プチ三題噺企画 2nd Ignition
三衣 千月
【鶴の間】
あまのじゃく
人を乗っ取る妖怪、
私はそういう存在である。
といっても、自分がどのくらい昔から妖怪をしていたのかは、よく覚えていない。
今の宿主に憑いたのは彼女が小学生の時だから、かれこれ十五年くらいの付き合いにはなるのかな。それより前のことは記憶に靄がかかってる感じで、いまいち思い出せないのだ。
宿主の
「はぁ、やっと帰ってきたぁ……しんどぉ」
『お疲れ様、恭子。課長めっちゃ理不尽だったね』
「ホントだよぉ……もう無理。天邪鬼ちゃん、あたしの代わりに化粧落としといて。あと足がむくんでるから、ケアとか全部任せた。あたしはもう寝るぅ」
そう言うと、恭子は鞄から取り出したミニミニメロンパンを口に放り込む。
実はこうしてメロンパンを食べるというのが、恭子が私に身体を明け渡すスイッチなんだよね。そういう契約になってて。
大きなメロンパンを毎回食べるのはつらいから、恭子は小指の先ほどの極小メロンパンを手作りして、いつも鞄に忍ばせているのだ。
恭子の体に入り込むと、全身がずっしりと重い。
「……ホントだ。恭子の身体、ガチガチじゃん」
お風呂にお湯をためながら、スーツを脱いで化粧を落とす。すっぴんでもなかなかの美人だと思うんだけど、浮いた話が一切ないのはどうしてなんだろう。
私は恭子の身体を乗っ取り、お風呂に浸かって身体を揉みほぐしたり、お肌の手入れをしたり、無駄毛を処理したりと忙しく働く。
まぁ、私はこういうのも嫌いじゃないから構わないけど……改めて振り返っても、恭子はこのあたり本当にズボラだからなぁ。まぁ、最近は仕事で疲れてるのもあるんだろうけどね。
ちなみに職場でも、恭子が疲れた時は私が代わりに仕事をすることがある。記憶は共有しているし、長年一緒にいるから、そのあたりの立ち回りは問題ない。
「恭子は私を便利に使いすぎだよ……まぁ、私はそういう妖怪だから良いんだけどさ」
ボヤきながら、のんびり湯に浸かる。
とはいえ、恭子がズボラだからこそ、私もこうして人間生活を楽しめているわけで。ギブアンドテイクとしては、そこそこ納得のいく関係を築けているかなとは思うよ。
◆ ◆ ◆
なんて思っていた、ある日のこと。
仕事も終わってあとは帰るだけというタイミングで、先輩社員の
「浅田さん。あの、今度食事に行きませんか?」
「…………へ?」
「その……僕はもう少し浅田さんのことをよく知りたいと思っていまして。もちろん、嫌だったら断っていただいて良いんですが。一度、食事でもどうかと」
そうして、大泉は顔を赤くする。
はたから観察している身としては、大泉は「当たり」の部類の男だろう。仕事ができて、つい先日もさらりとフォローをしてくれたし。人柄も良いから社内でも好かれている。イケメンとまでは言えないけど愛嬌のある顔つきで、誠実そうな人だと思う。
彼の言葉に、恭子の反応は。
「ちょっとだけ……そのまま、待っててくださいね」
「え? はい」
恭子は大泉を待たせると、鞄を漁る。
そして何かを手に取ると、さっと口に含んだ――いや、分かってるよ。よりによってこんなタイミングで、恭子は私にバトンタッチしたわけだ。
『ごめん、天邪鬼ちゃん。代わりに対応よろしく』
(えぇ……私にどうしろと)
『あたしは恋愛とか全然分かんないから、判断は任せるよ。いい感じだったら恋人になっても良いし、ダメそうなら穏便にお断りしておいて』
いや、私も恋愛とか全然分かんないんだけど。
とはいえ、任されたからにはどうにかするしかない。大泉を待たせているし、とりあえず何か言っておかないと。
「あの、大泉さん……お声がけいただき、ありがとうございます」
「いえ。突然のことで困らせてしまいましたね」
「その……きっと私は、大泉さんが思っているような人間ではないと思うんです。幻滅されるかもしれませんが……その、ご飯を食べに行くだけなら、ご一緒させていただけますか」
そうして私は次の金曜に、大泉と食事に行くことになったのだった。
◆ ◆ ◆
明晰夢、というやつだろうか。
ベッドの中、ぼんやりとした意識の中で、過去の記憶が蘇る。あぁ、これは恭子と私が出会った頃の光景か。
当時の恭子は小学二年生。両親は仕事で忙しく、あまり親らしい愛情を受けずに生活していた。
「……遠足のお弁当が、メロンパン一つだけか」
遠足の行き先は博物館。クラスメイトが弁当を見せあって盛り上がっているのを遠目に眺めながら、恭子は目立たないように、隅っこの方でメロンパンを齧っていた。
親の無関心さ故か。服は貰い物ばかりで、靴下は穴あき。靴のサイズが合わないから踵を踏んでいて、それ故に徒競走はいつもビリ。同級生からは陰口を叩かれる対象になり、恭子はなるべく息を潜めて生活していたのだ。
『こんにちは、こんな隅っこでどうしたの?』
「あなたは……え、幽霊?」
『残念、妖怪だよ。天邪鬼っていってね、他人の人生を乗っ取って生きてる妖怪なんだ。ククク……』
それが初めての会話だった。
だけど恭子は欠片ほども怖がることがなく、むしろ目をキラキラと輝かせていた。だって恭子にとっては、奪われたところで何も惜しくない人生だ。恐怖より興味の方が勝ったのだ。
「人生、乗っ取ってくれるの?」
『あはは、その返し方をされるのは初めてだよ……そうだね。そのメロンパンってやつは前から気になってたんだ。メロンパンを食べる――それをトリガーにして、アナタの身体を乗っ取る契約にしようか』
「分かった。よろしくね、天邪鬼ちゃん」
そうして、恭子の人生はその日から大きく変わることになった。
メロンパンを用意するのはさほど難しいことではなかった。母親に「メロンパンが好きだから、買っておいてくれれば、夕飯はそれで済ませる」と言っておけば良い。母親は料理の手間が省けたと大喜びで、家にはカゴいっぱいのメロンパンが積み上がることになった。
同級生に意地悪なことを言われた時。勉強の内容を理解できないのに誰にも相談できない時。両親が口汚く喧嘩するのを聞かされる時。嫌なことがあると、恭子はメロンパンを食べて、現実から逃げるようになっていった。
「ねぇ、天邪鬼ちゃん」
「うん?」
「天邪鬼ちゃんは、人を乗っ取る妖怪なんでしょ。もう良いよ……完全に乗っ取っちゃって。こんな人生、もういらない。私は耐えられないよ」
そんな風に、恭子は泣きごとを言った。
その日はちょうど、嫌なことが全て重なったみたいな日で……学校では持ち物を隠され、試験に大失敗し、家では両親が罵倒し合って。恭子の心は、へし折れてしまったのだ。
「ククク……良いだろう。それじゃあ、こうしようか。今日からはあたしが恭子でアンタが天邪鬼になる。あたしは恭子の代わりに、この身体で人生をエンジョイしてやるからね。後悔しても遅いよ」
「天邪鬼ちゃん……」
「もちろん、メロンパンの契約は有効さ。あたしがしんどい時は、アンタにバトンタッチしてやるから、キリキリ働くんだよ」
――あぁ、そうだった。もともと恭子は私だったんだ。
そんな大事なことを、ずっと忘れていた。
私は辛い人生を天邪鬼ちゃんに押し付けて、自分のことを妖怪だと思い込み、今の今まで気楽に生きてきたのだ。私は彼女にずっと甘えていた……どうして忘れていたんだろう。
視界が真っ暗になると、私の耳元に聞き慣れた声が響く。
『すべて思い出したようだね、恭子』
「天邪鬼ちゃん。私、ずっと貴女に」
『ククク、面白かったよ。あたしは人を乗っ取って生きる妖怪だからねぇ。恭子の身体を借りて、美味しいものを食べたり、楽しい映画を見たり……いやぁ、愉快な時間だった。ただ、そろそろ飽きちゃってね』
そんな……これでサヨナラみたいな、そんな言葉。
『あの大泉って男は、悪くないと思うよ。恋人としちゃあそれほど面白味のある奴じゃないけど、結婚相手のことを誠実に幸せにしてくれる。そういう気質の奴だと思う』
「天邪鬼ちゃん。私まだ、貴女にお礼を」
『やめとくれよ。あたしは恭子に取り憑いて、乗っ取って、ひたすら自分の欲求を満たしてただけさ。それにメロンパンも食い飽きちまったしね。契約満了ってことで、次の宿主を探すことにするよ』
そうして、天邪鬼ちゃんの気配が薄れていく。
「ありがとう。私はずっと貴女に救われてた」
『互いに良い取引だったね。楽しかったよ』
その日を境に、私は恭子に戻った。
そしてそれからは、いくらメロンパンを食べても、もう二度と、天邪鬼ちゃんと入れ替わることはなくなってしまった。
◆ ◆ ◆
大泉と結婚した私は、天邪鬼ちゃんの予想していた通り、幸せな生活を送っている。
彼はいつも優しくて、私がネガティブな思考に陥りそうになっても柔らかく受け止めてくれるような、ひだまりのような素敵な人だ。
――それでも、やっぱり寂しさは拭えない。
天邪鬼ちゃんは私にとって、十五年もずっと一緒にいた親友のような存在だったから。結婚式や新婚旅行の話を彼女にしたかったし、妊娠や出産も彼女がいたらどれほど心強かったかと思う。
生後一ヶ月の娘を胸に抱きながら、私はポツリと呟く。
「今ごろ天邪鬼ちゃんは、どこで何をしてるんだろうね。幸せに暮らしていると良いんだけど」
すると。娘は急に、じっと私の顔を見つめながら、何かを訴えるように「ぁぅ」と小さな声を上げた。もしかして……いや、まさかなと思うけど。
「ふふ。貴女が天邪鬼ちゃんなのかな。まぁ、どっちでも良いか……これから、貴女は貴女の人生を、存分に楽しめるといいね。私に手助けさせて」
そうして、娘の小さな体を柔らかく抱き寄せる。
いずれにしろ、私にできるのはこの子に愛情を注ぐことくらいだろう。小さな手が私の指を握ると、胸の奥に、何やら温かいモノがじんわりと広がっていった。
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