涙、吐息、溶け合って、雨。

「あの人、またいる……」

 気付いたのは、つい最近。


 高校から程近い場所を流れる川。

 その土手をずっと伸びる歩道を通るとき、自然と見下ろす位置にあるベンチ。そこにいつも同じ女の人が座っているのだ。肌寒そうな白いワンピースにスラッとした身体を包んで、晴れた日でも墨で塗ったみたいに真っ黒な髪をした、たぶん20代くらいの人。

 わたしが通るときはいつも、朝早いときも、舞の部活待ちで遅くなったときにも、ずっと座っている。

 気付いてしまうと、意識しないようにしていてもついつい視線が向いてしまう。そうすると、本当にいつでもいる。何だろう、あの人……。


「妖怪だったりして~? ほら、いるじゃん、川に子どもを引きずり込むやつとか」

「さすがに河童じゃないでしょ……それにうちら、子どもって歳じゃないし」

「そう~? 沙希さきって昔から子どもっぽいけどなぁ」

「……何言ってんの」

 いろんな抗議を込めて、努めて辛辣に聞こえるように言ってみる。けど、わが愛すべき幼馴染みはそんなの意に介さないように、ニヤニヤしたままだ。

 ……人の気も知らないで。


 わたしはこの幼馴染み、高瀬たかせまいが好きだ。友達じゃなくて、恋愛対象として。

 けど、そう思ったときには既に友達としての関係が出来上がりすぎていて、そこを変える勇気も持てずに今に至る。


 一応、わたしなりにアピールを試みているつもりだ。なるべくくっついてみたり、『舞ちゃん』呼びを『舞』に直してみたり。あと舞がSNSを見て『この子可愛いよね~!』と言っていたモデルの服とか髪形とかも、できる範囲で真似してみたり。

 けど、効果は今のところない。昔から背が高くて何となくお姉ちゃんっぽくて、いつも前に立って手を引いてくれるタイプの舞に甘えっぱなしだった過去のわたしが、舞のなかのイメージとして固定化されてしまっているらしい。

 そういうのを壊したい気持ちと、慣れた居心地のよさとで乱れっぱなしな心は、自然と浮き沈みも激しくなる。今だって、舞の前だからいつも通りにしているけど、ひとりで同じことを考えていたらちょっと泣いていたかも知れない。そんなとこ見せたらまた昔から続くお姉ちゃんムーブで『子どもっぽい幼馴染み』として扱われてしまうに違いない。


「ふぅ……」

「なんか深い溜息じゃん。どしたん、話聞こか?」

「ヤリ目のチャラ男か」

「ええ、大事な沙希をそんなのに渡せないな~」


 そういうこと気軽に……!

 面白がられそうだから顔になんか出さないけど! そういう冗談めかした言い方でも『大事な』と言われるとちょっと嬉しくなる、単純な自分が恨めしい……!


「そーゆーの、他の人に言わないでよ。他人のフリしたくなるから」

「言わないってぇ~」


 どうだか。

 入学してすぐ陸上部のエースに抜擢されて、更に横行していた後輩いびりまでなくしたという現実離れした活躍をした舞は、部の内外で人気者になり、本人の実態以上のカリスマ的存在になっていた。男女問わず舞への好意を抱く生徒はいるし、わたしに相談してくるような子もいる。当たり障りないこと言って追い返しているけど、正直気が気でない。

 そこんとこわかってくれてるのかな、この幼馴染みは……半ば恨めしい気持ちで見つめ返すと、「可愛い顔してるよね~」と微笑まれる。くぅっ!


 どうにか主導権を握ろうとしても、いつも舞に敵わないまま、わたしばっかり勝手に負けてしまう……そんな平和な毎日が続くと信じて疑っていなかった、けど。

 事件が起きたのは、そんな心臓に悪いやり取りをした、すぐその後だった。


「あれ、ない……!?」

 確かに持っていたはずのスマホが、どこを見てもなかった。え、さっきだって帰り道に舞と休日の出かけ先とか話しながら見たりしてたのに!

 ありえない事態に頭がクラクラしながらも、どうにか記憶を辿って、最後どこまで使ってたかを思い返す。

「……あの土手辺りかな」

 確か、あのベンチの人を見つけるまでは使ってた記憶がある。手元を見ずにスマホをしまおうとして落としたのかな……音とかしそうなのに、全然気付かなかったな。


「舞拾ってないかな……」

 通話してみ……そのスマホがないってば!


 仕方ない。

 もうすっかり暗いけど、スマホがないと不便だし、放置は危なすぎる。覚悟を決めて土手に戻ったわたしが見たのは、真っ暗な河川敷でベンチにまだ座っているあの人の姿だった。

「え……、」

 明らかに普通ではない気配に、心臓が早鐘を打つ。思わず後退ずさりしそうになったけど、スマホは見つけなきゃだし、どうしよう……!


「どうしよう、舞……」

 思わず呼んでいた名前に応えるように足音が聞こえて。次の瞬間、目の前に白いワンピースが立っていた。

「ひっ」

 声を漏らしたわたしの前に差し出されたのは、確かに失くしたわたしのスマホで。怖がったのを申し訳なく思いながら「すみません」と言って、スマホを受けとる。

 そのときだった。


「名前」

「……え?」

「さっき呼んでいた名前は、あなたの大切な人のお名前ですか?」


 初めて聞いた声は、鈴を転がすように綺麗で。

 ついさっきまで警戒していたことも忘れて、わたしは思わず「はい」と答えてしまっていた。

「そうですか……」

 声も綺麗なら、憂いを帯びた表情でわたしを見つめる顔も嘘みたいに綺麗で。つい見とれていると、その顔がずい、と距離を詰めてきて。


「羨ましい」

「え?」

 綺麗な声が、小さく拗ねたような、どこか可愛い響きで耳を打つ。見ると、明らかにわたしよりも年上なその人は、まるで小さい子みたいに頬を膨らませて「いいなぁ」と呟いた。


「あの、なんですか?」

 失礼かもだけど、なんだか可愛い。庇護欲に近い気持ちで話を促してしまったわたしに、「私ね」と彼女が答える。


「私、あなたとさっきの名前の子みたいな関係に憧れてるんです。昔から体が弱くて、誰かと遊ぶなんてしてこなかったから……」

「はぁ……」

「友達って素敵なんでしょう? ずっと一緒で、なんでも気持ちが通じあって! きっと一生の宝物なんだろうなって……羨ましく思ってたんですよ」

「そうでもないですよ」


 あ、なんか水差したかな。

 一瞬思ったけど、口に出したら止まらなかった。


「長く友達してたって伝わらないことあるし、関係近くなりすぎると言えなくなることもありますよ。向こうが気付いてくれないかななんて思っても気配全然ないし、てかわたしのことどう思ってんのとか、ここまでいろいろ考えてるのわたしだけかよとか、もう考えると止まんなくなるんですよ、ほんとに。もう、なんかなぁ……」


 あ、やばい。

 辛くなってきた。

 日頃のもどかしさ、ダラダラしてきた後悔、そういう感じのものが、どんどん口から溢れてくる。

 目頭が熱くて、喉も少しヒリヒリして、ほぼ初対面みたいな相手を目の前に、自分でも引くくらいに泣いてしまっていた。さっきまでうるさいくらい「友達」への憧れを語っていた彼女は、ただそばで黙ってわたしの話を聞いてくれて。


「すみません、愚痴ばっかで。えっと……いろいろ言っちゃったけど、友達って、……悪くはないんで。お姉さんがそういう相手見つけられるといいなっていうのは、ほんとですよ。……説得力ないかもだけど、」

「ありがとう、話してくれて」

「え?」

 彼女は、信じられないくらい優しい笑顔を向けて微笑んでくれて。わたしの手をふわっと包んだ両手は、周りの寒さを忘れるほど温かかった。


「これからも私はここにいるから。もしあなたが……あ、ごめんなさい、お名前は? 私はね、新崎しんざき真緒まおっていいます」

「あ、えっと……福嶋ふくしま沙希さきです」

「そう、沙希さんね。よろしくお願いします」

「……はい」

 さっきまでボロボロ泣いていた相手に、なんて笑顔を向けて来るのだろう。ちょっと苦手な人だな……そう思いながら挨拶を返していると。


「私のことを好きになってくれなくてもいいの」

 突然、心を読んだような言葉が返ってくる。

「でも、あなたが苦しいままでいるのは辛いから。苦しくなったら会いに来てくださいね。愚痴でもいいし、憂さ晴らしでもいいし。なんでも受け入れるから」

 真緒さんの笑顔は、寒気がするほど綺麗で。

 帰った後も、舞と通話しているときも、ずっと頭から離れなかった。それからも、まるでわたしの日常を乗っとりに来たみたいに、ずっと頭のなかに残っていて。


 だから、抗いたかったのかも知れない。

 真緒さんと出会ってからあの川沿いを通らなくなったし、更に今日は、舞と帰る約束まで取り付けた。

『いつも帰ってるし、約束とかよくない?』

 首を傾げる顔もいい……いや、違う。

 確かに約束なんてしなくても舞はわたしと一緒に帰っているけど、それでも敢えて約束をしたのは、きっと他よりわたしを優先してほしかったから。好物のメロンパンも買うからと釣って、だけど本心までは伝えてなくて。


 けど、舞は部活の後輩からの呼び出しに応じてしまった。

「ごめん、なんか大事な話あるって。なんか思い詰めてたらいけないから行ってくる」

 残念そうに言う舞は、でも、きっとわたしと同じだけの気持ちではいてくれていない。

 何故だろう。

 今日は改めてそれを感じた。

 なんか、いいや。


「わかった。行ってきなよ」

「ほんとごめん、終わったらソッコー戻るから!」


 上履きの足音が、窓を叩く雨音に紛れていく。

 予報外れの雨。

 教室の窓から見下ろす景色に、思わず姿を探して。


 やっぱり、いた。

 いつでも受け入れると言ってくれた顔が、見計らったようなタイミングで校門の外で笑っている。


 真緒さんは、本当に妖怪か何かなのかな。

 外からわかるわけないわたしに向かって笑顔を向けて、手まで振っている。


 きっとこれは気の迷いで。

 明日になればまたいつも通り、舞に惹かれて。

 伝わらない気持ちにやきもきする。

 そんな毎日は、変わらず続くはずだから。


「今日だけだから。ごめん」

 何謝ってんだろ、意味なんてないのに。

 届くはずもない言葉を小さく呟いて。


 窓の外まで近付いてきた彼女の笑顔に、はっきり頷き返した。

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