『河童の皿』
べべん
三味線が響く舞台上。
浅草の外れにあるこの小さな劇場『書読座』は、今日もまた賑わっていた。
舞台には『噺家:愁風亭享楽』と見事な筆で書かれた文字。
誰が書いているかなんて誰もに気にしないが、実は享楽自身で書いているのがひそやかな自慢だった。
さて、そろそろ時間か。
享楽は両手に息を吹きかけながら、ゆっくりと舞台袖の階段を上がって行った。
皿 皿 皿 皿 皿
お~さむさむ。よっこいしょ。
はいはいどうも、愁風亭享楽です。
いやはや寒い季節になって参りましたね。みなさん体調はどうですか?
私はね、今朝の電車でカイロを落としてしまいまして、手がつららのように冷えております。
この『書読座』には暖房もついてますし、客席のほうは暖かいでしょう? 上着は脱いでリラックスして下さいね。そうそう、そういう感じでいいんです。落語なんてのは堅苦しいもんじゃあないですから、退屈になったら寝りゃ良いんですよ。あ、でもイビキはだめですよ。そしたら私の手を首の後ろにピタ~っと当てて起こしてあげますからね。
じつは今日は舞台上がね、寒いんです。
どうやらこっちのエアコンが壊れたらしくて、暖気が来ないんですよ。さすがに寒すぎてさっき施設のひとに言ったら「享楽さんはいつもサムいんだから慣れてるでしょ」って言われちゃいましたよ、あはははは……っておい何笑ってんだい。いま笑ったあんたたちの顔ぜーんぶ覚えたからね。サゲで笑ってなかったら笑うまで何回でも話しますからね? 私が凍死する前に笑ってくださいよ。舞台上で凍死なんてイヤだからね。
とにかくね、エアコン壊れて寒くなってるから、今日は『河童の皿』って小噺をしようと思います。聞いたことない? 冬の川辺で河童が子どもに皿を割られて、寒いから皿の代わりに頭に乗せるものを持ってこいって言う話です。新作落語じゃけっこう人気なんですって。
河童が現代にいるのかって? さあ、私は見たことないですよ。泳げないんで川には近づかないようにしてるんです。けどまあ、一匹くらいいるんじゃないですか?
今回出てくるその子どもはね、私と違って泳ぐのが大好きなんです。泳ぐのも川で遊ぶのも好きで、いつも学校帰りに友達を連れて河川敷に行ってたんですよ。
でもその日はたまたま友達みんな用事があって、ひとりで川で遊んでたんですね。
川ってのは流れがありますから、ゴミなんかもたくさん流れてくるわけです。その子……タケシって名前にしておきましょうか。タケシは流れて川岸に浮いていたゴミのなかに野球ボールを見つけたんです。
タケシは野球ボールを拾って、おもむろに川に投げたんです。いまは大谷翔平が大人気ですからね、ボールが目の前にあった真似したくもなりますよ。えいやってね。
そしたら何かが割れる音がして、川の真ん中あたりから人影のようなものが物凄い勢いで、ざざぁ~と泳いでくるじゃありませんか。
それはもう見事なバタフライです。泳ぐのが好きなタケシも惚れ惚れとするくらいの整ったフォームでね。さてはさぞ名のある競泳選手か――と思ったら、残念ながら河童だったんです。
タケシは「なーんだ河童か。北島じゃないのか」と肩を落としたんですよ。
もちろん河童のほうはキタジマなんて妖怪に覚えはないですからね、こう答えます。「おい小僧、オイラの皿をどうしてくれる」
そう言って見せた頭頂部の皿は、それはもう見事に割れていたんです。
「この白い球がぱっかーんとオイラの皿を割ったんだ。小僧、このオトシマエをどうしてくれる。川の底に引きずり込んでやろうか?」と河童がまくし立てるもんですから、タケシは怖がってとっさに謝りました。
「ごめんなさい!」でもね、タケシは知っています。大人の機嫌を取るにはとにかく褒めればいいんだとね。「とっても素敵な水かきですね!」
すると河童は驚きました。
「ほう。オイラの水かきの良さがわかるか。目の付けどころが違うねぇ」「わかります! その曲線美がすばらしいです!」
タケシは持てる限りの語彙を尽くして河童を褒めましてね。するってぇと、河童も気を良くするわけですよ。
「よし、そこまで言うなら大目にみてやろう。だがオイラも皿が割れたままだと寒くて風邪を引いちまう。皿の代わりに頭に乗せるものを持ってくると言うのなら、小僧を許してやる。だがもし用意できなければ尻子玉を抜いてやるから、覚悟せぇ!」
「は、はい!」
タケシは尻をきゅっと閉めて、慌てて走り出しました。
タタタタと土手を駆け上がり大急ぎで訪れたのは、もちろん警察署。タケシは大声で叫びます。「川に不審者がいます!」
たーくさんの警察官を引きつれたタケシは、川辺で座り込んで割れた皿の破片を並べて待っていた河童を指さします。「あの河童です!」
警察たちはすぐに河童に手錠をガシャン。
「おい! オイラは河童だぞ! 不当逮捕だ!」と河童は叫ぶものの、警察に連れて行かれてしまいました。
河童はその日、留置所で一晩を過ごす羽目になってしまいました。
日は明けて、書類送検だけで釈放された河童が川に戻ってくると、なにやら大きな箱を抱えたタケシがいるじゃありませんか。
河童はすぐさまタケシに駆け寄って、目くじらを立てて叫びます。「おい小僧! 人の皿を割った挙句に逮捕させるなんて、一体どういう教育受けてるんだ!」
タケシは胸を張って即答します。
「義務教育です!」
「そりゃそうだ!」
つい自分の膝をパシンと叩く河童ですが、河童も冗談を言いたかった訳ではございません。「この生意気な小僧め、問答無用に尻子玉取ってやろうか」
するとタケシは「でも、暖かい部屋で一晩過ごせたでしょ?」と悪びれる様子もないんです。
河童は自分の寒い頭を撫でながら、「確かにそうだが、そういう問題じゃねえ」「まあそう怒らないで。お皿の代わりになるものを持ってきましたから!」「ほう、偉いじゃねえか。ちゃんと良い教育受けてるみたいだな」「義務なので!」
教育のたまものってやつだね。
タケシが持ってきた箱のなかには、色んなものが詰め込まれてるようでしてね。タケシはその中から綺麗な皿をひとつ手に取り「これはどうです?」と河童に手渡します。
河童はその皿を頭に乗せると、すぐに顔をしかめました。
「こりゃダメだ。いままで大事にされ過ぎて、オイラの頭に乗せた瞬間からワガママ言いやがる」
タケシは首をひねります。
「皿が喋るんですか?」「そりゃ喋るさ。この国じゃどんな物にも魂が宿るってんだからな」「じゃあなんて喋ってるんですか?」「『こんな寒くて危険な場所はイヤですわ!』だってよ。温室育ち皿め、お高く留まりやがって」と河童は皿をタケシに返します。
ならば、とタケシは別の皿を渡します。
「こっちの皿はどうですか?」「どれどれ……いや、こいつもダメだ。こいつは水道水に慣れすぎて川には入りたくないんだとよ。潔癖皿め」「ならこっちは? これは新品ですよ」「どれ……なんだと、河童の皿になるのは不安で底がはち切れそうだって? はち切れられたらオイラも困る」
その後もタケシが家から持ってきた皿や、その他いろいろ頭に乗せられるものを試すものの、どうにもイマイチ。河童もつい愚痴が漏れてしまいます。
「どいつもこいつも文句ばっかり言いやがって……」
「じゃあこれはどう? 河童のおじさん」
「誰がおじさんだ誰が……っておい! 亀じゃねえか!」
手渡された亀を慌てて箱に投げ捨て、後ずさる河童。その慌てようは尋常じゃなく、タケシが「どうしたの?」と心配そうに河童の顔を覗き込んだら、河童は「おっかねえ……生き物だけは乗せちゃいけねぇ!」と震えています。
「どうして?」
「生き物はもとから意思があるから、オイラの皿になったらその生物に意識を乗っ取られちまうんだ。しかも亀なんてのはもってのほかだぜ……くわばらくわばら」
「おじさんも亀みたいな見た目してるのに?」
「似たような甲羅は背負ってるがな……小僧だって猿と一緒にされるのはイヤだろ。そういうもんだ」
「なるほど」
確かに見知らぬ猿が自分の脳を乗っ取って生活を始めたら怖いな、とタケシは亀を水槽にしまいました。
結局、色々と試したものの、河童が満足するものがどうしても見つからない。物を乗せればは文句ばっかり言うし、生き物は体を乗っ取られるから論外だ。
「文句を言わない物を見つけないとなぁ」
タケシはその瞬間、閃きました。「そうだ! おじさん、ちょっと待ってて!」とどこかに走っていきます。
タケシがコンビニで買って来たのはメロンパン。
河童はギロリと睨んで、
「おい小僧。こんなモンひとつで許してもらおうってのか?」
「ちがうよ。頭に乗っけてみて」
どうせまた文句言われるだけだと半信半疑でしたが、タケシの言うとおりメロンパンを頭に乗せてみます。
その瞬間。河童の耳には予想外の言葉が聞こえるじゃありませんか。
「こりゃどういうこったい? 文句言うどころか、ぜひともオイラの頭にくっついておきたいんだとよ。小僧、一体何をしたんだ?」
河童が尋ねると、タケシはこう言いました。
「文句は文句でも、ウリ文句になると思って。本物のメロンは高かったけど、メロンパンなら僕でも買えたから」
「ははぁ。こりゃ一本取られたよ」
河童は上機嫌になって、メロンパンを頭にぎゅうっと押さえつけました。新しい皿は決まったみたいで、これで一件落着ひと安心。
「じゃあな小僧! 次からは川に物を投げるなよ!」
「うん、気をつけるよ!」
河童とタケシは、手を振って別れました。
翌日のこと。
川の下流で、濡れてボロボロに崩れたメロンパンが発見されたんですって。
その後、川で遊んでた口達者な子どもが、風邪気味の河童に怒られながら連れて行かれたそうな。
これぞまさしく、
てなわけで、おあとがよろしいようで。
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