ひとり暮らしの同居人

「私の同期を食っているのかと思った」

 同居人が俺の手元を見ながら言った。


 一人暮らしなのに、二人暮らしだった。やけに家賃が安かったのは、同居人﹅﹅﹅がいるからだった。事故物件ではないと聞いていたのだが。


「事故物件ではないな。この部屋で人が死んだという事実はない」

「大家さぁん、部屋に幽霊が出まぁす」

「幽霊ではない。妖怪だ」

 天邪鬼あまのじゃくと名乗った。どういう妖怪なのかは、およそ察しが付く。事情は知らないがこの部屋に住み着いている。


「天邪鬼ってそういう妖怪だっけ?」

「天邪鬼にもいろいろいる」

 本当だろうか。しかしこの世界で彼は天野と名乗って、簡単な人間生活を送っているという。妖怪であるがゆえに、物にも干渉できる。天野は何も食べなくても死にはしないが、腹は減るらしい。


「だが私に戸籍はなく、家賃を払えるほどの稼ぎもないので、大家の許可をもらい、ここに住まわせてもらっている」

「大家もグルかよ。最悪すぎる」

 一応多少の家事はやってくれるので、私は天野にわずかばかりの食べ物をやって共同生活を送っていた。とはいっても私の稼ぎでは大層な食べ物は食わせられない。半額のかっぱ巻きを買って帰ったら、天野が同期は食えないと言い出した。


「かっぱ巻きに、かっぱは使われていない。代わりにキュウリが使われている」

 世間では使い倒された笑い話だが、天野には初耳だったらしい。妖怪に同期の概念があるのもよく分からないが、少なくとも天野の同期は使われていない。


「お前、寿司はキュウリしか買えないくらいに給料が安いのか?」

 そうだ。しかも半額のかっぱ巻きしか食えない。

「転職したらどうだ。チヴァ」

「チヴァじゃない。千葉だ。いい加減発音を覚えろ」

 妖怪の癖にいっちょ前に転職という単語を知っているのも正直腹立たしいが、その提案には乗れなかった。俺はこの安月給の会社を辞められない。

「俺は仕事ができないからな。転職は仕事ができる奴がすることだ」


 仕事が出来ないのに置いてもらっているだけ、ありがたいと思わねばならない。なんなら俺よりも、俺のかけている眼鏡の方が仕事をしているとさえ思う。


「お前が仕事をする様子を見てみたい。お前の仕事場を見せろ」

「勘弁してくれよ」

 天野にそう言われて、俺は苦笑した。職場についてこられたらたまったものではない。


 §


 翌日のことである。俺は数日前に適当に作った資料を印刷し、小さな会議に臨んでいた。若手が集められる会議で、新しい企画案があれば、それを簡単にスライドにして上司に見せる。俺を雇うような、ゆるい会社の会議なので、当然ゆるい。


 別にお偉いさんが来るわけでもないから、あらかじめ上司に目を通してもらうようなものでもない。というか、今こうして目を通して貰ったものを、ブラッシュアップして上に出すためのもので、毎回必ずすごいプレゼンをしなければいいものでもない。出せば昇進に繋がるが、出さなくても減給されるわけではない。


 そんなに仕事の得意でない俺は、出さないことの方が多かった。同期の桜井は、毎度必ずスライドを出して一目置かれていた。

 そんな桜井は今回は何を出すのだろう、と漠然とスクリーンを見ていたら、知っている資料が出てきた。


 桜井が出した資料は、俺が作っていた資料と同じものだった。


「千葉はどうだ。見せるスライドはあるか?」

「ありません、今回も」

 俺は半笑いで上司に答えた。


 俺は自分の手元の資料に目を落とした。全く同じスライドを、桜井の後に上司に見せるわけにはいかない。確かに俺は不用心にも資料を机の上に置いていて、取ろうと思ったら取り放題なのは知っていた。

 まさか俺のしょうもない資料を取られるわけがないと高をくくっていた。


「……桜井、お前」

「ごめん、どうしても時間がなくて。これが通ったら仕事も増えるしさ、千葉はなんか忙しそうだったし、今回は別に出さなくても良さそうだったし。申し訳ないけど、この企画は俺に譲ってくれる?」

 こうして、俺は企画を乗っ取られたのである。


「……大したことじゃないんだ」

 カップラーメンを買って帰って、六畳一間の中央に置いたちゃぶ台に頬杖をついて、天野にこぼした愚痴は、俺自身に語りかけるものでもあった。


「俺が損したわけじゃない。二時間くらいで軽くスライド作っただけ、しかも仕事がない暇な時間に作ったスライドだしな」

 それでも腹が立たないわけではなかった。

「抗議しろ。証拠はないのか」

 俺は首をゆっくりと横に振った。証拠がないわけではない。会社のパソコンに記録は残っているだろう。しかし――。


「桜井には、たびたび助けられてるんだ。あいつは仕事がよくできる。俺が何か言っても、みんな桜井の方を信じるだろうし、ここで桜井に文句を言って仲が悪くなった方が、長い目で見ると俺が損をする」

 桜井はそれも織り込み済みなのだろうと分かった。いつも俺を世話してやっているから、ちょっと資料をもらうくらい構わないだろう、と。


「大した資料じゃない。だから、俺は怒っちゃいけないんだ」

「大した資料でないのなら、奪う必要はなかろう。お前は奪われたんだぞ」

「出さなくたってよいのなら、奴は出さぬ選択をするべきであった。やはりお前の資料を乗っ取る道理はない」

「あいつは毎回スライドを出したいんだよ、それが評判だからな」

「ならば、毎週すらいどを作ればよい」


 天野の言葉が正論なのは分かっている。でも俺は社内でそれに文句を言えるほどの立場ではない。正論を言われると、俺がただただヘコむだけである。俺は返事をしなかった。ごろんと寝転がって天井を見上げる。蛍光灯が切れかかって、ちかちかと瞬いた。


 §


「あ、天野……」

 翌朝、会社に知っている顔がいた。

「タ○ミーで来ました! データ入力をします。よろしくお願いします!」

 顎が外れるかと思った。目の前のアルバイトを名乗る青年は、他でもない天野である。


「な、なんで……」

「仕方ないだろう、募集していたんだから」

 天野は目を細めて笑った。天邪鬼の名前は伊達ではないと思った。

「ここに来て何する気だよッ」

「見たいのさ、お前の仕事ぶりをな」

 天野は俺の頬をつんつんとつつく。俺は天野の指を乱暴に振り払った。


「ほら、あるじゃないか。お前が資料を作っていたという証拠が」

 天野は案外パソコンを使えて、というか俺が教えてやったのだが、頼まれたデータ入力の仕事もせずに俺の資料のファイルを開いた。

「おい。そんなことしたら怒られるぞ」

 俺のしょうもないスライドだろうが、社内の機密情報であることには変わりない。アルバイトに使うファイル以外は、決して触ってはいけないと厳命されているはずである。

「下手したら損害賠償請……」


「すみませぇん、なんか出てきたんですけど!」

 俺の説教を天野はすべて無視した。俺が作った方の資料を勝手に印刷して、俺の上司に持っていった。もちろん、俺の上司はアルバイトの担当ではない。社員ではない見知らぬアルバイトが何かを持ってきたのを、よく分からなそうな顔で受け取った。


「これ、なんかバイトの子が持ってきたんだけど、知ってる? これ作ったの?」

 上司はちらりとそれを見たらしい。確かにその資料には俺の名前が書いてある。面倒なことに巻き込まれた。

「前に新規企画のプレゼンを聞いた時と内容が同じだけど、なんで同じなの? 見せてもらったの?」

「そうではありませんが……」

 面倒なことになった。


 一瞬、面倒ごとに巻き込まれたくないがために、諸々の事情を全て嘘で塗り固め、やろうかと思ったが、残念なことに俺の頭の回転では、聡明な上司を騙し切ることは難しい。


 俺は全ての流れを正直に話した。俺の資料の作成時間を見せると、上司は意外にも俺を信じてくれた。

 話をしながら、あいつに悪意はないだろうと、なぜか俺はあいつを節々で庇っていた。それは恐らく、やはり面倒ごとをなるべく起こしたくないという気持ちが湧きあがったからだった。


「おかえり」

 天野がにやりと笑った。その表情は邪悪で、彼が天邪鬼と名の付く妖怪だったと久し振りに思い出した。

「全部わざとだろ?」

「当然だろう。私はチヴァが家で泣くのが不愉快なのだ」

「泣いたことはねぇだろ」

 天野のせいでこれから多少の面倒に巻き込まれることは確実であり、覚悟は決めつつも、それは意外と不愉快なものではなかった。


「いいんだ。私に戸籍はないから、全部やり遂げたとしても金は入らない。バイトの私がやったのだから、チヴァは決して恨まれない。機密……とやらを勝手に印刷して、損害……なんちゃらを請求するなら、やってみるがよい」

「万一、俺んちに請求が来たらどうするんだよッ!」

 来ないことは分かっている。うちの会社は、俺を雇うような緩い会社だから。


「……ありがとうな」

「もうかっぱ巻きは食いたくない」

「なんで? 同期を食べたような気になるから?」

「酢飯にきゅうりは合わない」

 飯をもらっている分際で、贅沢な妖怪である。


「……でもいいか。お礼に、好きなものを買ってやるよ」

 俺は途中で道を変え、スーパーに歩いて行くことにした。

 閉店前のスーパー、大抵の総菜には半額シールが貼られている。しかし天野はぽてぽてと総菜コーナーの前を去り、パンコーナーの前で立ち止まった。天野が指をさしたのは、一つのメロンパンである。

「前の住人が買ってくれた果物の名前が書かれている」

 悪かったな。俺が引っ越してきてから、メロンを買ったことがなくて。


「言っておくが、メロンパンにメロンは入ってないからな」

「何ィ? メロンの同期が、同期を食べているのではないかと杞憂するぞ」

「メロンの同期ってなんだよ」

 俺はきつねうどんのカップ麺を手に取りながら苦笑した。


 きつねうどんにも狐が入っていないのを、天野は知らない。教えてあげねばならないな、と俺はこっそりとほくそ笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る