西崎パンの新名物★シェフの気まぐれ闇メロンパン【メロンパン、パソッカ、闇堕ち】
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パソッカ職人の朝は早い。
日の出前、ブラジルの田舎町にある小さな工房で、リカルド=シルバはピーナッツを丁寧に挽いていた。ランプの灯りに照らされた室内いっぱいにピーナッツの香ばしい香りが漂い始めると、リカルドの手は自然と滑らかに動き出す。砂糖と塩を混ぜ合わせ、独特のホロホロとした食感を生み出す工程に入る。
パソッカは彼にとって単なるお菓子ではなかった。
それは彼の誇りであり、家族の伝統であり、彼にとって唯一無二の生きる理由であった。
しかし、今朝の工房には異質な雰囲気が漂っていた。黙々と作業を続けるリカルドの隣で、姉のエレナがため息をつきながら言った。
「リカルド、また昨日もワイン飲みすぎたんでしょ?」
エレナは、工房の隅に転がるワインボトルを指差した。栓がなくなっているのに気づいて眉をひそめる。
「ああ、悪い癖なんだ。でも、面白いことがわかったよ」
リカルドは笑いながら、自分が昨夜使った奇妙な代用品を持ち上げた。それは彼が作ったパソッカだった。
「パソッカをワインの栓に使ったら、甘さがほんのり移って、意外と悪くなかったんだ」
「え?」
エレナは呆れたように言った。
「そんなことするの、あなただけよ。でも、ちょっと興味あるかも」
リカルドは、目を輝かせて続けた。
「それだけじゃない。この発見で新しいパソッカのアイデアが浮かんだんだ! ほら、甘いのにワインみたいに深い味わいを持つもの。どう思う?」
その日の午後、工房に日本からの観光客が現れた。若い女性で、名前は藤田芽衣と言った。彼女はブラジル中を旅して地元の名産を探し、それを日本に持ち帰りたいという夢を語った。
「パソッカは初めてです。どんな味なのか、とても楽しみで」
芽衣は一口食べると、目を見開いて叫んだ。
「これはすごい! 口の中でほどけるような食感がたまりません!」
リカルドは微笑んだが、パソッカの断面をじっと見つめる芽衣の熱心な視線が気になった。
「私は日本でメロンパンを作る職人なんです。パソッカのこの食感と甘さを、メロンパンの生地に取り入れたら面白いと思って」
リカルドは驚いた。
「メロンパン? それはどんなものだい?」
芽衣はスマートフォンを取り出し、メロンパンの写真を見せた。リカルドはしばらくそれを眺めてから頷いた。
「興味深い。でも、パソッカとパンを合わせるのは簡単じゃないよ」
芽衣は情熱を込めて言った。
「でも、どうしても試したいんです。リカルドさん、協力してくれませんか?」
芽衣の熱意に押され、リカルドは協力することにした。
試作を重ねる中で、二人は数々の失敗を経験した。パソッカをそのまま生地に練り込むと、ホロホロしすぎて形を保てない。かといって粉末状にすると、ピーナッツの風味が薄れてしまう。「なにかが足りないんだ」リカルドは頭を抱えた。
芽衣はふと目を輝かせた。
「リカルドさん、昨日言っていた、ワインにパソッカを使った話……あれって、ヒントになるんじゃないですか?」
リカルドは一瞬驚いた後、笑った。
「たしかに。少しだけワインの風味を生地に加えたら、深みが出るかもしれない」
そうしてできあがったのが、ワインの香りがほのかに漂う、パソッカ入りメロンパンだった。
一口食べた瞬間、二人は顔を見合わせて笑った。
「これは……成功だ」
ところが、その成功は新たな葛藤を呼び込んだ。芽衣がこの新作を日本で売り出そうと考えていると知ったとき、リカルドは内心複雑な気持ちに襲われた。
「この味は僕たちが一緒に作ったものだ。なのに、日本で芽衣が一人で名声を得るのか?」
彼の心には、暗い感情が広がり始めた。
そしてある夜、リカルドは工房に残り、一人で新たな試作に取り組み始めた。
「芽衣がいなくても、もっとすごいパソッカを作れるはずだ……」
彼はワインやスパイスを使い、パソッカそのものを新たな次元に昇華させようとした。
しかし、どれだけ試しても、芽衣との試作を超える味にはならなかった。
翌朝、工房にやってきた芽衣は、リカルドのやつれた顔を見て驚いた。
「リカルドさん、どうしたんですか?」
リカルドは苦笑しながら、正直に話した。
「僕は嫉妬してたんだ。君がこの味を持ち帰ることに。でも、君がいなければ、この味は生まれなかった。それがわかったよ」
芽衣はしばらく沈黙した後、微笑んだ。
「だったら、二人で日本に行きませんか? 一緒にこの味を広めましょう」
リカルドは驚いたが、芽衣の言葉には嘘がなかった。
「ああ……そうだね、一緒に行けたらどんなに素晴らしいか……」
リカルドは悩んだ。芽衣と試行錯誤をくりかえした濃密な日々は、彼にとってかけがえのない宝物のような時間だった。
「だけど僕にはシルバ家のパソッカを受け継いでいく使命が」
「いいんじゃないの? この町のパソッカ作りなら、あたしに任せておきなさい」
「エレナ!」
姉に背中を押され、リカルドは決断した。
「君がそう言ってくれるなら」
こうして、二人は新たな挑戦を始めることにした。ブラジルの田舎町で生まれた小さな夢が、日本の大地でどのように花開くのか、それはこれからの話だ。
闇に飲み込まれそうになりながらも、二人が作り上げた光の味――それは、甘く、深く、そしてどこまでも優しかった。
§
「――っていう話を考えてみたんだけど、どうです店長?」
街角の小さなパン屋の厨房で、バイトの藤田芽衣は自信満々に胸を張った。
幼馴染の店主・西崎翔太は、難しい顔をして額を押さえている。あまりお気に召さなかったようだ。
「誰だよリカルドって」
「リカルドはリカルドだよ」
芽衣は肩をすくめた。とっくに勤務時間は終わっているのだから、敬語はもういいだろう。残業代でも請求してやろうか。
「翔太が言い出したんじゃん。新作のメロンパンが売れそうにないからどうにかしてくれって」
赤ワインなんか派手に零すからだ。せめて白にしておけばバレなかったのに。
「せめて俺を出せ、俺を。いや問題なのはそっちじゃない。誤発注した大量のピーナッツの方だよ!」
「えー……我が儘だなあ」
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薄明かりの台所に、ひとりの男が立っていた。彼の名前は西崎翔太、地元では名の知れたメロンパン職人だった。彼の焼くメロンパンは外はサクサク、中はふんわり、そして口いっぱいに広がる優しい甘さで、多くの客を魅了してきた。
しかし、彼の心は今、深い闇に囚われていた。
全てのきっかけは、ある海外のお菓子「パソッカ」との出会いだった。知人がブラジル旅行のお土産にくれたピーナッツ菓子。その素朴で濃厚な甘さに、翔太は衝撃を受けた。
「これだ……俺のメロンパンに足りないものはこれだったんだ!」
翔太は、パソッカを使った新作メロンパンを試作し始めた。しかし、いくら試しても、理想の味には程遠かった。メロンパンのふんわり感とパソッカのホロホロとした食感が噛み合わないのだ。何度も試行錯誤を繰り返す中で、彼の神経はすり減り、苛立ちは募っていった。
ある夜、翔太は町のパン祭りで出店していた。隣のブースでは、新進気鋭の若手パン職人が人気を集めていた。その彼が出していたのは、なんと「ピーナッツクリーム入りメロンパン」だった。パソッカではなかったが、翔太が追い求めていた要素を見事に取り入れた一品だった。
「これは俺が先に思いついたのに!」
嫉妬と怒りに駆られた翔太は、その場を後にした。夜道を歩きながら、彼の心は次第に暗い方向へと傾いていく。
「もう誰にも負けたくない。もっと、もっと特別なメロンパンを作らなければ……」
翌日から、翔太のメロンパン作りは変わり始めた。彼は焼きたてのメロンパンに、隠し味として微量のパソッカを練り込んだ。だが、もっと強烈なインパクトを求めた彼は、次第に常軌を逸した材料を探し始める。ピーナッツの代わりに香ばしい木の実や、甘さを引き立てる特殊なハーブ。
さらには、自分だけが知る「禁じられたレシピ」を作り上げるために、夜な夜な闇市で怪しい調味料を手に入れるようになった。
そして、ある日ついに完成した「闇のメロンパン」は、その名の通り、異様な魅力を放つパンだった。一口食べれば虜になり、二口目を食べる頃にはその味の虜になる――そんな恐ろしいパンだった。
翔太の新作メロンパンは瞬く間に評判となり、店の前には長蛇の列ができるようになった。しかし、彼の心は喜びに満たされるどころか、深い孤独に沈んでいった。
「俺のメロンパンを愛してくれるのは、果たしてパンそのものなのか、それともこの闇の力なのか……?」
そんな折、翔太の店を訪ねてきたのは、かつて彼が尊敬していた老舗パン職人、石田だった。
石田は一つのメロンパンを手に取り、じっと眺めた後、静かに言った。
「翔太、このパンには確かにお前の努力が詰まっている。しかし、このパンの味には、お前自身が感じている『迷い』が混ざっている」
その一言に、翔太の心に押し込めていた感情が溢れ出した。彼は自分のメロンパン作りが、いつの間にか純粋な情熱から、歪んだ欲望へと変わってしまっていたことに気づいたのだ。
それから数週間後、翔太の店の看板には新たなメニューが追加されていた。「パソッカメロンパン」と名付けられたそれは、闇の力を使わない、自然な甘さと香ばしさを生かした一品だった。
客足は以前ほどではないが、それでも翔太のパンを愛する人々が訪れる。翔太は静かに、しかし確かな手つきでパンを焼き続ける。その顔には、かつての情熱と穏やかな笑みが戻っていた。
翔太のメロンパンは、再びその地で愛され続けるだろう――光と影、どちらも抱きしめた味わいとして。
§
「だから石田って誰だよ!?」
「石田は石田だよ」
芽衣は肩をすくめた。
「とにかく、私はもう上がるから。ポップはもうこれでいいでしょ」
『シェフの気まぐれ闇メロンパン~ワインとパソッカを添えて~』
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