第2話 トキをカケた少女

 日本の、とある場所にて、学生服を纏った灯莉は、親友の長谷部はせべ 彩羽いろはと共に

、手を繋いで並び立っていた。2人の立つ場所は、舗装もされていない岩場。眼前に空を遮るビルは無く、視界を埋め尽くす荒海が広がっている。

 海風に当てられ、2人の体は冷え、髪が揺れる。

 金色のメッシュを入れた、黒いミディアムショートヘア。風に揺れる彩羽の髪は、灯莉が好きでたまらない髪であった。


「ごめん、灯莉……私の、我儘……付き合わ、せ、ちゃって……」


 声も、体も震わせながら、彩羽が灯莉に言う。聞くからにそれは謝罪であるが、灯莉は決して謝罪など求めていないし、彩羽が罪を背負っているとも思っていない。


「こんな世界で永くは生きたくない……そう思ってたのは、ウチも一緒だから」


 涙を浮かべながら震える彩羽とは違い、灯莉はとても冷静で、顔色も声色もいつも通りだった。

 そんな灯莉を見て、彩羽は自分自身に呆れてしまった。


「ダメだね、私……死にたいって……2人で死にたいって言ったの、私なのに……」


 零れる涙を堪えきれない彩羽を見て、灯莉は試しに尋ねてみる。


「……死ぬの、やめる?」


 辞めないとは分かっていた。それでも灯莉は、彩羽の心を確かめる為に、敢えて尋ねた。


「……やめ、ない……ここで辞めたら、私……きっと、独りで死んじゃう……灯莉を独りにさせちゃう……」


 握る手に力が加わり、灯莉は僅かに痛みを覚えた。そして同時に、その痛みの中に溶けた、彩羽の抱く恐怖と決意を感じた。


「ウチを独りにさせる気なら、今すぐ彩羽の手を引っ張って、無理矢理にでも心中してやる」

「…………あり、がと…………」


 その会話を最後に、2人の居た"崖"から人の姿は消え、荒波畝ねる白い海に、2人分の遺体が浮かぶこととなった。


 耳に、鼻に、口に、瞼の裏に、塩辛い海の水が入り込んでくる。その音は、その味は、体内を駆け巡る鮮血を怯えさせ、コンマ1秒毎に迫る死神の足音がより鮮烈に聞こえ始めた。

 海に呑まれて、一体どのくらいの時間が流れたのか。数えられるはずがない。勿論のこと、死んだ瞬間のことも、知るはずがない。

 ただ、確実だったことがある。

 見投げした灯莉と彩羽は、もう助からない。岩をも削る荒波が、見投げした2人の決意を手助けしてくれたらしい。腕を振っても、脚を振っても、2人の体は、決して水面へ触れなかったのだから。


「────────────」


 いつの間にか途絶えた意識が、知らない子供の声に呼び起こされる。何を言っているのか分からなかったが、徐々に、言葉の端々が鮮明になっていく。


「───! ───────!」


 遺体から魂を剥がしに来た、子供の形をした天使だろうか。それにしては酷く騒がしい。


「………………?」


 その騒がしさに、灯莉は思わず────瞼を開いてしまった。


「あ! 起きたよ!」

「生きてる!!」


 否、よく考えたら、おかしな話である。

 海に見投げした筈の灯莉が、瞼を開けられた。

 床も天井も、上も下も無いような水中に居たはずなのに、灯莉の背には、畳の床に酷似した感触がある。

 そして、いつからか其処に居た子供達の、「生きてる」という発言。

 見投げした、死んだはずなのに、子供達は灯莉を見て、生きてると言ったのだ。


「……っ!? 彩羽!?」


 灯莉は、咄嗟に素早く起き上がった。少し脳と視界がふらついたが、そんなことには構っていられなかった。何故なら其処は、海の中でも、病院でも、自宅でもなかった。

 思った通り、畳張りの床。木造と思しき内装。4畳半程度の空間。埃と、傷んだ水のような匂い。照明は無い。あるのは蝋燭の炎。おかげで、其処は酷く薄暗い。

 ここが何処なのかは分からない。ただ一つ言えることは、此処は天国ではない。天国ならば、もう少し明るく、こんなにも埃臭くはないだろう。

 それに灯莉を囲う子供達の服は、天国に住む天使とやらには似ていない。天使が纏うような服ではなく、寧ろ、人が纏う服であった。

 男児も女児も、着物なのだ。夏祭りで羽織る浴衣とは違う。時代劇で見た事のある、遥か昔の人々が着ていた、である。


「……ここ……どこ……?」


 着物を纏った子供達を見て、今に至るまでの経緯を改めて鑑みれば、ある程度は察してしまう。

 見投げとは言え、死という過程を経た者の行先。それは2択である。俗に"あの世"と呼ばれる場所か、或いは"違う時代"か。何方も非現実的でありながら、数多ある作品を参照にすれば、何れかに至るのだろう。

 そして今、死という行程を経過した灯莉は、現代日本とは違う場所に居る。あの世でなければ、此処は現代日本とは違う時代。衣類から推察するに、戦国時代くらいであろう。

 時空とき超越かける少女と言えば聞こえはいい。が、極力行き着きたくはない時代である。何せ戦国時代とは即ち、戦争の時代。日本の歴史には幾つもの戦争があるが、その中でも、歩く武力たる侍が闊歩する、血腥い時代。

 正直なところ、最悪であった。時代を超えるならば、せめて戦争の無い平和な時代が良い。灯莉に限らず、誰もが思うことであろう。


「古い炭鉱だよ。刀匠が使ってたって噂の……というか、お姉ちゃんこそ何処から来たの?」


 1人の少年が言った。その少年の髪は、紫色。


「何処から来たかなんてどうでもいいよ! いきなり現れたんだから、この人はこの刀の持ち主なんだよ!」


 1人の少女が言った。その少女の髪は、緑色。


「凄い! 異能武器は本当に人を呼ぶんだ!」


 1人の少年が言った。その少年の髪は、黄色。


「そ、それより……お姉さん、大丈夫?」


 1人の少女が言った。その少年の髪は、銀色。

 少年少女は、皆、ウィッグでも被っているかのような髪色である。

 不思議な感覚だった。極めて現実的な感覚を味わいながらも、非現実を歩んでいるような気分である。何せ、生まれながらにウィッグのような色をした髪を持つ日本人など、早々現れるはずがない。それも戦国時代に等しい衣類を纏う子供が、このような髪色であるはずがない。


「ねぇ、教えて……この国の名前は? この町の名前は?」


 灯莉の予想は、あの世か別時代。その2択だった。しかし今になって、3つ目の答えが現れた。それも、あの世でも別時代でもない、現状に最も相応しい答えが。

 故に灯莉は問う。己の予測と真実を照らし合わせる為に。その問いに答えてくれたのは、銀髪の少女であった。


時般俱じぱんぐ、です。町の名前は……出琉刃いずるは、です」


 限り無く答えに近い予測が、現実になった。


「……あぁ……そっか……」


 ここは、日本ですらない。


「異世界転生……いや、転移、か……」


 日本に限り無く近い文化の、日本と同じ言語を用いる国。

 その名は時般俱じぱんぐ。そして灯莉の居るこの土地の名は、出琉刃いずるは

 ここは、異世界である。

 見投げという撃鉄が、灯莉を別の世界に飛ばしてしまったのだ。

 しかし何故、灯莉が異世界転移を果たしたのか。その理由は、この子供達が知っていた。

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