第18話
ぴちゃりという、みずみずしい音で優人は目を覚ます。視界はいまだにぼやけていたが、それでも覚醒した途端、おびただしい量の情報が全身から伝わってきた。
まずなにより体が酷く冷えている。先程の潤んだ音は、ずぶ濡れになった自身の体からしたたり落ちた水滴によるものなのだと、優人はすぐさま理解した。
なぜか彼は椅子に座らされている。後ろに回した腕が太い縄で縛られているようで、力を込めても身動き一つとれない。
なぜ、自分は拘束されているのか。なぜ、全身がずぶ濡れなのか。そしてなぜ、こんな薄暗い場所にいるのか。
何一つ理解できない優人だったが、すぐ目の前に立っていた男の姿じゃらおおよそを察してしまう。優人の睨みを受けてもまるで男性は怯むことなく、空になったバケツを足元に投げ捨てた。
がろんという鈍い音を聞き、優人は目の前の彼――墓守を務める男・我孫子にたっぷりの皮肉を投げかけた。
「なるほど、気付けの一杯か。ご親切にどうも。おかげで目が覚めたよ」
どういうわけか気を絶していた自分を、目の前の我孫子が水をかけることで起こしたらしい。優人はこれでもかと彼を睨みつけたが、あいにく、農作業着の男は無機質な瞳をこちらに向けるのみだった。
立て続けに、目の前の木戸が開く。まず入ってきたのは、あのにこやかな笑みを浮かべた尼僧・柳念であった。彼女は優人の姿を見てもたじろぐことなく、「おやおや」と白々しい態度で振舞っている。
今となっては、彼女がただの物腰柔らかな尼僧だなどとは思わない。なんのわけがあるのかは定かではないが、彼女は平然と他人の飲み物に薬か何かを混ぜる、狡猾な女性なのである。
おおよそ、尼僧という姿も仮初のものなのだろう。にこにこしながらこちらを見つめる彼女に、優人はせめてもと視線での威嚇を怠らなかった。
だが、優人の体に滾っていた敵意が、ほんのわずかに揺らいでしまう。柳念の背後から姿を現した男が、聞き覚えのある〝太い声〟で語りかけてきた。
「お目覚めかね、倉橋優人さん」
名を呼ばれたことで、優人は反射的にその男を見つめてしまった。角ばった顔にがっしりとした体形はなんとも印象的で、優人は彼のことをすぐさま思い出す。
かつて、村にやってきた動画配信者・戸倉が共同墓地で暴れていた際、突如として姿を現した男性だった。姿こそ平凡な村人のそれなのだが、がっしりした肉体と、その内側にまとった〝太い気配〟が、なんとも独特の圧となって伝わってくる。
巨大な岩か、あるいは樹齢を重ねた巨木か。歳を刻み、些細なことには動じることのない老獪な重みがその肉体に宿っている。
一味も、二味も違う独特の気配が、真正面からぶれることなく優人の肉体を叩き、圧倒していた。
「ほう、その様子だと随分と感覚を取り戻しているように見える。薬の量が足りなかったか、あるいは余程に丈夫な体をしているのだろうな」
「薬――お前ら、やっぱりなにかやりやがったんだな? ふざけやがって――!」
「失敬、君が怒るのも無理はないだろう。だが一方で、我々も君たちの蛮行には呆れ果てているんだ」
せめてもと牙を剥いたつもりが、逆に軽く、なんともやすやすと受け流されてしまった。これまでの村人とはまるで違うその凄味に、優人は息をのんでしまう。
「蛮行、だと?」
「ああ。君らは部外者でありながら、随分とこの場所を――『幸人村』をかき乱してくれた。平穏に暮らしていた我々からすれば、実に厄介極まりないことだよ」
「そいつは悪かったな。けれど、その部外者に薬を盛って拉致までするたぁ、なんとも思い切ったことしてくれるじゃあねえか。そこまでこの村には、余所者に知られちゃあ困るなにかがあるってことだよな?」
このまま、目の前の男の圧にだけは屈したくない。優人は拘束されたまま、それでも必死に声を張り上げる。暗く、狭い小屋のなかに怒号は乱反射し、ぐわんぐわんと耳鳴りがした。
しかし、優人の狂犬のような一吼えは、やはりまるで効果をなさない。
「わざわざ、隠すことなどないさ。君らが知りたいと言うならば、いくらでも教えたのだよ。わざわざ手練手管を弄することなく、簡単にね」
あまりにも意外な切り返しに、思わず優人は「えっ」と言葉に詰まってしまう。脇に立つ尼僧・柳念や墓守・我孫子の顔を見つめたが、同様にまるでその表情は揺らいでいない。
(どういうことだ……?)
思いがけない方向に話が進みつつあることを悟り、改めて優人は目の前の男性を睨みつける。だが、そこには敵意よりもむしろ、この男性が何者なのかという疑問の色のほうが強かった。
「あんた、一体――」
多くは語らずとも、目の前の男は察してくれた。深いため息をつき、彼は即座に切り返す。
「申し遅れたな。私は葛城。この『幸人村』の現村長を務めている」
彼が口にした名に、優人のみが大きくうろたえる。暗く狭い空間に浮かび上がった太い男・葛城の顔を、まじまじと見つめてしまった。
「村長……なるほど、あんたがここの大ボスってわけか」
「なんとも粗野な言い回しだが、おおよそ間違ってはいないさ。私は村長として、この村の平穏を守る義務がある。君たちのような不届き者をいつまでものさばらせておくわけにもいかんのだよ」
「その結果が、これだっていうのかよ。物は言いようってやつだな。こんなこと、ただの犯罪だぜ?」
「なんと言われようが構わんさ。それに、今の段階では〝幸人様〟もお許しになられているようだしな」
村長・葛城が口にしたその名に、優人は思わず反論の勢いを削がれてしまう。彼は明確にうろたえたまま、反射的に同じ名を繰り返していた。
「幸人様も……だと? 大昔の僧侶の教えに背くってか」
「教えなどではない。あのお方がこの地に残した、大いなる意志だ」
いまいち要領をつかめないが、それでも葛城のその力強い眼差しとぶれることのない態度が、彼の言葉が嘘偽りなどではないということを理解させてしまう。間違いなく、葛城はかつてこの地を訪れた僧侶・浄優の教えを心の底から信じている。
それだけならば、いまさら優人もそこまで身じろぎなどしない。元よりこの村に生きる人間は、太古から続く教えの数々を妄信的に信じ、それに従って生きているのだ。そんなことは、村に踏み込む瞬間から百も承知の上だったし、どの村人であろうが似たようなものだと考えていた。
しかし、目の前に立つこの太い男は違う。彼が語るそれは教えなどという生易しい概念ではなく、もっと壮大かつ浮世離れした〝なにか〟を指し示しているように、直感的に感じてしまう。
優人はしばし、椅子に縛り付けられたまま思考を巡らせた。薬品が肉体に染み込んでいるせいで、いまだに全身の感覚は酷くおぼろげだが、それを振り払うように強く、痛いほどに歯を噛みしめる。
優人は自分が置かれた危機的状況や緊張、村人たちを目の前にしているという圧倒的不利を一度忘れ、これまで自分がこの村で見て、聞いてきたすべてをかき集めていく。
そしてその先に、かつて女探偵・荒木双葉と共に辿り着いたある仮説が見えてきた。
全身にじっとりと汗を浮かべたまま、優人は前を向く。こちらを見下ろす尼僧・柳念や墓守・我孫子には目もくれず、ど真ん中に立つ長たる男・葛城に鋭い視線を投げた。
「それはつまり――〝悪意〟を持った人間が、〝鐘〟で死ぬ――そういうルールってことか?」
暗闇がたしかに揺れた。それはきっと、左右に立っている尼僧と墓守に走った動揺が、わずかな肉体の動きとなって大気に伝搬した結果だったのだろう。
やはり唯一、中央に立つ葛城だけは変わらない。彼はしばし優人を眺めていたが、どこか観念したかのようにため息をつく。吐き出した呼気も、わずかに混じった声すらも、なにもかもが太い男だった。
「そんなところまで君は、辿り着いていたのか。本当に厄介な存在だ」
「こんなものはただの推測だよ。けれどその顔色を見るに、あながち間違ってもなかったって感じだな」
「これまでも君のように、この村の謎――〝鐘〟のことを探ろうとしていた人間は、何人かいたよ。だがことごとくが、その〝鐘〟そのものによって阻まれてきた」
「へえ。随分とあっさりと認めるんだな? 降参して、〝鐘〟の在り処を教えてくれる気にでもなったのかい」
挑発的な態度で煽りたてる優人に、葛城はあくまで表情を崩しはしない。彼は厳かなまなざしのまま、首を横に振ってみせた。
「そういうわけにはいかんよ。私もこれ以上、君たちを危険に晒したくはないのだ」
「はぁ? なに言ってるんだよ。まるで、こっちに気を遣ってくれてるかのような言い回しじゃあねえか」
左隣に立っている我孫子が、優人の言葉に苛立っているのは分かった。だがあくまで、彼の動きを葛城の視線が制してしまう。
「悪いことは言わん。頼むからこれ以上、〝鐘〟に深入りなどしないでほしいんだ。もしここから先に踏み込めば――君も〝彼女〟のように、命を落とすかもしれんのだよ」
なんとか精神的に優位に立とうと尽力していた優人だったが、葛城の一言で完全に虚を突かれてしまった。彼は目を丸くし、笑み一つ浮かべずに葛城を直視する。
「あんた……なんで彼女を――真名を知っている?」
「君がかつて、この村を訪れた人間だということは、とうの昔から気付いていたよ。かつての恋人の死を引きずり、諦めきれぬがゆえにこの地を訪れた。だろう?」
そこまで言われて、ようやく優人は気付いてしまう。そして気付いたからこそ、歯噛みしたままわずかにうつむき、悔し気に顔を歪ませた。
(そうか……なるほど、あの民泊の――)
優人はかつて、民泊の管理人・湯本から唐突に〝鐘〟の話を切り出されたことを思い出した。
間違いない。湯本はもちろん、この村の人間たちは皆、裏で繋がり、限りなく情報を共有し続けているのだろう。優人の素性など、とうの昔からばれていたのかもしれない。
「彼女は――君と共に訪れたあの女性のことは、気の毒だとは思う。だが、〝鐘〟の音に選ばれた以上、彼女にはそれだけの理由があったはずだ。これらはすべて、しょうがない出来事だったのだよ」
「しょうがない、だあ? 随分と軽々しく言ってくれるじゃあねえか。人が死ぬのが――しょうがない? ふざけるなよ!」
「気持ちは分かる。だが、この村においてその法則は絶対なのだ。〝悪しきもの〟は必ず、〝鐘〟の音を聞くこととなる。老若男女、人間ならば等しく、その天秤へとかけられるのだよ」
なおもぶれることのない葛城の態度が、癪でしょうがなかった。優人は反射的に飛び掛かろうとしてしまったが、拘束された腕がぎりりと締め上げられ、手首に痛みが走るのみである。
だが、その不意の痛みがまるで気付けのように働き、優人の沸騰した頭を少しだけ冷静にさせてくれた。不意に浮かんだのは、つい先程まで共に佐久間家で調査を続けていた女探偵・荒木双葉の姿である。
彼女もまた、かつてこの村で大切な人を失った。最愛の姉の無念を引きずり、ときには復讐心すら糧として、人生のすべてを賭けて彼女はこの村の事を調べ上げていたのだ。
過去を語ったときの彼女の眼は、物悲しい色に満ち満ちていた。だがそれでいて、その細身の姿から弱々しさは微塵も感じ取れない。
彼女はあの時、かつて姉が住んでいた家屋の庭にあるイチョウの木を見上げながら、優人にそれでも凛とした音色をもって伝えてくれた。
『めそめそと泣きじゃくるために、ここに戻ってきたわけじゃあない』
遥かな喪失感と痛みに肉体をえぐられようとも、それでも彼女は立ち止まることをやめ、今日まで歩き続けてきたのである。
そんな彼女の姿が、記憶となって優人の背を押す。空虚な心を共に抱く女探偵の心の火が、優人のそれにも引火し、勢いを増し始めた。
怒りも、焦りも、戸惑いも――すべてを喰らいつくし、優人は糧として考える。どくどくと血流が加速し、眠っていた脳を覚醒させていった。
葛城の放った一言を前に、優人は思う。そして、そこにちりばめられた欠片を掴み取り、繋ぎ合わせていった。
天秤へとかけられる――彼の言葉の一節が、優人を新たな領域へと押し進めてしまう。
「そうか……そういうことか……あの〝鐘〟は、単に〝悪しきもの〟に反応して鳴るんじゃあない。あの〝鐘〟は――そこにいる人間の〝悪意の総量〟を計っているんだな?」
この一言でついに、柳念や我孫子のみならず、葛城までもが明確に動揺した。わずかに生まれた隙を決して逃さないよう、優人は言葉のみで食らいつく。
「真名も、佐久間一茂も、戸倉も――なにかが決定打となって死んだわけじゃあない。これまで積み重ねてきた〝悪意の蓄積〟……それがある一定を超えたことで、〝鐘〟が鳴るってわけか?」
「君は……探偵かなにかなのか?」
「とんでもない。ただのできの悪い元エンジニアだよ。ただちょっとだけ、記憶力に自信のあるな」
もはや形成は完全に逆転していた。葛城たちは多くを語らなかったが、それでも彼らのその態度がおのずと答えを示している。
この村で何かをやったから、〝鐘〟が鳴るわけではないのだ。
村に足を踏み入れた人間は、過去に犯してきた過ちや罪、それらすべての総量が一定のラインを超えた瞬間、〝鐘〟の力によって連れていかれるのだろう。
真名は幼少期から他人を狡猾に使いこなし、つい最近ではデザインの盗作まで行っていた。佐久間一茂は決して自身を逃がさまいと追いかけてくる血縁に対し、明確な殺意を抱いていた。動画配信者・戸倉はそれこそ連日、村人の迷惑も顧みずに無茶苦茶な取材を続けていた。
それだけではない。女探偵・荒木双葉の姉は夫からDVを受けており、その末に夫も〝鐘〟の音色を聞いている。民泊の管理人・湯本の妻は、知り合いが亡くなったことをきっかけに〝鐘〟の真実に迫るべく、〝禁足地〟に踏み込み亡くなっている。
誰も彼も、その悪意や悪行の数々は末端でしかないのだ。重要なのは、彼らがこの村に至るまでに積み重ねてきた、〝悪意の総量〟。その積み重ねが臨界点に達したとき、あの〝鐘〟が鳴り、その者を連れていくのである。
村に悪しきものを呼び込まないために。
これ以上、彼らが悪しきものとして存在できないように。
もはやその結論に迷いはなかった。それどころか、あまりにも荒唐無稽な内容であるにもかかわらず、優人は奇妙な確信すら抱いてしまう。
証拠もなにもないそれが、ほぼ確実に真実なのだと、優人は本能で理解している。
やがて優人は座ったままうなだれ、そして「くくく」と乾いた笑い声を上げだした。その力ない笑みに、さしもの葛城も反応せざるをえない。
「なにが、おかしいんだ?」
「いや……なんだか、滑稽でな」
「滑稽だと? それは一体――」
「そんなの、あんたらがに決まってるだろうが」
葛城らが反射的に敵意を向けようとしたが、優人が顔を持ち上げ、それよりも先に怒号にも似た一喝で制した。驚くほどに熱く、澄んだ声が彼の喉元から湧き出てくる。
「だってそうだろう? あんたら結局、怖いだけじゃあねえか。この村でなにか悪巧みでもすりゃあ、下手したら〝鐘〟が鳴って死んじまうかもしれねえんだ。だからこそ、必要以上に笑顔を作って、良い人演じて――教えだのなんだの言って、どいつもこいつも過去から続く〝呪い〟に怯えて生きてるだけだろうが!」
男の咆哮に目の前の三人は圧倒されていた。しかし、ついに墓守の男・我孫子が我慢の限界を迎えてしまう。彼は硬い拳を握りしめながら、ずいと座っている優人に詰め寄った。
「お前――さっきから聞いていれば、好き勝手言いやがって――!」
軍手をはめた武骨な手が、ぐいと優人のシャツを掴み、押し上げる。突っ張るような感覚が優人の体を襲い、目の前に拳を振り上げた我孫子の凶暴なまなざしが見えた。
そんな明らかな暴力を前に、なおも優人は引かない。
「いいのかよ。そんなことしたら――〝鐘〟が鳴るかもしれねえぞ!?」
発射されかけた岩のような拳が、そんな一言で止まる。優人の獣じみた眼差しが、無言の圧で我孫子を制してしまっていた。
我孫子はしばし、拳を持ち上げたままの体勢で困惑していたが、ついには「うう」と情けなく唸りながら一歩退いてしまう。今までは取り繕ったような笑みを浮かべていた尼僧・柳念も、この異様な状況に真顔になって唖然とするほかない。
そんななか、予想だにしなかった事態に誰よりも困惑していたのが、他ならぬ村長・葛城だった。彼の視線は左右に立つ仲間ではなく、あくまで目の前の椅子に拘束されたままの余所者に向けられている。
最初でこそ、亡くなった恋人の影に執着し続ける、情けない男だと思っていた。しかし、舐めていたはずの彼はこのわずかな時間で想像以上に化けてみせたのである。
優人自身も、湧き上がってくる力強さの正体を明確には理解できていない。だがそれでも、心の奥底にはかつての〝彼女〟が不意に告げた、とある一言が蘇っていた。
それは奇しくも先程、気を絶したわずかな時間で見た、ある日の一幕で交わした言葉であった。
『この世界は一つの大きな〝器〟で、そこに注がれた〝幸福〟と〝不幸〟の数は決まっている』
真名はきっと、なにも理解しないままその言葉を優人に投げかけていたのだろう。あくまで彼女は、これまで生きてきた〝不幸〟まみれの人生のなかで、そんな切なくも核心的な世界の〝理〟に気付いただけなのかもしれない。
かつての彼女の一言は、優人の心を確かに前へと脈動させる。あれから数年経った今――皮肉にも彼女を失って初めて、優人にはその言葉の真意が理解できてしまった。
もうそばに彼女はいない。だがそれでも、優人は心に連れてきたその〝思い出〟を頼りに、進む。
「俺を止めたいっていうなら、力づくで止めればいいさ。その代わり、いつ〝鐘〟が鳴ってもいいように覚悟しておけよ。ジャッジをするのはあんたらじゃあない。この村を守ってくれてる――〝幸人様〟なんだろ?」
敵意を通り越した、まっすぐな熱意とすら捉えられる感情がその一言には込められていた。もはや、優人の放つ言葉を真っ向から打ち返すことができる人間は、この場には一人も存在していない。
しばし、嫌な沈黙が暗闇を包んだ。最初でこそずぶ濡れで冷たさすら覚えていた優人だが、今となっては酷く肉体が火照っており、湧き上がる感情が陽炎のように皮膚から染み出しているように錯覚してしまう。
拘束されてもなお、一切の弱みを見せない優人の姿に、三人の村人は互いの顔を見合わせてしまう。だがしばらくして、真ん中に立つ葛城が困ったようにため息をついた。
「止めるもなにも、これ以上は何もせんさ。今の君にできることなど、限られているのだからね。考えが改まるまでは当分、おとなしくしていてもらうよ」
そんな捨て台詞を最後に、葛城たちは踵を返す。拘束した優人を置き去りにしたまま、彼らは小屋の木戸を容赦なく閉めてしまう。
扉が閉じる瞬間、最後まで葛城は隙間に覗く優人の顔を、憂いを帯びた眼差しで見つめていた。そしてそれに応えるかのように、優人もまた彼の太い姿を睨みつける。
扉が閉まり、鍵がかけられる音と共に完全な暗闇が訪れた。そんな閉塞的な状況においてもなお、取り残された優人はまるで怯むことなく、しばし闇のなかを睨み続けてしまう。
自由を奪われ、視界すら閉ざされてもなお、その肉体の奥で確かな炎が燃えていた。一人きりの暗闇のなかで、優人はやがて静かに目を閉じる。
目の前に広がるそれが、闇であることには変わりがない。だがその奥底に、自身の核に宿り続ける彼女の姿がはっきりと浮かび上がってくる。
数々の〝幸福〟と〝不幸〟を抱え生きていた彼女を想い、静かに呼吸を繰り返した。
濃厚な闇が周囲を取り囲み、責め立てる。だがその渦中にいながらなお、優人は一寸の弱みすら見せず、穏やかな表情でうつむいていた。
どれだけみすぼらしくとも、どれだけ未練がましくとも、心に連れてきた〝彼女〟は消えていない。そのわずかばかりの暖かさは、隔絶された世界に立ち向かう理由としては十分すぎるほどであった。
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