メロメロメロンパン
「あ、じゅま、しゃま、アジュマしゃまぁぁぁ〜〜〜!」
涙と鼻水で顔をべしょべしょにしながら境内に転がり込んできた
面倒ごとの気配に溜息を
「おい、それ大丈夫か、死体か?」
「ちが、たしゅけ、ハァ……ハァ……」
「ちょっと待ってろ」
神社の裏手にある井戸で水を汲み、持っていってやると、カンナは地面にへたり込んだまま桶の中の水をゴクゴクと一気に飲み干した。
ぷはぁと大きく息を
ズビズビと鼻を
それが今日会いに行ってみれば、訳の分からないことを叫び散らして発狂していたため、慌てて糸でぐるぐる巻きにしてここへ連れてきたと、そういうことのようだった。
「面倒臭いな」
「うう……」
アズマは
彼がカンナと出会ったのは数年前。女郎蜘蛛に成り立てで上手く身体を使えず、森で自分の糸に絡まって
それ以来、何かと助けを求められるのだが、正直面倒だった。
ただ、小さくて弱い生き物が目の前で苦しむのを無視するのも気分が悪い。
これみよがしに大きな溜息を吐いてから、男を観察した。
糸を
パチッと目を開いた男は、自分の置かれている状況を理解する気もない様子で勢いよく喋り出した。
「メロンパン! メロンパンを食わせろ! メロンパン! メロンパァン!」
「はァ?」
「ほら! 変れしゅ!」
「変どころの騒ぎじゃねぇよ、なんだこいつ」
男の目はあらぬ方向を見たまま、アズマやカンナのことなど気にもしていない。
糸に拘束されているというのに、そんなものなどないかのように歩く動作を繰り返している。
まるで何かに乗っ取られたかのようなその姿に、アズマは顔を
「普通の人間だったんだよな?」
「あい……
「うーん、妖の気配はしねぇなァ……幽霊にでも取り憑かれたか?」
「あ……この前、
アズマの呟きに、カンナが手を挙げて答える。
その言葉に、アズマの眉間のしわが一層深まった。
「ったく、なんで人間てのは自分から面倒ごとに首突っ込むんだァ? でもまァ、そんならさっさと行くぞ」
「へ?」
カンナの尻から伸びた糸を長い爪でぷつりと切ると、アズマは男を誰もいない社務所に放り込んだ。
糸の隙間から手を突っ込んで、ズボンのポケットに小銭入れを見つけて取り出す。
正気を取り戻せるなら、メロンパンを買う金くらい安いものだろう。
立て付けの悪い引き戸を閉めて、社務所全体を結界で覆った。鍵は随分前に壊れてしまって、それ以来そのままだった。
普通の蜘蛛と同じくらいの大きさになったカンナを肩に乗せ、神社を後にする。
「メロンパン、買いに行く」
「めろんぱんって何れすか?」
人間の姿になって街を歩きながら、カンナにメロンパンのことを教えてやる。教えると言っても、そういう名前のパン、食べ物があるのだという説明くらいしかできないのだが。
カンナはアズマの着ているシャツの胸ポケットで目を輝かせていた。
少し歩くとバターのいい香りが漂ってきて、目当てのパン屋に到着する。
アズマは米の方が好きなのだが、パンが好きな友人と共に何度かパン屋で買い物をしたことがあった。
慣れた手つきでトングを掴み、トレイにメロンパンをふたつ載せる。
値札の隣には焼きたてと書かれた札が刺さっていて、運のいい幽霊だなと口の端で少しだけ笑った。
男の小銭入れから代金を支払い、紙袋を持って神社に帰る。
目覚めていたら面倒だなと思ったが、男はまだ社務所の中で気絶したままだった。
男を境内の地面に座らせ、頬を叩く。
意識を取り戻した男がまた叫び出す前に、目の前にメロンパンをぐいっと突き付けた。
「ほら、望みのもんだ。メロンパン。食え」
「むぐ」
叫び出さんと開かれた口にメロンパンを突っ込むと、男はもぐもぐと食べ始める。
すると、何か考え込むように眉間にしわを寄せ、キョロキョロと眼球を動かし始めた。暴れ出すことはなかったが、念の為そのまま見守った。
もぐもぐもぐもぐ……
メロンパンをひとつ丸ごと平らげた男は、身体をぶるぶると振るわせ、一際大きな声を上げた。
「メロン! 入ってない!」
ぱたり。
再び気を失った男が次に目覚めた時、彼は普通に戻っていた。
どうして神社にいて、なぜ拘束されているのか全く分からぬ様子の男を適当に誤魔化して解放し、バレないようにポケットへ財布を戻してやる。
アズマに頭を下げながら帰っていく男を見送って、カンナは普段の大きさに戻って笑った。
「よかったぁ……。ありがとぉ、アジュマしゃま」
「おう、もう肝試しには行くなって伝えとけ。ありゃ入られやすすぎる」
「あい!」
元気よく返事をしたカンナに、もうひとつ買っていたメロンパンを差し出した。
きょとんとした顔のカンナが、アズマを見上げる。
「めろんぱん、食べていいれすか……?」
「食べてみかたっただろ」
「あい……へへ……」
パフッとメロンパンに齧り付いたカンナは、一瞬固まった。
それから一心不乱に食べ尽くし、パンくずのひとつも落とさなかった。
前足でくしくしと口の周りを綺麗にし、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。
「おいしかった!」
「そうか、そりゃよかったな」
「あい!」
その日から、カンナは人に化ける練習をするようになった。
まだ少ない妖力を必死で練り上げて変化するカンナの頭の中は、メロンパンで埋め尽くされていて。
しかし、パン屋にメロンパン好きの少女が通い詰めるようになるのは、まだまだ先の話である。
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