冴え冴えと輝く月の光のように【砂漠、パソッカ、糸 】

「はぁ……」


 どこまでも続く砂の海にさくりと一歩踏み出せば、昼間の残滓を微塵も感じさせず、足の裏からさらりさらりと逃げていく。

 日があった時間には、焼け付くような身を焦がすような熱を与えてきたこの場所。

 今は打って変わって、冷え冷えと容赦なく体温を奪っていく。


「はぁ……まったく……」


 何度目かわからないため息を吐く。

 疲れ切った身体はすでに限界で、ばさりと広大な砂の上に身を落とせば、意外にも優しく受け止めてくれた。


 ころりと転がって空を仰げば、煌々と輝く満月が、ことさら大きく柔らかく感じられて。

 それに向かって手を伸ばせば、手首に付けられた無骨な装飾品がシャラリと音を立てた。


 見る人が見ればわかるそれは、魔力封じの腕輪で。

 職業ジョブ・魔法使いのオレにとって、魔力を封じられることは致命的だった。


「……まったく……砂漠のど真ん中に身一つで放り出すとか……殺意高過ぎだろう?」


 そもそもオレの装備はオレのモンだぞ?

 誰が聞いてる訳でもなく、遠慮なく愚痴をこぼす。

 グイグイと腕輪を引っ張ってみても、外れる気配はない。

 当たり前だ。

 これは魔力を流さないと外れない代物だ。

 装着者本人の魔力が封じされている今、別の第三者がいない限り外れるはずもない。

 ……こんな夜の砂漠のど真ん中に、人がいる訳もない。


「あー……くっそ……」


 何が悪かったのか……。


 半分鬱々としながら、今更詮無い事を考える。


 冒険者パーティ『陽光の剣』に加入したことか。

 そのパーティに居た、リーダーの幼馴染だとか言う女に懐かれたことか。

 その結果リーダーに目をつけられたことか。


「でもよぉ。神獣相手に討伐依頼出すバカもバカだし、それを引き受ける冒険者ギルドもバカだし……」


 それを知ってか知らずか、明らかに身の丈に合ってない依頼を受けたパーティリーダーが……一番バカだ。


 現地に行ってみれば、砂漠の民たちが崇める『神獣』がいて(この段階で引き留めたオレは偉いと思う)

 それに微塵も気付かず攻撃を仕掛けるパーティメンバー(いや、気付け? 神獣の知識くらい常識だろ?)

 神獣を攻撃するなんて阿呆なことをしでかして、神獣を庇ったオレをバカ呼ばわりして(いや、どっちがバカだよ。たかだかB級冒険者が神獣に敵う訳ないだろ? むしろオレは神獣からお前たちを庇ったんだがな?)

 命の恩人と言っても過言ではないオレを身一つで砂漠に置いていったとか、どう言うことだよもう。

 ご丁寧に魔力封じの腕環まで付けてさぁ。


「きなくせぇなぁ」


 どれもこれも、本来あってはならないことだ。

 それが実行されたと言うことは……。


「いよいよあの国終わったな……」


 どうせ砂漠の民の恩恵を得られないあの国が暴走したんだろう。

 んで、それに気付きそうな、現に気付いたオレは、こうして殺されかけてるって訳だ。


「あーあ」


 昼間から水すら口にしてない、カラカラに渇いた喉がひりつく。

 手足の体温は砂に奪われて、とっくに感覚はない。


 冴え冴えと輝く月の光だけが、オレを柔らかく照らして……。


「死にたくねぇなぁ」


「おや? 今回の『月の女神の賜り物』は人間なんだね?」

 

 ボソリと呟けば、驚いたことにいらえがあった。


「……だれだ?」


 力の抜けた顔を無理やり動かせば、ぼやけた視界に映るのは銀の光。

 月光を集めたように輝く銀糸のような髪を、ターバンから覗かせた一人の男が立っていた。


「君、死にそうなの?」


「……見りゃわかんだろ」


 元気とは言い難い現状と、これまでの鬱憤もあって、声に剣がのるも、あまり力は入らない。


「困るなぁ。『月の女神の賜り物』に死なれては寝覚が悪いし」


 何かをボソボソ呟く声がだんだん遠くなっていく。

 得体の知れない相手が居るのに、この体たらくでは冒険者失格もいいところだ。

 だけど……もうそんな事心配しなくても……いい……か……。


 さらりと頬に柔らかな糸のようなものが触れて、唇に自分以外の熱が触れる。

 とろりと注がれた温い水滴は、ずっと欲していたモノで。

 餓えた身体がもっともっとと強請る。

 水源を探して大きく口を開けば、それは離れていって……。

 再び触れた時、今度は逃すまいと舌先を伸ばす。

 もたらされた甘露を、喉を鳴らして飲み込んで。


 いつしかオレの意識も闇に飲み込まれていた。



◇◇◇



「いやぁ、神獣様が許してくれて助かったよ」


「それは君がちゃんと神獣様を認識して、阿呆どもから庇ったからだよ」


「それでもよぉ」


 月光色の銀糸のような髪を揺らした美丈夫がオレの顔を覗き込む。

 彼はソラル。

 この砂漠に住まう民たちをまとめるシークの一人で、あの日砂漠で死にかけてたオレを助けてくれた命の恩人だ。


 ついでに神獣に手を出すと言う愚行を犯して、神獣にを付けられていたオレを、神獣に引き合わせて謝罪の機会を設けてくれたのも彼だ。


 その場で誠心誠意謝って、奴らの攻撃で傷を負っていた神獣をオレの回復魔法で治したところ、神獣から許され、も消えたらしい。


 ……神獣の目印が付いたままの他の連中がどうなるかは……オレの知ったこっちゃない。


「君が神獣様の怪我を治してくれたから、オアシスの水も元に戻ったし、僕たちは君に感謝しているよ」


 まぁ、それだけじゃないけどね。


「ん?」

 

 ボソリと落とされた言葉を聞き返すも、ニコリと微笑まれただけだった。


「……それにしても、今夜は随分と……なんだ……」


 あの日からソラルの宮殿で世話になってるが、今日はなんだか特別な日なのか、宮殿中が浮き足立っていた。


 いつもは一人ですます入浴も、宮殿の女性たちの妙な圧力に負けて、色んなところを洗われたし。

 そのあとは、いつも用意されているのとは格段に質がいい真っ白な夜着を着せられて、何故かソラルの部屋に放り込まれた。何故だ?


 二人並んで座って、用意されていた酒に口をつける。

 

 ……何かがおかしい。


「今日は再びの満月だからね。

 みんなも浮かれてるんだ。ほら、口を開けて?」


 そう言ってソラルが差し出した指先には見たこともない菓子があった。

 丸いコインのような形状の菓子は、まるで満月のようだった。

 受け取ろうと手を伸ばせば緩く首を振られる。

 ふにりと口元に菓子が触れて、渋々口を開く。


 ざらりとした舌触りと、ナッツ系の香ばしい風味。

 歯を立てればねっとりとした感触と広がる蜜の甘さ。


 噛んで飲み込めば、口中の水分が持っていかれた気がした。


「っ! 甘っ!?」


 慌てて酒を干してそう呟けば、ソラルはニコリと微笑んで今度は自分の口元を指し示す。


「……なんだよ……。自分で食えよ」


 とかなんとか言いつつ、オレの指はしっかりと菓子を摘む。

 何処か頭の片隅で、遠い昔に聞いた風習を思い出しながら。


「っ!?」

 

 はくりと開いた唇に菓子を押し込めば、ついでと言わんばかりに指先を舐められる。


「っ!……そこにはついて……っ!?」


 ねろりと指を一本ずつ舐められて、ぎゅっと握り込まれる。

 こっちをまっすぐに見るソラルの目には……欲がこもっていて……。


「神獣を知っていた博識な君なら……これが、この菓子が何か識ってるだろう? そして……」


『月の女神の賜り物』は見つけた人間に与えられた運命だって。


 どこまでも真剣なソラルの瞳に、火が吹きそうなほど顔を熱くしながら、オレはこくりと頷いた。


 そしてオレは、ソラルの『花嫁運命』になった。




 砂漠の民の婚姻では、パソッカと呼ばれる菓子が用いられる。

 ナッツを糖蜜で固めたこの菓子を、新郎新婦が互いに食べさせ合う事によって、婚姻が結ばれる。

 これは甘味が貴重であった砂漠の民ゆえの、愛情の伝え方だと考えられている。

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