第6話

 どこで異変が起こったのか、それを察知するのはそう難しいことではなかった。村全体に奇妙な〝鐘〟の音が鳴ってからしばらくすると、とある一角に続々と住人らが集まり始めたのである。


 優人たちが駆け付けた時には、すでに一件の民家の周りに人だかりができていた。この村の住人のほとんどが集結しているようで、老若男女問わず様々な顔ぶれが揃っている。


 二人はなんとか現場に近付きたかったが、どうにも野次馬の群れが多すぎて身動きがとれない。しかたなく優人と川嶋は最後尾から、できるだけ背伸びをして問題となっている民家の奥に目を凝らした。


 すでに現場には村唯一の駐在と医者が駆けつけており、男衆によって〝なにか〟が担架に乗せて運び出されるところだった。毛布でこそ隠されているが、端からだらりと垂れ下がった長い腕と靴下を履いた足を見て、二人は即座に悟ってしまう。


(運ばれているのは、男か)


 騒然とした空気のなか、担架を引き留めるように縋り付いた女性の叫び声が、さらに空気をけたたましく震わせた。


 短い黒髪の女性が、「待って!」と駆け寄り、男たちの動きを止めてしまう。駐在が慌てて彼女を制するも、女性はしきりになにかを訴えていた。


 その目からは、すでに大粒の涙が溢れ出て頬を濡らしている。女性は顔を真っ赤に紅潮させ、目頭を押さえたまま体を震わせていた。駐在がなだめるもまるで効果はなく、ただうわごとのようになにかを口走っている。


 その態度を見る限り、担架で運ばれていくのは彼女にとって大事な誰かなのだろう。彼女の言葉をもっと明確に聞きたかったのだが、いかんせん二人からは距離が遠く、その内容までは汲み取ることができない。


 それ故に、優人は離れた位置から女性の〝口元〟をじぃっと見つめ続ける。彼が女性を凝視するなか、すぐ隣にいる川嶋も周囲の村人たちの言葉に耳をそばだてた。


「亡くなったの、旦那さんですってねぇ。お気の毒に……確か、まだ若かったでしょうに」

「そんな風には見えなかったけど、やっぱり何か裏があったってことなのかね。人ってのは見かけにはよらないもんだなぁ」

「とはいえ、今回は俺らじゃなくて良かったよ。やれやれだ」


 皆、現場を遠巻きに眺めながら、好き勝手な言葉を交わしている。明確な言葉こそ出てこないが、それでもこの状況を眺めていた二人には、ここで何が起こったのかくらいは推測できた。


 最後尾で言葉を失ってしまう二人を見つけ、不意に老人が声をかけてくる。


「いやはや、お騒がせして申し訳ない。村に着いた矢先、驚いたでしょう?」


 川嶋はもちろん、遠方に意識を向けていた優人すらも思わず振り向いてしまう。いつの間にか二人の背後に、民泊の管理人である老人・湯本が立っていた。老人はやはり笑みを浮かべてはいるものの、どこか物悲し気な色が張り付いているように見える。


 突然の一言に驚きはしたが、なんとか川嶋が平静を取り繕いつつ返した。


「ああ、いえいえ。なんだか、大変なことになっているみたいですね? なにか、あったんですか」

「ええ、まぁ……もっとも、この村では時折、こういったことが起こるもので……」


 どこか含みのある言い方だったが、ここで優人が思い切った一手に出る。彼はサングラスの下から明確に老人を睨みつけ、言葉で刺した。


「誰か――人が亡くなったんですか?」


 川嶋が息をのむなか、老人は黙したまま彼方――事が起こった家屋を見つめている。そこでは相変わらず、住人であろう女性が大粒の涙を流し、ただただ悲嘆に暮れていた。


 一人、また一人と野次馬が立ち去り、徐々に人の輪が薄くなっていく。村人たちが普段の生活に戻っていくなかで、優人と川嶋はその場に立ち尽くしたまま隣に立つ老人の答えを待った。


 駐在になだめられた女性が、ついには民家の中へとふらつきながら帰っていってしまう。その後ろ姿を眺めたまま、湯本はようやく口を開いた。


「ええ。どうやら、あの方の旦那さんだそうです」

「時折、こういったことが起こる――そう、おっしゃいましたよね? この村ではそんなに頻繁に、人が死ぬんですか?」


 川嶋は唖然としたまま、思わず優人の顔を見つめてしまう。サングラス越しに問いかける男の顔は平然としていたが、その表皮の奥底に滾る思いがおびただしい熱となって滲み出ているようだ。


 いささか、踏み込みすぎではないかとも思う。だが一方で、それこそ二人がこの村に探しに来た、答えに直結する要素なのだとも感じてしまう。


 優人は目の前の老人を逃がすつもりなどない。どんな言い訳が返って来ようとも、必ずその奥底をえぐるつもりで身構えていた。


「偶然では、あると思うのですがね。ただ、突然の不幸に見舞われる方は、何人かおられます」

「そうなんですね。この後、警察とかを呼ぶわけですか? それこそ、大きな病院なんかで死因を調べたりするんですよね」

「恐らくそこまでのことはしないのかなと。この村で亡くなった方は大抵、〝共同墓地〟に埋葬されますので」


 思いがけない返答に、問いかけていた優人も微かにうろたえてしまった。ようやく、隣で話を聞いていた川嶋も割って入る。


「でも、もしかしたら事件性などがあるかもしれないのでは? ろくに調べもせずに、墓地に埋葬してしまうのですか?」

「ええ。なにせ、昔からここではそういう〝決まり〟ですので。特に村に住む人間なら、なおさらで」


 思いがけない展開に、二人は互いの顔を見合わせてしまった。だがここで、いち早く気付いた優人が声を上げる。老人が放った、とある単語に覚えがあった。


「共同墓地――まさかそれって、あの……〝柱〟が立っている広場のことですか?」


 川嶋が「えっ」と声を上げるなか、老人が明確にうろたえた。湯本は視線を持ち上げ、驚きながらこちらを見つめてくる。


 今までのような張り付いた笑みは、とっくの昔に消えていた。彼の震える眼差しを、優人は真っ向から受け止める。


「あそこに行かれたのですか? なぜ――」

「偶然、歩いていた時に発見したんです。もっとも、妙な男に釘を刺されましたけどね」

「なるほど、そうでしたか……悪いことは言いません。あそこは、外から来たお客人が立ち寄るような場所ではないのです」

「亡くなった方々は皆、あの墓地に運ばれる。今でもあの場所には――死んだ村人たちが〝土葬〟されているんでは?」


 今ならはっきりと理解できる。先程、立ち寄ったあの奇妙な広場――あれは、この村唯一の共同墓地だったのだ。無数に立ち並んだ丸太はいわば墓標で、あの下には数多くの死体が眠っているのである。


 広場に隣接した小屋に寝かされていた、〝なにか〟。それが放っていた腐臭と、そこにたかろうとしていた無数の蠅が物語る。


 あれこそが、この村で亡くなり運ばれた〝誰か〟だったのだろう。


 そして恐らく、誰かが亡くなったその時も――〝鐘〟が鳴ったのだ。


 優人の追求に、湯本はついに視線をそらしてしまった。彼は笑み一つ浮かべないまま、歩き始めてしまう。


「すみません。これ以上、私の口からはなにも……」


 あまりにもあっけなく、彼は二人から逃げるように立ち去ってしまう。川嶋がそれを追いかけようかと一歩を踏み出したが、すぐに優人が制した。


「やめとけよ。恐らくもう、何を言ったところでだんまりを決め込むだろうさ」

「そ、そうかい? けれど、肝が冷えたよ。まさかあそこまで、一気に切り込むとはね」

「まごついてたって、いつまでも答えなんて見えてこないだろ。それに、やっぱりこの村はなにか変だ。あの様子だと、やっぱり〝鐘〟が鳴るたびに誰かが死んでいるんだろう」


 周囲に群がっていた野次馬たちは、すでに姿を消していた。取り残された二人は、彼方に見える二階建ての日本家屋を眺めたまま、立ち尽くしてしまう。


「今回はあの女性の旦那さんだった、っていうことなのかな? どうする、このままもっと詳しく話を聞きに行くかい?」


 川嶋の問いかけに、優人は首を横に振る。


「あの様子じゃあ、まともな話はできないだろうさ。ましてや、俺らみたいな部外者に心を開いてくれるとも限らない」

「そうか……残念だよ。ここまで決定的なことが起こったんだから、なにか有力な情報を聞けるかなと思ったんだけどね」

「ああ。ただ――おかげさまで、〝見る〟ことはできた」


 一瞬、川嶋は言葉の意味を分かりかねていたが、優人がサングラスを外しながら呟いた言葉の数々に、息をのんでしまう。


「『なんで、彼なんですか?』、『彼は何も悪いことなんてしてないのに、こんなのおかしい』、『話と違う』――だとさ」


 唖然としてしまう川嶋に、優人はどこか不敵なまなざしを向けた。川嶋は「参った」とばかりに苦笑し、肩をすくめる。


「驚いた。それ、前に言っていた〝読唇術〟ってやつかい?」

「まさか、こんなに早く役に立つとは思わなかったよ」


 優人はサングラスを戻しながら、ため息をつく。3年間、なにかに使えると思い独学で身に着けた技術が、こういう形で報われるとは思いもしなかった。


 離れた位置にいながら、優人は彼方で泣き叫ぶ女性の〝口元〟の動きを見て、彼女が何を言ったのかを読み取っていたのだ。


 すべては、真名の死の真相を突き止めるため――優人の目は、なおも彼方で沈黙している日本家屋を睨みつけている。


「あの奥さん、確実に何か知ってるようだ。なら、話は早い。やるべきことは決まったな」


 優人は無表情のまま、はっきりと言い放つ。友人の鬼気迫る姿に、川嶋も改めて「ああ」と頷き、決意を固め直した。


 民家を前に立ち尽くす二人を、野山から駆け下りた風がもてあそんだ。熱風が肌を撫でつけるが、二人はなおもまばたき一つせずに前を向く。


 この村にはやはり、なにかがある――〝鐘〟の音に翻弄された村の人々は、まるで何もなかったかのように平然と普段の生活に戻っていった。

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