俺の彼女はかわいいニセモノ
俺の彼女はとてもかわいい。
「はいよ、メロンパン」
あたたかな日の光が差し込む、食堂の窓辺。
そこで俺を待っていた彼女は、八重歯を見せてニコッと笑った。かわいい。
「わぁ! ありがとー!!」
「ほんと好きだなぁ、メロンパン」
「だって美味しいんだもーん。今まで食べた中で一番大好き!」
売店で買ってきたばかりのメロンパンを俺から受け取るなり、ぱくり。
その食べ方は豪快で、恐ろしいくらいの大口を開けて食べる。けれどほんの少しの下品さがむしろかわいかったりするのだ。
思わずしばらく見惚れていると、彼女が俺に食べかけのメロンパンを突き出してきた。
「たっくんも食べる?」
「あー……うん。じゃ、もらうわ」
「間接チューだね! 漫画ってヤツで見て憧れてたんだ、こういう場面!」
なんてことない
まるで初々しい恋人のようなやり取りだな――と。
こう見えて、付き合いは長い。恋人関係になったのは中学二年生の頃、今から三年も前の話になる。
彼女の家は、親が大きな会社の社長だから、ごく平凡な家の生まれである俺とは格が違う。それによって色々な思いをしてきたが、付き合い続けていて本当に良かったと思う。
だって
*
人は変わっていくものだという。
例えば、頑固だった男が歳を経て柔和になるだとか。遊び歩いていた若者が何かのきっかけで真面目になるだとか。
けれど彼女は、一夜で変わった。
悪魔のような女だった。
クラスの中ではふわふわ微笑み、誰にでも分け隔てなく接する優しい天使。けれど俺と二人きりになると表情を変えた。
『ねぇ、どうしてそんなこともできないの?』
『あんたのできなさっぷりを見てるとむしゃくしゃする』
『出来損ないの分際で私に話しかけないでくれる?』
彼女は俺の前では滅多に笑わなかった。ずっと睨まれ、毒を吐かれてばかりいた気がする。おそらく、それが彼女の本性だったのだろう。
『あんたは私に相応しくない』
『私は優しいから、あんたの恋人でいてあげてるの。感謝しなさいよ』
恋人といっても、それらしい愛の言葉を囁き合ったりはしなかった。思えば、愛称はおろか、付き合い始めてからは名前すら呼ばれたことがない。
恋人になる前までは、よそ行きの顔で微笑まれたこともあったが、もはや記憶の彼方の思い出だ。
『あんたって顔だけはいいじゃない? だから、侍らせてるとステータスになるの。つまりあんたは私のお飾りってわけ』
お飾り。道具。奴隷。
そんな風な扱いを受けながら、俺が何も抵抗できなかったのは、彼女が怖かったからだ。
別れたいと言い出そうものなら、周囲の人間をうまくそそのかして袋叩きにされるのが目に見えていた。それほど彼女の外面だけは完璧だったと言える。
俺をストレスの捌け口にすることでその完璧さは保たれていたのだが、誰も知ることはなかった。
中学を卒業し、異なる高校に行くことで彼女から離れようと考えた。けれども合格した高校が急に廃校になり、結局同じところに行く羽目になったのは、おそらく彼女が金に物を言わせて仕組んだに違いない。
その時点で、俺の心は挫かれた。
一生、彼女の玩具になるのだと思った。ヘラヘラと笑って、心を殺して、受け流して生きていくしかないのだと。
それから扱いはますますひどくなり、彼女のためのショーとして虫を食べさせられたり自殺未遂をさせられたり、拷問まがいのことをされて――。
『いいことを思いついた』
片方の口角だけを上げて、ニヤリと笑った彼女の表情を、今でも忘れられない。
何が「いいこと」なのか理解したくもないが、呪われると噂の心霊スポットに連れて行かれ、スマホ片手に送り出された。
普通ならば高校生が外出してはならないド深夜のことである。
『しっかり撮ってきなさい。たっぷり怯えて、せいぜい私を楽しませて?』
そのあとのことはよく覚えていない。
気がついたら、目の前に妖怪らしきものがいた。モヤがかかったようになって姿形がわからなかったが、それでも、この世のモノではないことは直感でわかった。
推定妖怪は俺を見下ろしていた、気がする。俺もそれから目が離せなかった。
「かわいそう」「かわいそう」「痛い?」「つらい?」「どうして笑ってる?」「変な子」「かわいそうね」「かわいそう」
そして、たくさんの声が聞こえた。女のようにも男のようにもどちらでもない何かにも聞こえる声たちは、俺を憐れんでいたのだろうか。
どれほど見つめ合っていただろうか。
不意に、いつの間にか地面に落ちていたスマホから彼女の声がした。
『どうしたの? それは何?』
するすると、妖怪が俺を通り越してスマホの方へ向かう。
俺はただ見守っていた。妖怪がスマホを覗き込み、彼女が悲鳴を上げても。妖怪がスマホに触れても。妖怪がスマホの中に吸い込まれ、彼女の悲鳴が途切れても。
ただ、見守っていた。
もしかすると全部夢だったのかも知れない。
普通に考えて、そんなことがあり得るとは考えづらいからだ。精神的に疲労しきっていた俺が見た悪夢あるいは幻覚と言われた方が信じられる。
けれど、その次の日から、確かに彼女は変化したのだ。
今までのことなんてなかったかのように、「たっくん」と俺を愛称で呼び、甘える。
睨みつけてくることも、嫌な笑い方をすることもない。
売店の菓子パン――貧乏人の食べる物だと言って嫌っていたそれを当たり前のように頬張る、かわいらしい女の子が、そこにいた。
周囲は困惑した。俺だってそうだ。
それでも、あの夜のことを問い詰めることはしなかった。そうしたら元通りになってしまうような気がして。
――もしも本当に、あの悪魔を乗っ取ってくれているのだとしたら。
ずっとそのままでいてほしい、そう願わずにはいられないのだ。
たとえ、俺の想像が及ばないほど悪い妖怪だったとしても。甘い言葉で欺かれているに過ぎなかったとしても。
「たっくん、何考えてるの?」
「いや。なんでもない」
「ふーん……。あっ、そろそろ授業始まるよ。行こう?」
そろそろ昼休みが終わるらしい。
彼女の声で我に返った俺は、ひょいと差し出された手を取った。
その手はやはり、この世のものとは思えない冷たさをしていた。
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