風が少し強くなり、シートの端を軽く揺らした。諏実はそれを気にすることなく、ゆっくりと目を閉じて深呼吸をした。空気は清々しく、新鮮で、何もかもが澄んでいるように感じられた。


バッグの中から、小さな袋に入れたクッキーを取り出すと、そっと袋を開け、ひとつ取り出して口に運んだ。サクサクとした食感が心地よく、甘さが広がった。その甘さとコーヒーの苦味が絶妙に絡み合った。


クッキーを食べながら、再び海を見つめた。波が寄せては返すその繰り返しに、時間の流れが不思議なほど緩やかで、まるで現実を忘れてしまいそうになる。遠くの方で、小さな白亜船が揺れているのが見え、その船の白い帆が風に揺れるたびに、海の青と空の青が一層深く見える。


諏実は、少しずつ目を細めた。ふわりと風が頬をなで、波音が耳に届く。たまに耳元でカモメの鳴き声が聞こえ、それもまた心地よいリズムとなって響いた。コーヒーの温かさ、クッキーの甘さ、そして自然の音。すべてが、今のこの瞬間だけの鮮度を感じさせてくれるようだった。


「なんだか、眠くなってきたな…」


彼女は軽くため息をつきながら、目を閉じた。しばらく静かに目を閉じていると、風の音、波の音が次第に自分の体を軽く浮かべる。時間が自分を置いていくことなく、そっとそばに寄り添っているようだった。あまりに穏やかで心地よい時間が流れていくので、諏実は思わず肩の力を抜いた。


気がつけば、目を開けるのが少し億劫に感じられるほど、心が静かに満たされていった。波の音と風の音が心の中でひとつのリズムを刻み、その音に合わせてまぶたがだんだんと重くなっていく。


「少しだけ…」


諏実はそのまま、海と空の境界線をぼんやりと眺めながら、静かな眠りに誘われていった。自然に身を任せるように、身体がリラックスして、心が休息の海に沈んでいく。世界が彼女を中心にゆっくりと回り続けているかのようだった。

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