陽太とケナルイ

 陽太の放課後は、おやつを買いに走ることからはじまる。

 走って帰ってランドセルを玄関に放って。お母さんが靴箱に置いてくれるおこづかいをつかんだら、さあ楽しい時間のはじまりだ。


「きょうのおやつは何にしよ〜」


 歌いながら道を歩く。

 陽太はもう小五だから、買い物なんてひとりでよゆー。

 駄菓子屋のうすっぺらいカツは月曜に食べたし、火曜はスーパーの焼き芋だった。

 それじゃあ水曜日の今日はどうするか……。

 

「あ! 『ぱんや』が開いてる!」


 ぶらぶら歩いていた陽太は気がついた。道路の向かいにある小さな家の扉に、小さな小さな看板がぶら下がっている。

 看板に手書きされているのは『OPEN』の文字。

 気まぐれにしか開かない店なのに、今日は運がいい。


「今日のおやつはパンだ! おじさーん、なに焼いたのー?」

 

 陽太はおこづかいを握りしめて、おじさんの家に飛び込んだ。


 〜〜〜


 がっさがっさとビニール袋が揺れる。

 満足のいくおやつが手に入って、陽太はごきげん。


「おやつが手に入ったら〜次はどこで食べるかだ〜」


 来た道を戻るのなんてつまらない。

 どうせ帰っても日が暮れるまでひとりきり。


 だったら遊んで帰らなきゃ、と陽太はせっせと寄り道。

 家と家の隙間をすり抜けて、窓の向こうからきゃうきゃう吠える犬に手を振って。道路の真ん中ににょっきり生えた大きな木の周りをぐるっとまわり。誰もいない神社の裏をすり抜けて、明るい表通りへ。


「さあて、そろそろおやつの時間!」


 公園でブランコをこぎながら食べようと決めた。

 家の近くの公園はさびたブランコと少しの広場があるだけ。遊ぶには狭くてつまらないから、いつだって誰もいない。

 陽太のおやつスポットのひとつだ。


 きぃこ、きぃことブランコを揺らし、袋の中身を取り出す。

 『ぱんや』で買った本日のおやつは、さくさくふんわりメロンパンだ。


「お〜れのメロンパ〜……ん!?」


 わくわくと取り出してかぶりつこうとした陽太は、目を丸くした。

 メロンパンの真ん中に大きな穴が空いている。お店で選んだ時にはそんな穴、もちろん無かった。

 大事な大事なメロンパンの真ん中に空いた穴の先、ふっかり生地があるはずの場所もがらんどう。

 そこに、ちまりと目が見えた。


「なっ、なんだお前!」


 虫じゃない。

 黒まだらの毛で覆われた白い生き物。カブトムシ位の大きさの、そんなおかしな生き物が、メロンパンの真ん中に穴を開けて居座っていた。


「これは俺のメロンパンだぞ!」


 出て行け! と陽太が怒る。

 けれど、黒まだらのふわふわは、ぴゅうとメロンパンの奥に引っ込んでしまう。つまみあげようと手を伸ばしても、あっちへちょこちょこ、こっちへちょこちょこ逃げていく。

 出て行くつもりは全くないようだ


「俺のメロンパンが乗っ取られた!」


 叫んだ陽太は袋のくちをぎゅっとにぎりしめ、駆け出した。


「ちいばあちゃーん!」


 飛び込んだのは公園のすぐ隣にある一軒の家。

 古くて小さなその家に一人きりで住んでいるのは、ちいばあちゃん。小さいばあちゃんだからちいばあちゃんだ。


「陽太くんいらっしゃい」

「ばあちゃん、これ見てよ!」

「メロンパンだねえ。穴の空いた」


 ちいばあちゃんはふしぎそう。

 いっしょにのぞき込んだ陽太は、びっくりして叫んだ。


「ああっ、いなくなってる!」


 メロンパンの真ん中にぽっかり空いた穴のなか。

 そこにいるはずのあの黒まだらがいない。


「どこだ? どこいった。パンの下か?」


 ここに来るまでの間、袋はしっかり閉じていた。ぎゅっときつく握っていたんだから間違いない。


 だったら逃げ出せるわけはない。

 どこかに隠れているはずと、陽太は袋をのぞきこみ、横からにらみ、下から見上げる。

 だけどあの黒まだらのもふもふは見つからない。


「どうしたんだい?」

「ここに変なやつがいたんだ! 俺のメロンパン、乗っ取ったんだ! 白と黒のまだらの毛がもふもふしてて、目玉がついたちっちゃい変なやつ! そいつが俺のメロンパンに穴あけてたんだよ!」

 

 信じてほしくていっしょうけんめい伝えたら、ちいばあちゃんが眉をひょいと持ち上げた。

 

「あら、ケナルイが出たのね」

「けなるい?」


 聞いたことのない言葉だ。

 ちいばあちゃんはすぐそばの戸棚に手を伸ばす。取り出したのはちびた鉛筆。

 裏が白い広告をぴらりと机に置いて、鼻に眼鏡を乗せた。


「ケナルイはね、決まった色は無いんだけどこういう形をしていて」


 かりかりかり。ちいばあちゃんの手が動いて、紙の上に線が引かれる。

 あっという間に、黒まだらのふわふわが描かれてく。


「そう! これ!」


 ちいばあちゃん、絵もうまいんだ。さっき見たやつそっくりに描いてくれた。


「こいつが俺のメロンパンに穴をあけてたんだよ。それで中から出てこないから、捕まえてちいばあちゃんに何なのか聞こうと思ったのに……」


 ちいばあちゃんはなんでも知ってる。

 陽太が給食のカレーを服につけてしまった時も「お日様がきれいにしてくれるよ」と教えてくれた。

 さんすうでわからない問題があっても、お手玉のなかの小豆を出して並べて教えてくれた。

 陽太の服のボタンがとれた時も「縫い方、教えてあげようね」と針と糸の使い方を教えてくれた。


 だからきっと今回も、どうしたら良いか教えてくれる。

 わくわくしながら見つめる陽太に、ちいはばあちゃんは言った。


「ケナルイはね『うらやましい、ねたましい』って意味の言葉なのよ。陽太くんがメロンパンを持ってうれしそうにしているのが、うらやましかったのね。かじって穴を開けて、自分のものにしちゃったのねえ」


 うんうん、と頷いてちいばあちゃんは続ける。


「勝手にいなくなったなら良かった。厄介な妖怪だもの。メロンパンは残念だったけど、忘れてしまうのが一番だよ。どれ、ばあちゃんが代わりのおやつを作ってあげようね」

「え! それだけ!?」


 陽太はびっくりした。

 いつもはどうしたら良いか、いっしょに考えてくれるのに。「忘れてしまえ」なんて、言わないのに。


 だけどよっこらせ、と立ち上がったちいばあちゃんは、ちまちま歩いて台所へ行ってしまう。

 本当にお話はおしまいらしい。


「そんな……」


 その時、陽太はひらめいた。




「おやつできたから、取りにおいで〜」


 〜〜〜


 ちいばあちゃんの作ってくれた揚げもちを袋に入れて、陽太は出かけた。

 

「ん〜、さっくさくでうまい! ちょっと塩味なのがまた、いくらでも食べられちゃうよな」


 はしゃぎながら揚げもちをつまんで歩くのは、公園から『ぱんや』までの道。陽太が通ってきた道をさかのぼって、ぐねぐねうろうろ歩いている。


 そうして陽太は神社の裏へたどり着いた。さっきと同じく、神社にはやっぱり誰もいない。いない、はずなのに。


 かさり。

 陽太は物音に顔をあげて、伸び放題の木の根に目当てのものを見つけた。


 ──いた!


「あ〜おいしい! こんなおいしいもの他にないよねえ」


 さくさくもぐもぐ。

 おびき寄せるために大きな声で言いながら食べれば、木の根の陰からケナルイがもふりと姿をあらわした。

 灰色をしたふかふかの毛の間からのぞくふたつの目玉が、じいっと見ている。

 

「おいしいなあ」


 ケナルイがもぞりと近づく。

 陽太は揚げもちをむしゃり。

 ケナルイがもぞり。

 もひとつ揚げもちをぱくり。

 ケナルイがもぞりもぞり。


 もっと来い。もっと近くに来い。もっともっと、もっと。


 陽太は、だんだんとそばに寄ってくる灰色のケナルイばかり見ていた。

 だから気づかなかった。


 ざわり。あたりがざわめくのを感じた陽太が顔をあげると、いつの間にやってきたのか。ふたりのまわりを埋め尽くすほどのケナルイがひしめいていた。

 ぞわりぞわり。

 毛玉が混ざり合って巨大な塊のよう。無数の目玉を持つ毛むくじゃらの妖怪が、陽太を取り囲んでいた。


「えっ、なにこれ!」


 驚いた陽太が手にしていた袋を落っことした。その拍子に、中に入っていた揚げもちがばらばらと地面に転がって。

 ケナルイの群れが作る円が、なだれるように内側へ狭まった。

 転がる揚げもちめがけて、陽太を押しつぶしそうな勢いで迫り来る。

 

「く、くるな、来るなよぉ!」

 

 陽太は手にした袋を振り回す。

 けれどそんなささやかな抵抗で毛玉の群れが止まるはずもなく。


「それはあんたたちのじゃないッ!」


 ケナルイの雪崩を止めたのは、鋭い一喝。

 放ったのは、神社の表からやってきたちいばあちゃんだった。

 眉をきゅっと吊り上げて、厳しい顔をしたちいばあちゃん。

 いつもほんわか笑うやさしいちいばあちゃんしか知らない陽太は、びっくりし過ぎて口をぽかん。


 ちいばあちゃんは怖い顔のまま、ずいっと前に出た。


「いくらうらやましくたってね、それはあげないよ! この子らのものなんだよ!」


 ぴしゃりと放たれた声に、ケナルイの群れがざわりと後退する。陽太は毛玉の途切れた箇所を見つけると、ちいばあちゃん目掛けて駆け寄った。

 そんなに背丈の変わらない陽太を背中に隠して、ちいばあちゃんがますます目を吊り上げる。

 

「さあ、行きな。あんたらにあげる物はここにはないよっ」


 ざあっと音を立ててケナルイが逃げた。

 ちいばあちゃんから逃げるように散った毛玉たちは、あっという間に物陰に消えてもう見えない。


「……はあ〜。もう、おやつを外を出る食べるっていうから、もしかしてと思って見に来て見たら」


 怖い顔をふんにゃりさせたちいばあちゃんが、困った顔で陽太を見た。


「ごめんなさい……それと、ありがとう」


 もぞもぞとお礼を言った陽太に、ちいばあちゃんはにっこり。


「無事だったなら良いんだよ。さあさ、落とした揚げもちを拾って帰って、揚げたてをもう一回食べようかね」

「うん。でも、ケナルイはあれで大丈夫なの?」


 振り向いた先の木の影に、もふもふしたものは見当たらない。けれど陽太は気になってそわそわ。

 そんな陽太の背中をちいばあちゃんがぽんと叩いた。


「大した妖怪じゃないからねえ。放っといて、忘れるのが一番さ」


 いつものちいばあちゃんの、やさしい笑顔。

 陽太はほっとして、大きく「うん!」と頷いた。

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