家守


「乗っ取られちゃったみたい」


 そう言ってヒンヒン泣いているのは家守やもりである。ヤモリといっても、あの小さな爬虫ではなく、文字通り家の守り神だ。宵待よいまち荘なるこのアパートはまだ築年数が浅いので、家守も手のひらに乗ってしまうほど小さな、真珠のようにきらきらした鱗と玉虫色の目、ぜんまい・・・・みたいに丸まった尻尾を持つ龍の姿をしている。

 俺はお化けとか妖怪とかが見える体質だ。ここに越してから、家守とはたまにお茶をする仲になっている。


「乗っ取り? そんなことあるの?」


 俺は尋ねながら、食べかけのメロンパンのクッキー部分をむしって家守にあげた。彼はしばらくぱりぽりとクッキーを齧ってからため息をついた。


「たぶん向かいの家のやつだよ」


 向かいには非常に古い家屋が建っていたが、最近解体されてしまった。そこを守っていた家守が宵待荘に目をつけて、まだ弱いうちの家守を追い出そうとしているようだ。


「どうするの?」

「どうしようもない」

「逆に追い払っちゃえば?」

「無理だよう!あいつ、けっこう年寄りだもん、強いんだ」


 そしてまたヒンヒン泣きながらクッキーを齧り始めた。

 俺はメロンパンを包み紙に置いてたたみかけた。


「じゃあ、せめて他所に行ってくれって言いに行こうよ」

「どうせ『お前が出てけ』って言われるう」

「でもさあ、ここで泣いてても向こうが追い払いに来るかもしれないでしょ? ならこっちから行った方がよくない?」

「んんんんんんん」


 家守は紙の上のメロンパンに顔を埋めてうめいた。ついでにむぐむぐという咀嚼音が聞こえたので、俺はパンを奪い取りながら言った。


「頑張ったらメロンパンまるまる一個、買ってあげる」

「まるまるいっこ!!」


 家守の玉虫色の目がきらっと輝いた。食い気がすごい。


「ね?ところで、その年寄りはどこにいるか分かる?」

「……空き部屋にいる」


 俺は残りのメロンパンを口に押しこんで立ち上がった。


「じゃ、行こうよ。待っててもしょうがないし」

「んーんー」家守は渋った。

「なに?」

「先にメロンパンくれたら、元気が出るかも」

「だめ」

「いじわるう」



 ともかく、俺たちは空き部屋に向かった。

 家守はものすごくやりたくなさそうにドアノブに乗って鍵穴をチェックした。


「開いてるう……」

「よかった」


 俺は家守を摘み上げ、ドアノブを回して中に入った。

 空っぽの部屋の中に、そいつは確かにいた。

 燻し銀の鱗を身にまとい、ぐるりと曲がった角と赤く輝く眼を持つ、虎くらいの大きさの龍。


「狭そう」というのが、俺の正直な感想だった。


 龍はギロリと俺たちを睨み、低い声で言った。


「何の用だ」

「出て行け!」俺の肩に乗った家守が甲高い声で叫んだ。「ここは僕のうち!!」

「……俺の威を借るのやめようね」と俺。

「青二才どもめ」龍が唸った。

「あのね」俺は言った。「おたく、向かいにあった古い家の家守だった?」

「……いかにも」

「で、行き場がなくなってここを乗っ取ったの?」

「ふん」龍は不服そうだ。

「出て行け!」と家守。


 龍が鱗を逆立てて威嚇し、長い尾がピシャリと壁を打った。ちび家守は「ヒィン」と俺の髪の毛の中に隠れてしまった。

 俺は龍を眺めた。確かに大きくて立派な妖怪だが、明らかに疲れ切っていて、怯えを虚勢で覆い隠しているようにも見えた。

 ちょっとかわいそうに思えた俺はダメ元でちび家守に言ってみた。


「宿無しも大変だから、しばらくここに居てもいいんじゃない?」

「いやだよう……」

「たぶんすぐに新しい家が建つと思うしさ。ねえご老体、そしたら出てってくんない?」

「なぜ俺が出て行かなきゃならん」

「そもそもここ、おたくのアパートじゃないじゃん」


 龍は唸ったが、一瞬「それはそう」みたいな表情になったのを俺は見逃さなかった。


「駐車場になるかもしれん」とりあえず龍はごね続けた。

「駐車場の妖怪にはなれないの?」

「それでは家守ではない!!」


 龍はにべもなく言い放ち、今度は俺が「それはそう」という顔になった。


「参考までに、家を失った家守ってどうなるの?」

「消える」龍の答えは短かった。


 消える。なんなら彼はもう消えかかっているのかもしれない。


「じゃあさ、ペット的な感じでうちに居てもらうのは?」

ペット・・・」龍はおそろしく低い声で繰り返した。

「あ、いや、ごめん。一応おたくが消えずに済む方法を考えてるんだけど」

「新しい家を探すのは?」家守が口を挟んだ。

「そこまでしたくないなあ」

「お主は親切なのかものぐさなのか、どっちなんだ」と龍。


 しばらく考えてから、俺はふと浮かんだ疑問を口にした。


「ていうか、一個の建物に二匹家守が居るのはだめなの?」

「二?」また低い声で龍が言った。

「妖怪の数え方とか知らないから!で、二……ふたり居ちゃだめなの?」

「分かんない……」と家守。

「縄張りを持ってこそ家守」龍は言ったが、何か根拠があるわけではないらしく、語尾にうっすらとクエスチョンマークが付いていた。

「えっと、そもそも『乗っ取り』って状態になってるのは?おたくの方が強いから?」

「うむ」

「なんかそれ『共同支配人』的な感じにできません?」

「なんだそれは」

「俺も分かんないよ。でもシンプルにさ、こんなちっちゃくて可愛い子を追い出してかわいそうだと思わないの?」

「の?」と、最大にいたいけな表情を作ったちび家守。

「ふん……」龍は目を逸らした。乗っ取っといて後ろめたかったんかい。



 話し合い(?)の末、龍は宵待荘の一階、ちび家守は二階を持ち場とすることに決まった。乗っ取り状態もその取り決めで丸く収まったらしい。

 ……が、二匹とも基本暇らしく、よく俺の部屋に入り浸っていた。これは「ペット的な感じでうちに居る」ってことじゃなかろうか。

 今日も今日とて二匹は小競り合いをしている。


「僕の!!!メ!ロ!ン!パ!ン!!!!!」


 ちび家守が叫んだ。ちび家守にあげたメロンパンを龍がぱくりと一飲みにしてしまったのだ。


「ふん」龍は舌なめずりをした。

「うわあああぁぁん!!!」ちび家守は体の大きさからは想像できないような声量で泣き喚いた。

「うるさいよ」


 俺は注意したが、二匹とも聞いていなさそうだ。なお、龍はジジイらしく落雁や最中などを好むため、メロンパンを食うのは純度一〇〇%の嫌がらせである。


「やっぱりやだよう、出てってよう」ちび家守はヒンヒン訴えた。

「お主にここが守れるものか」


 それは確かに、と俺はこっそり思った。ちび家守は守ってあげたくなるが、正直こっちが守られている感はない。まあ、ジジイが闇バイトとかから守ってくれる気もしないけど。

 龍が元いた場所はまだ更地で新しい家は建っておらず、しばらくこの生活が続きそうだ。ずっとこのままでもいいような、早く出て行ってほしいような……。

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