へんな家庭訪問
「だーれだ?」
図書室で勉強をしていると、僕のメガネ越しに目隠しされた。その手、指は細く、柔らかい。
「……わかりません。知りません」
「まあ、イケズねえ」
校長先生は、目隠ししていた手を解いた。付近の席の生徒たちか訝しそうに僕たちを見ている。
「お久しぶりね、榊原(さかきばら)君」
「そうですか? 僕は先生をよくお見かけしますが」
朝礼台の上に立っていたり、来客された方を案内しているところですれ違ったり。
そんな時にも僕に手を振ったりウィンクしてるような気がするけど、あれは気のせいだったのか?
「へー、あなた見た目が地味だから、私が気づいてないだけかもね」
さらっと失礼なことを言う。
「ところで今日は何の用ですか?」
「やー、ただ生徒のみんなが放課後どう生活してるか、見て回ってるだけ」
「それはどうもお疲れ様です。では、勉強を続けさせていただきます」
参考書に視線を戻そうとしたら、それをバタンと閉じられてしまった。
「な、なんですか!」
「あのね、お願いがあるんだけど……明日、日直替わってくれない?」
「……おっしゃる意味がわかりませんが?」
「明日榊原君、日直当番でしょう?」
「そうですが」
「私と替わって欲しいの」
「……おっしゃる意味がわかりませんが?」
校長先生が、生徒と日直を替わる? いったいどういうことだ。
「私、日直やりたいの。ねえ、お願い」
「お断りします」
自分の日直当番を放棄して内申に悪い影響があってはいけない。だいたいこの人に関わるとロクなことがないと修学旅行のときに学習している。
「まあ、イケズねえ……いいわ、もう一人の日直の岡田ちゃんに頼むから。確かあの子、バドミントン部だったわね」
そう言って校長先生は、図書室を後にした。本当に体育館に行って岡田さんに頼むつもりだろうか。
〇
翌日、朝のホームルームが始まる少し前。クラスの生徒はほとんど席についている。
日直当番の僕は連絡事項を伝えようと席を立ち、岡田さんに一緒に教壇に上がるように誘った。彼女はなぜか、ソワソワ。キョロキョロして席を立たないでいる。
そこに。
「ごめーん!遅くなった」
ガラリとドアが開き、一人の女子生徒が走り込んできた。
ん!? よく見ると、その生徒は……校長先生!
教室中がざわめく。ライトブラウンのブレザーにエンジ色の蝶タイ。ウチの学校の制服姿だ。完全に高校生に化けている……というか、似合っている。
ただ。
「先生……その制服、それにそのタスキは何ですか?」
マトモな答えは返ってこないとわかっているが、教壇に上がって僕の隣りに立った校長先生に尋ねる。
文字通りタスキがけしているソレには、
―――――――――
私、一日女子高生♥
―――――――――
と描かれている。
「どお? 一日警察署長とかみたいでカッコいいでしょ?」
「や、そういうことじゃなくて……」
そこに担任の坂口先生が入ってきた。先生は彼女の姿を見て一瞬ハッとしたようだが、諦めの表情を浮かべて教壇の方に進んだ。
「起立!」
校長先生の号令に、クラスメイトたちは慌てて席を立つ。
「礼!」
担任の先生も含め、一同礼をする。
早めに顔を上げると、校長先生扮するJKは、その光景を見回し『一度これをやりたかったのよね』と満足そうにつぶやいた。
「本日の日直の桜羽(校長先生の苗字)と、榊原です。さあ、榊原君、今朝の連絡事項を伝えて」
この人、本当に岡田さんに日直の交代を頼んだのか。仕方がないので、僕は連絡事項のメモを読み上げた。
その後、担任の坂口先生から注意事項が一言二言あったが『一日女子高生』へのコメントはなかった。
朝のホームルームが終わり、僕は教室後方の自分の席に戻る。なぜか校長先生もついてくる。
僕が席に着くと、彼女は隣の空いている席に座り、カバンを机ヨコのフックにかけた。
「先生、その席は……」
校長先生はニコッと微笑み、Vサインで応えた。わかってる、という意味だろうか。
そして机の中に入っている配布物などをごそごそと漁り、机の上にきれいに並べて整理した。
午前も午後も、それぞれの教科の先生は、みな同じ反応を示した。JK校長先生の存在に気づくとギョッと驚き、緊張しながらも淡々と授業を進める。すごくやりづらそうだ。
昼休みには、クラスの女子グループの一つに無理やり入り込み、一緒に弁当を広げている。最初は緊張気味だった女子たちもいつの間にか校長先生と和気あいあいとヨモヤマ話をしている。
「校長先生、職員室にプリント取りに行きますよ」
日直の仕事として、昼休み終了間際に帰りのホームルームで配るものを取りにいく。
「あら、今日は私、高校生の『桜羽さん』よ。『遥』(校長先生の名前)って呼んでもいいわよ」
「……じゃあ、桜羽さん、行きますよ」
「ハイ!」
プリントなんか一人で行けるじゃんとかブツブツ言っていたが、その割には嬉しそうについてくる。
配布物を抱え、中庭を囲んだ通路を通ると、窓から十月の風が優しく吹き込んだ。
桜庭(校長)さんのセミロングの髪がなびく。タスキも揺れる。
「ああ、なんか青春してるって感じ……やり直せるなら、もう一度戻りたいわ」
「……あの、まさに今、やり直して十分満喫していると思うんですけど?」
僕がそう答えると、こっちを見てニコッと微笑んだ。ちょっとドキドキした。
〇
帰りのホームルームを無事に終わらせ、帰り支度をする。今日はすごく気疲れしたので、図書室には寄らずまっすぐ家に帰ろう。
「ほら、榊原君、いくわよ」
「え……どこにですか?」
「決まってるじゃない、斉藤さん家よ」
「え!?」
僕の席の隣りの斉藤さんは、しばらく学校を休んでいた。不登校になったと噂されている。
校長先生は、手に持っている大きな茶封筒を振った。
「配布物なんかを渡しに行くの」
斉藤さんの自宅は高校から徒歩圏内のようだ。ショッピングモールがある通り沿いを桜羽さんと並んで歩く。
「ウフッ! 私たちまるで放課後デートしてるみたいね」
「あの、ウチの学校の生徒に見られたらとか、先生に見つかったらとか考えてないんですか?」
へたしたら僕は謹慎処分、校長先生は停職処分になるんじゃないだろうか。
「あら大丈夫よ。先生方には話を通してあるから」
「……なら、制服を着替えろとは言いませんが、せめてそのタスキ、はずしてくれませんか?」
とにかく、通りをすれ違う人が必ず振り返る、その原因をなんとかしたかった。
だいたいクラスメイトに何かを届けるって、小中学生くらいまでじゃないだろうか?
〇
ピンポ~ン♪
先生は『斎藤』と書かれた表札がかかる綺麗な一戸建てのチャイムを鳴らした。
『はい』
「あの、斉藤双葉(ふたば)さんのクラスメイトの桜羽と榊原です。学校の配布物を届けにきました」
ドアホンにそう話しかけた校長先生の声が、妙に若作りしているような気がした。
カチャリとドアが開いた。
出てきたのは斉藤さん母親のようだ。
「お届け、ありがとう。配布物、私が預かりますので」
お母さんは、本当に同級生が訪ねてきたと思っているようで、校長先生の姿を見ても何も反応しなかった。
「あの、一目でもお会いできませんか?」
困惑するお母さん。
「……娘に聞いてきます」
「じゃあ、桜羽と榊原が来たってお伝えください」
待つこと五分。
再びドアがカチャリと開いた。
隙間から覗いているのは、斉藤さん本人だった。
彼女は校長先生の姿を見てギョッと驚いた。いったんドアが閉まり再び開いた。
「どうぞ、お入りください」
彼女の案内で、僕とJK校長先生はリビングに通された。
僕と桜羽さんはソファーに並んで座る。
お母さんが紅茶と菓子皿をお盆に載せ、運んできた。
お皿にはマルセイバターサンドを始め、六花亭の様々なお菓子が盛られていた。
それを置くと、斉藤さんだけを残し、お母さんはキッチンの方へ引っ込んだ。
校長先生はバサリとローテーブルに封筒を置く。
「はい、双葉さん。これ、プリントやなんか。特に必要そうなものだけ持ってきた」
「あ、ありがとうございます」
斉藤さんは礼を言い、女子高生姿の先生をジロジロ眺めた。
「……あの、校長先生、その恰好はいったい何なんですか?」
「ああ、これ?『失われた青春をもう一度』って感じでね……ノリよ。ノリ」
そう言って桜庭さんはカバンからタスキを取り出し、再び身に着けた。
それをあきれ顔で眺める斉藤さん。どうやら彼女はJKコスをした校長先生への好奇心が勝ったため、僕たちを家にあげてくれたようだ。
その後、JK校長先生は、斉藤さんの様子を一切聞くことなく、ほかの先生の悪口やら、芸能界の噂話、そして僕のことをクソ真面目で面白くないとか、とめどもない話を延々と続けた。
最初は硬い表情だった斉藤さんの表情が少しずつ柔和になっていくのがわかった。少しクスッと笑ったりもした。彼女が休み始める直前は、そんな姿を見ることはできなかった。
「あらあら、随分長話しちゃった。榊原君から遅くなったら受験勉強できないってブーブー文句言われるわ」
そう言って桜羽JK校長先生は席を立ち、僕を見て微笑んだ。
そしてバターサンドだけでなく菓子皿に残っていた六花亭の大平原 · チョコマロン · サクサクカプチーノ 霜だたみ · 十勝日誌 · 六花撰 · 六花のつゆなどをタスキとともにカバンにごそっと放り込んだ。
ちょっとは先生のことを見直した僕が馬鹿だった。
玄関先まで斉藤さんとお母さんが見送ってくれた。
「先生、榊原君、今日はどうもありがとう」
娘の言葉にお母さんが不思議そうな顔をする。
「ううん、お邪魔しました……それから、気が向いたら『私の部屋』にいつでも遊びにおいで。楽しいモノがいっぱいあるわよ」
そう言って、母娘に一礼すると、校長先生は踵を返して門の外に出た。僕も礼をして慌てて彼女を追う。
〇
「だーれだ?」
「わかりません。わかりたくありません」
僕が図書室で勉強していると、また誰かの細い指と手で目隠しされた。その手が解かれると、メガネに指紋がついていた。
「相変わらずイケズねえ」
「もう少し自分の立場をわきまえたらどうですか?」
僕は何度も同じことを言っているような気がする。
「ねえ、これ見てみて」
校長先生は、クリアファイルから紙を取り出して僕の目の前でにかざした。
近すぎてよく見えないので、彼女の手を掴んで目元から少し離す。
『不登校対策の新潮流 保健室登校から校長室登校へ』
「こないだ、地元紙に取材されたの」
ドヤ顔、自慢げ、嬉しそうにそうおっしゃった。
斉藤さんは、先生の誘い通り校長室を時々訪ねているらしい。
僕も一度だけ桜羽校長室に入った(無理やり連れ込まれた!)ことがあるが、ファンシーなぬいぐるみやら、フィギュアやら、マンガ本やらが部屋を埋め尽くしていた。
斉藤さんが教室の僕の隣りの席に戻る日は、そう遠くないような気がする。
次の更新予定
ぶっとび校長先生は、僕にひつコイ。 舟津 湊 @minatofunazu
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