夜をぶっ飛ばせ

序章 美形組長とイケメン若頭

　一

　四月に入ったばかりの日曜の夜。

　府道四六号線を、北上する五台の黒い車列があった。エスティマ、レクサス、クラウン、フーガ、その中央にひときわ輝くメルセデス・ベンツＳＬクラスが、山間を駆け抜ける。

「もう十一時過ぎじゃないか」

　ベンツの後部座席に深く身を沈めた、広域暴力団神姫会二次団体、釈光寺組組長、釈光寺一博は、優雅な手つきで葉巻をふかせていた。

　極上のスーツに身を包んだ釈光寺の体は細身だが、空手三段で、拳頭はごつい。大学時代、極真会館の全世界ウェイト制大会中量級での優勝経験が自慢だった。

　釈光寺は、心地よい疲れに支配され、車の振動に身を委ねていた。護衛の車とともに、茨木市の北の外れ、清阪にある釈光寺組本部事務所へ戻る途上である。ベンツの運転は、若頭の日向潤が自ら務めており、広い車内は二人きりの空間だった。

「予定よりだいぶ、時間が、遅くなっちまった。日向、オマエ、しつこ過ぎなんだよ」

　釈光寺はバックミラー越しに、日向の顔をにらんだ。

「そうですか？　組長」

　日向が鼻先で笑う。

「自分のほうが優位に立っているようなツラしやがって。確かに、オマエは二十九のオレより四つ年上だ。けど、組の中では、オレが〝親〟で、オマエは、あくまで〝子〟だ。二人きりの時といっても、立場をわきまえろ」

　口の中でぶつくさいう釈光寺に、日向の切れ長な目がすっと細くなった。

「疲れちまった。オレ、目の下に隈が出来てる」

　釈光寺は、江坂のマンションで、〝彼女〟の月子を待たせ、日向と二人で二時間あまり〝時〟を過ごした。

「ふふ。貴重なお時間を割いていただいて、申し訳ありません。本来なら、もう牧落の本家に着いて、ゆっくりされているところですからね」

日向の口調には、からかうような、気安さが滲んでいる。

「明日の朝早く、〝義理ごと〟で福井に行かなきゃならないのに。寝る時間が無くなってしまうだろ」

　釈光寺は、ことさら、不満げに低く呟いた。

「本郷組の親分の葬儀ですから、全国津津浦浦から親分衆が集まりますね」

　ヤクザは襲名披露や葬儀など祝儀、不祝儀を問わず、〝義理かけ〟を第一にしている。無理に時間の融通を付けてでも、遠方からトップ連中が大挙して集まってくる。

「明日が楽しみですね」

　日向の大きな背中が嬉しげである。

「日向も、義理ごとが好きだな。オレも、あの晴れがましさが、何とも言えねえんだけどさ」

　釈光寺組が二次団体に引き上げられ、神姫会内での貫目（格）も増しつつある今、義理場での扱いも十把一絡げではなくなった。それなりの〝座布団〟（格）に合った席が用意されている。釈光寺にとっても、上席を占める誇らしさが、たまらない。

「ここまで来た。もっともっと組を大きくしてやる」

　資金力と、政治的手腕が物を言う世界である。釈光寺は、己の頭脳で、今日の地位を勝ち取った。

「いわば〝弔問外交〟です。義理場ということで、普段はなかなか会えない親分衆も来ますから、釈光寺一博組長の顔を、全国に売るチャンスです」

　日向の言葉に、釈光寺は大きくうなずいた。

　五台の車はピタリと等間隔を保ちながら、府道を疾走する。

「護衛が四台もとは、大層だな」

　釈光寺は、オールバックに整えた、漆黒のミディアムヘアーを、長い指で梳いた。自分には大勢に守られるだけの値打ちがある。内心では誇らしかった。

「組長、護衛の数は、まだ足りないかも知れませんよ。最近になって神龍が台頭してきましたから。あいつら何をするかわかりません。なにせ〝要銭不用命〟。金が第一で命は二の次という危ないやつらばかりで、日本のヤクザとは根性が違いますから」

　日向はミラー越しに釈光寺をチラリと見た。二人きりのとき、釈光寺に向ける眼差しは、慈愛の色を宿している。

　保護者ヅラしやがって。

　釈光寺は葉巻を立て続けにふかせた。葉巻の匂いが苦手な日向は、少しだけ、眉根を寄せた。

　嫌がらせついでに、嫌味のひとつも言いたくなった。

「そう言うけど、オマエも中国人だろが」

「体の血は、確かに半分チャイニーズですけどね。心は純粋な日本人ですよ」

　日向は屈託なく笑い飛ばした。

　日向は、父が中国人、母が日本人の中国残留孤児二世だが、父に白系ロシア人の血が混じっている。黒竜江省の生まれで、早くに父を亡くし、一九八〇年代、四歳のとき永住帰国する母とともに日本に来た。

　　　　　　二

　釈光寺らの車列は府道四六号線をさらに北上した。

　暗い車窓に、釈光寺の顔が映っている。

　日向が虜になるのも無理もない。

　釈光寺は口角が上がるのを感じた。

　鏡に映った自分を見るのが好きだが、他人という鏡に映った、美しく才気に満ち、他人を睥睨する自分を見るのは、もっと好きである。

　突然、釈光寺の携帯が着信を告げた。音色は、八十～九十年代に活躍したアメリカのバンド、ニルヴァーナの代表曲〝スメルズ・ライク・ティーンスピリット〟をダウンロードしたものだった。

「――――」

　携帯を開けたとき、電話は既に切れていた。

「組長に直に電話なんて、いったい誰ですかね」

　日向がミラー越しに、釈光寺の目を見た。釈光寺の携帯に直接、コールする者は、日向以外、存在しない。釈光寺への用件は、秘書役である日向が受ける。間違い電話か、よほど緊急の電話だった。

「月子を送って行った運転手からだ」

　釈光寺は携帯を胸ポケットにしまった。

「ふ。月子を送る途中で、事故でも起こしたのでしょう。そりゃ、月子は、偉大な組長さまの〝女〟ですからね。運転手は泡を食っているでしょう」

　日向は鼻先で笑った。

「この先ずっと圏外だ。五分もしないうちに本部事務所に着く。どのみち、オレたちにとっちゃ、どうでもいい話だ」

　釈光寺は、再び車のシートに深く腰を押しつけた。

　再び闇の世界になった。車のライトに木々の影が次々浮かんでは消え去ってゆく。

　行く手に採石場の無粋な禿山が姿を現した。本部事務所は、採石場の三百メートル北、高槻市と京都府亀岡市とに接する山間の地にある。一～二分で到着予定だった。

「組はオヤジの代からは考えられないくらい大きくなった。構成員も十倍以上に増えて、五百十二人だ。旧市街に組事務所兼自宅しかなかったのが、摂津市新在家、大阪市生野区、吹田市千里丘中にも事務所ができた。もっともっと増やそう。な、日向」

「そうですよ。組長。私は組長のためなら、いくらでも頑張ります」

　日向が力強く応える。

　中国語の標準語、広東語ともに堪能である日向は、中国マフィアと呼ばれる連中の一部とも親しく、釈光寺のため覚せい剤や銃の仕入れを一手に采配していた。

　気に入らないところはあるけど、利用できるものは、最大限利用するまでだ。日向はオレの夢を実現させてくれる男だ。オレのためにしっかり働かすために、〝体〟でつなぎ止めるのも、この際、仕方がない。

　釈光寺は、闇を見透かした。

「頼んだぞ。日向」

　バックミラーを介して、日向と視線を合わせた。