第6話 メイドとはロマン
泣く女を慰めるほど、非生産的なものはないと俺は思う。
奴らは辛いと泣いて、悲しくても泣き、嬉しくたって泣き、幸せでもやっぱり泣く。そういう生き物なのだ。
平たく言えば、泣くことを介して気持ちやストレスを発散したいだけで、その原因は何でも良い。兎に角、泣きたいから泣くのである。
男が選べる道は泣く前に逃げる、これに尽きる。基本俺はそうしている。どうしても回避できない場合は、何も言うな。黙ってろ。適当に相槌を打っておけ。これで大体上手く行く。ソースは俺。
俺は小さく溜め息をついて、引っ付き虫の顎に手を添えた。そっと顔を上に向けさせる。
「ううっ、シェロぉ……」
「……ひでぇ顔」
ぺしゃぺしゃと、眉を下げ情けない顔で俺を見上げるアンの目元を袖で拭いてやる。うへぇ、鼻水がついた。
「お前もうガキじゃないんだから、いい加減泣き止めっての」
「し、シェロがもう娼館に行かないと誓うなら……」
「……やっぱそのまま泣いとけ」
「なんでだぁ!」
またしても、めそめそし始めたアンに辟易する。選択肢を間違った。嘘でも行かないと言っておけば良かった。素直なところは俺の美点だが、時として欠点になり得るということか……。衝撃の事実に愕然とする。
いや、そもそも何でこんなに束縛されないといけないのだ。許嫁だって俺は納得してない。そう思うとイライラしてきた。
「ああもうっ、面倒くさ! こんな所にいられるか! 俺はもう帰る!」
推理小説なら、確実に死亡フラグが乱立する台詞を口にする。怖いので、この後ボインのお姉さんに慰めて貰いに行こうと思う。俺はデリケートな男なのである。
アンを引き離して、踵を返す。そのまま、戦線を離脱しようてして、背中に衝撃を受けた。
廊下に叩きつけられる。顔から床にダイブした。ビクンビクンとまな板の上の魚のように身体を振るわせ、痛みで悶絶する。頭の中でひよこがくるくる回ってピヨピヨ。
数秒おいて、意識がはっきりしてくる。頭を回っていたひよこを追い払って、現状を確認する。
起き上がろうとして、背中の重みに気づく。遅れて、柔らかい感触と仄かに金木犀のような香りが鼻を掠めた。
目を一旦閉じて、無になる。それから、息を吸って静かに大気を振るわせた。
「おい、アンフィーサ。言いたいことは色々あるが、とりあえず俺の上から降りろ」
「……私は何も聞こえていない」
「嘘つけ、ばっちり聞こえとるやろがい!」
直ぐ様ツッコむが、俺の上から依然として動く気配がないアン。何とか抜け出そうとしてみるが、女とはいえ現役の騎士相手では部が悪い。俺は根っからの文系なのである。
仕方がない。
説得を試みる。
華麗なる俺の話術に恐れおののくが良い。
「……いいか、よく聞け。俺は上に乗られるより、下に組み敷きたいタイプだ。そして何なら受けよりねちっこく攻めたい。あと俺に胸を押し付けて良いのは巨乳だけだ。悪いことは言わないから、引っ込んでろこの貧乳!」
きりきりと、万力のような力で押さえつけられた。
解せぬ。
やはり脳筋に話は通じないか。あとそれ以上締め付けると死んでしまいます。
「まぁ、何をなさっているのですか!?」
少し離れたところから、聞き慣れた女性の声がした。その後、バタバタと慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「その声はジャネットか! 後生だから助けてくれ!」
俺は声を張り上げる。すぐにお助けします、と返事が帰ってきて、ほっと一安心。少しして、女性……ジャネットが側に寄ってきて、アンに語りかける。
「お嬢様、どうかシェロ様からお退きください。女性がそのようなはしたない行いをしてはなりません」
「しかし、シェロが……」
「しかしもかかしもありません! これ以上すると、本当にシェロ様も愛想を尽かしてしまいますよ」
ピシャリと一喝。
アンが背中でびくりと震える。それから一拍して、しぶしぶと言ったように、ゆっくりと俺の上から退いた。
俺は直ぐ起き上がって、肩を回して身体を慣らす。それからジャネットに視線を向けた。
彼女はジャネット・バトラー。
この城で昔から働いている
ダークブラウンの髪を結い上げ、ウィンプルのようなベールで隠している。ハシバミ色の瞳は理知的に瞬いて、こちらを心配そうに眺めていた。
「ジャネットほんと助かった。ありがとな」
「いいえ、とんでもございません。私が御主人様であるシェロ様をお守りするのは当然でございます」
ジャネットはジクムンド様がこの城内において、俺の身の回りの世話をさせるために付けてくれた女中だ。
つまり俺だけのメイドさんなのである。俺にとっては豊かな胸を好きに揉ましてくれる存在だ。アンには秘密だが、既にやることはやっている。いつもありがとうございます。
俺がジャネットに向けて、微笑むと腕を引っ張られた。眉をひそめたアンがジト目でこちらを睨み付けてくる。
「シェロ、でれでれするな」
「してねぇよ」
「している」
「してねぇったら」
してる、してないの不毛なやり取りはその後も暫く続いた。
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