メロンパンには諸説あり
「店長。すごいですね、これ……」
閉店後の事務室にて。
監視カメラの映像を見ていたバイトの成田さんは、思わず口に手を当てた。
普段は無感情な彼女が、切れ長の目を見開いている。こんな風に驚くだなんて意外だった。まあ俺なんて、驚くどころか腰を抜かして気絶しそうになっていたんだけれども。
俺と成田さんが見ていたのは、パン屋の裏手。深夜の暗視機能で撮られた映像には、はっきりと何者かに荒らされる一部始終が記録されていた。
水色で丸形ポリ容器の
中に入っている売れ残りの廃棄したパンが宙に浮き、三回ほどに分けて消えた。
それが何個か続いたかと思いきや、またぞろゴミ箱の
まるで何事も起きていなかったかのように。
だけれど、これは、間違いなく――
オカルトだ。
怪奇現象だった。
「警察案件じゃなかったですね」
「うん。ホームレスとかイタズラの方が、よっぽど良かったよ」
よりにもよって人生初の怪奇現象に出くわすとは。参ったな。いくら売れ残りのパンとはいえ、どうしたものか。
ちらりと成田さんを
真剣な眼差しと、作業着であるエプロン姿とのミスマッチさに、何故だか笑ってしまいそうになる。
「店長、これ巻き戻してもらってもいいですか」
「え、ああ、もちろん構わないけど」
怖い映像とか苦手なんだよな――と内心で思いつつも、成田さんのリクエストに応える。
うわ、やっぱりパンが消えてるよ。それも結構な勢いで。
「……メロンパン」
「ん?」
「気付きませんか店長。ほら、わざわざメロンパンだけを選んで、食べてる」
「食べるって、おいおい」
「そうとしか考えられなくないですか? きっと私達じゃ見えない何かに、食べられたんですよ」
急にメルヘンチックになったな、この子。冷静ではいるようだけれど。とはいえ、こうして認知した以上、
成田さんが言うように意識して見てしまったら、そうとしか思えなくなる。
「幽霊……妖怪……メロンパン泥棒……」
「捕まえよう、とか思わないでくださいね。そんな度胸も無いでしょうけど」
「うん、まあ。でも、このままってのもなぁ」
都合のいい廃品回収として割り切れるほど、ずさんにはなれそうもない。これでも個人経営の店長だからな。それに、もし
なんとかしないと。しかし相手が常識外の類だと、変に刺激してしまうのもダメな気がする。
「店長、困ってます?」
「顔に出やすいからねぇ、俺」
おどけて呟くと、成田さんはコホンと軽く咳払いをして、なんだか照れ臭そうに口を開いた。
「……もし良ければ、私の
「そりゃ助かるけど」言いつつも、俺は考え直して「それって、どういう?」と問いかけた。
成田さんが帽子を取ると、折りたたまれたセミロングの黒髪がなびく。そして女子高校生らしからぬ冷笑を浮かべ、すっと姿勢を正した。
「私の父、
🍈 🍈 🍈
「どうもどうもぉ、
「あ、いや、ご丁寧にどうも。こちらこそ娘さんには助けられっぱなしで。お忙しい中、昨日の今日で申し訳ありません。よろしくお願いします」
互いに深々と頭を下げる。成田さん――もとい文子さんの父親は、なんてことない普段着で店に訪れた。やけに腰の低い人だ。親子で似た切れ長の目でも、周作さんの方は丸眼鏡と絶えない笑みで、印象が和らいでいる。
「早速ですが、映像を拝見させていただいても?」
「もちろんです」
今度は三人で映像を確認する。周作さんは時より『なるほど』やら『これは珍しい』と声に出していた。何かに気付いたのは間違いなさそうだ。
映像内で一通りの荒らし行為が終わると、周作さんは所在なさげに俺の方を見た。
「こちらは低級の妖怪――
「妖怪、ですか。ほんとに。名前は聞いたことがあります」
「本来は死肉をあさる妖怪でして……ほら、道路で動物が
「何故かウチのメロンパンを食べている、と」
「ええ」
真顔で返されると、もはや疑う気すら起きない。ただ今は、どうすればいいのかという不安だけが胸を占めている。
「その、お
「ご期待に
「そう、ですか」
一歩進んで二歩下がる。落胆する俺に思うところがあったのか、文子さんは父親の
周作さんは途端に焦りだし、ぎゅっと目を閉じて、どうにか知恵を絞っていた。よっぽど娘が怖いのか、こめかみに冷や汗が伝っている。
沈黙からの閃きは数秒で。
「で、ですが何の対策も無いわけじゃありません! 店長さん。ここは一つ、ご提案があるのですが」
「俺に出来ることなら何でもします」
「それは
そうして、世にも奇妙なメロンパン泥棒に対する作戦会議が行われた。
🍈 🍈 🍈
今回の騒動を結論から話すと、餓鬼によるメロンパン泥棒は、翌日からパタリと止んだ。
霊験あらたかな札を貼ったりだとか、神主のスーパーパワーで結界的な何かをしたわけでもなく。
パン屋らしく、商品の改良をした。
より具体的に言うと、メロンパンを丸型から
なんてことない。それだけで餓鬼は来なくなった。
「まさか、売れ残りのメロンパンが『パンに思われてなかった』なんてオチだとはな」
「妖怪って人間の常識が通じないらしいですよ。だから形だけしか見てないんだそうです。というより、『メロンに似ている』というのも諸説あるのですが」
文子さんはレジの清算をしながら、淡々と返事をした。
「俺のメロンパン、そんなに不格好だったか?」
「私からはノーコメントです」
「そもそも売れ残ってたからなぁ……」
人間は元より、妖怪だって勘違いはする。
惣菜パンで使った生肉のカスと、『あれ』に形が似ていたメロンパンを一緒のゴミ箱に入れていたのが発端で。
腐臭と形さえ組み合わさってしまえば、餓鬼は死肉だと思い込む。
しかし誰が予想できるってんだ。
丸いメロンパンの
「ショックだ……俺のパンが……」
「でも、おかげで売り上げは増えましたね。ほら、今日は売れ残ってないですよ」
文子さんはピラっと清算された伝票を俺に見せてきた。心なしか、口元が少し笑っているように思えるのは、俺の勘違いだろうか。
「確かに。これで変な噂も立たなくなるってことで、一件落着だな。周作さんにも礼をしないと」
「いえ、それでしたら結構です」
「何で?」
理由を訊かれ、文子さんは渋々といった感じで顔を
「家系の問題で、私も『ああいう類を呼び寄せてしまう』んだそうです。だから、店長は悪くないです。父が二つ返事で来てくれたのも、そう。むしろ、こうなったのも私の
そういう、ことだったのか。
俺は――これから何回、彼女に驚かされるんだろうな。
たぶん今までも、こういう理不尽な目に遭ってきたに違いない。
誰にも信じてもらえなくて。誰かに頼ろうともせずに。自分の感情を押し潰して。
ばつが悪そうにしている文子さんに、俺は出来るだけ柔らかく言葉を
「たった一人のバイトが抜けたら、ウチが回らなくなっちゃうよ。もう半分は乗っ取られているようなもんだしな。ああいう存在が世の中に居ると分かった以上、こっちからお願いしてでも居て欲しい」
それにな、『店のパンが好きだ』って面接で言ってくれたのは、君が初めてだったんだ。
持ちつ持たれつ。多少の面倒は、お互い様じゃないか。
そんな俺の表情を読み取ってか、今度こそ本当に微笑む文子さん。
ガラス張りの店内が、まるで何かを隠すように夕焼けへ染まっていった。
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