第5話 許嫁となった日
「……シェロ、どこに行くのだ?」
「決めてない。まあ、遊べるとこ」
二人して塔を降りて、手を繋いで歩く。
ちっこい手だった。ぷにぷにしてて、握ると気持ちが良い。アンは楽しそうに繋いだ手を前後に振る。
何度も俺の顔を見上げて、アンは頬を緩めた。そして、視線が合うとその都度顔を赤くして顔を伏せる。
殻を被り寂しげな面持ちは、既に影を潜めていた。
「遊べるところ……シェロは私と遊んでくれるのか?」
「何だ、嫌なのか?」
「嫌じゃないっ! ……とても、嬉しい」
「だろ! どうせ親父たちの話長いからな。二人で遊んで暇潰ししようぜ」
「うん!」
とは言っても、ちびっこのアンと一緒にできる遊びは限られている。激しい運動はできないしなぁ。
そこまで考えて、閃いた。
「なあ、紙と毛糸あるか。あと、何でも良いから布の端切れと乾燥した豆」
「貴公が望むなら、全て用意させよう」
アンは凛々しい面持ちで、任せろと胸を張った。生意気だったので、頭を撫でまわす。
「わっ、シェロっ! もう、髪がぐちゃぐちゃではないかぁ」
口では抗議するも嬉そうなアン。
そんなちびっこに俺は口元に指を当て、微笑んで見せた。
「それは、できてからのお楽しみだ」
***
俺たちは沢山ある客室の一室を借りて、ソファーに腰掛けていた。用意された毛糸とパピルス、布の端切れにひよこ豆を机に並べる。
アンはキラキラとした瞳で、交互に机上の物と俺の顔に視線をやった。その姿はさながら餌の前で、待てを命じられた犬のようであった。犬は好きなので、存分に可愛いがってやろう。とりあえず優しく頭を撫でておいた。
アンは嬉しそうに、目を細める。それを見て俺も満足気に頷いた。
さて、作業に取りかかる。遊ぶためには、それ相応の準備が必要だ。
毛糸は長めに切って、両端を結び一つの大きな輪にしておく。パピルスは角を合わせて正方形に切る。後は女中を呼んで、裁縫の指示をし、布の端切れとひよこ豆を渡した。
これで一通り準備が終わった。
「さあ、遊ぶぞ!」
「うんっ!」
まず、毛糸を取る。
両手の指に毛糸を引っ掛ける。アンもそれを真似る。
「これはあやとりっていう遊びでな。こうやって引っ掛けたり、外したりして……んっ、と……ほれ、四段はしご」
「わあぁ、すごいっ! シェロもう一回やって!」
アンの生き生きとした表情に、正直ほっとした。
だって、これは決してアンのために行ったものではないのだから。日本にいた頃、俺が心の底で望んで叶わなかった願望をアンを通して叶えている、それだけのことだった。
それでも、それだからこそ、俺はこの笑顔を救われている。
俺は笑って、努めて優しく言った。
「ゆっくりやるから、一回自分でやってみろ。なに、お前ならならすぐ覚えられるさ」
「うん、シェロ!」
アンの無邪気な声が広い部屋に響く。
楽しげに笑って、興味津々と言った具合である。ちびっこにあやとりの手解きをしながら、色々な話を聞いた。
母親が自身を生んで亡くなったこと。父が忙しく、ほとんど話せていないこと。仕えてくれる人々はいたが、一緒にいてくれる人はいなかったこと。それが、いつも寂しかったこと。今日許嫁と会うようにと言われて、内心とても恐ろしかったこと。
ぽつりぽつりと語られる言葉を、静かに聞く。
その言葉のひとつひとつを聞き溢さないよう耳を傾けた。
そうして、緩やかに時間が過ぎていく。
あやとりにパピルスを使った折り紙。それから女中に縫い合わせ作ってもらったひよこ豆のお手玉。その日俺たちは時が許すまで遊び尽くした。
俺たちが遊んでいた部屋に、親父とジクムンド様が入室してきた。親父は俺の側に近寄って、耳打ちする。
(……嗣郎、見ない間にお姫様と随分仲良くなったじゃないか)
(るっせーな、そんなんじゃねぇよ。クソ親父)
親父は鮮紅色の瞳に愉悦を浮かべ、唇を歪めた。それから、一瞬で爽やかな笑顔を作りアンに話しかける。
「……姫様ご機嫌麗しゅう。うちの愚息が、ご無礼を働いていませんでしたでしょうか?」
「いいえ、ラッセル殿。シェロ……ご子息は私を暖かく向かえ入れてくださいました。とても有意義な1日となりました。貴方に感謝を」
「それはそれは、重畳の至りに存じ奉ります」
親父は恭しく一礼してみせた。
わざとらしくて、失笑ものである。というか、失笑した。
「婿殿、娘の相手をして頂き痛み入る。それで、どうであった?」
「どうだった、ですか……特に、何も? ただふたりで遊んでいただけですから。しいて言えば、まあまあ楽しかったです」
あっ。やべっ。
油断して親父に対して言うような口振りで答えてしまった。
「あっはっはっ、ふたりで遊んでいたか! 楽しかったか! それは何よりだ!」
豪快に笑って、バンバン肩を叩かれた。脱臼してしまいます止めてくださいお願いします。
「ち、父上! シェロが痛がっています。それ以上はお止めください!」
俺の顔色を見て、アンがすかさず止めに入ってくれた。お前は将来絶対できた女になるぞ。保証してやる。
「はははっ、これは失礼した。して、アンフィーサよ
「父上。私は異論ございません。慎んで、お受け致します」
「そうか。……本当に、良いのだな?」
ジクムンド様は、髭を撫でながら優しげにアンを見つめている。アンは静かに、そして強く頷いた。
うむ。ジクムンド様はさらに大きく頷いた。
「良き一日であった。ラッセル殿、正式に我が娘とご子息との婚姻を誓約しよう」
「こちらこそ、お願い致します」
ジクムンド様と親父は固く握手を交わした。
いやなに固く握手交わしてくれちゃってんの? えっ? マジ? マジでいってる?
混乱し顔が真っ青になる。汗が頬を伝った。
「シェロ……」
名前を呼ばれ、そっと手を握られる。
横に視線を向けると、ちびっこが俺の手をにぎにぎしながら嬉しそうに微笑んだ。ふにゃりと照れくさそうな表情。
「シェロ、私は良き妻となると誓う。幾久しく、お願いする」
誰かが言った。
―――結婚は人生の墓場なんだと。
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