第2話 ホリデイ・モーニング

 二週間ぶりに車中泊を回避し、一夜が明けた。時刻は午前六時。フウリはぐっすりと眠っているが、日雇いの現場仕事があるスウトは、出かける準備を整え終えていた。

「夕方には帰って来れると思う」

「わかった。お昼はフウリと町を出歩いてるね」

「あまり危険なところには近寄るなよ」

「子どもじゃないんだから大丈夫だって」

「どうだかな。私には、まだまだ箱入りに見えるが」

 スウトの自分は世界を知ってますアピールに、リュウは思うところがないではないが、心配してくれているのはわかる。

 実際、リュウとスウトなら、リュウの方が甘い。リュウは生まれながらの悪人はいないと、世界各地を旅したいまも、薄っすらと信じている。

 それに対してスウトは、生まれながらの、救いようのない悪人がいると信じているように感じる。

 どちらが正しいかなど二人にはわからないが、リュウの考え方は、危機管理という面では危険を孕んでいることは間違いない。

「ちゃんと表通りまでしか出歩かないから」

「本当は私が一緒にいてやりたいが、稼がないといけないしな。かといって、フウリをホテルに閉じ込めておくのも可哀想だしな……」

「普段はずっと車の中だからね。こういう時くらい、のびのびで歩かせてあげないと」

「……フウリには色々と苦労をかけてるな」

 家族揃って世界中を車で旅するというのは、二人にとってはかけがえのない生活だった。しかし、さすがにそろそろ色々と考えないといけない時期が迫ってきている。

 フウリはまだ三歳だからいいが、もう少し大きくなったら学校に通った方が彼女のためだろう。となると、どこの国の、どんな町に住むのか。将来の学費のことを考えると、定職に就かないのは無理がある。

 二人は俗世のしがらみから逃避するために、車での二人旅を始めた。だけど、二人とも気ままだったから、正直よく考えず、二人の愛の結晶だとフウリの誕生を喜んで。

 そうした気ままな人生のモラトリアムを終わらせる時が来たのかもしれない。

 でも、きっとそれは幸せなことなのだ。経済的理由や、事件に巻き込まれてではなく、愛する娘のために、自分たちの手で終わらせるのだから。

「とにかく、行ってくる」

「わかった。気をつけてね」

 スウトはほとんど荷物を持たず、ホテルの玄関を出た。別れ際、リュウはメリークリスマスと言って見送ろうかと思ったが、さすがに早いなと思ってやめた。

 今日の午前零時、日付を跨いでから。あるいは、明日の朝、言えばいい。焦る理由なんてない。家族なのだから。

「さてと。働いてもらう分、ちゃんとクリスマスらしい準備しないと」

 今回の町での滞在では、スウトが生活費集め。リュウはフウリの育児と、家事を担当する。

 クリスマス好きのスウトのためにも、今夜はささやかながらクリスマス・パーティーを開催する。料理や飾り付けはリュウとフウリの役目。

 楽しい一日になる。そんな確信がリュウにはあった。


※※※


 忙しなく人が往来する通りを、スウトは走っていた。

 町の至る所にクリスマスツリーが飾られ、初代サンタを模った置物や像を店先に飾っている光景も多々みられる。

 パーティー料理の仕込みをしているのか、店先だけでなく、民家からもスパイスや焼いた鶏肉の香りがする。

 砂漠地帯に位置する港町ということで、雪はおろか雲一つない青空が広がっているが、冬で気温が低いこともあって、クリスマス感はあった。

「窮屈だな」

 指示された工事現場へと続く表通りは酷く混雑している。屋台で仕込みをする女性。職場へと向かう人々の雑踏。その真っ只中にいると、スウトは屋根を走りたくなる。

 力任せに、訓練通りに、家屋から家屋へ。ビルからビルへ。だが、そんな目立つことをするわけにはいかないと、その衝動を抑えつける。

「普通に生きるのが一番だ」

 意味ある言葉としてではなく、何かの標語のように呟きながら、スウトはクリスマスに湧く町を走っていると、サンタの衣装を着て店番をするケーキ屋やおもちゃ屋が目に入る。

 赤と白の防寒性能があるのかないのかわからない安っぽい衣装が、駆けるスウトをその場に釘付けにする。しかし、それも一秒にも満たない刹那の出来事。

 混雑した通りで誰の邪魔にもならなかったことから、もしかしたらスウトは止まってすらいなかったのかもしれない。

「ホテルに近いし、帰りはここで何か買って帰るか」

 明日も今日と同じ職場で仕事をすることになっているが、日雇いであるためその場で給料がもらえる。フウリが生まれてからの生活は苦しいが、こういう日は節約を忘れたって許されるだろう。

 クリスマスケーキにクリスマスプレゼント。リュウは部屋を飾りつけるので精一杯だろうから、フウリが喜びそうな物の調達はスウトの担当だ。




 スウトが配属されたのは、高層ビルの建設現場。未だ発展途上の立場に甘んじているこの国では、大都市の至る所に、身の丈に合わない高層建築物の骨組みが点在している。

 スウトの役割は、地上から未完成の高層階へ資材を運ぶこと。こういう国だからこそ、単純な肉体労働者の需要が尽きることはない。

 文字通り、選ばなければ仕事はいくらでもあるのだ。

「よくそんなに持てるね」

 前を歩く、スウトと偶然一緒になった同じ日雇い労働者の女性に、驚きと共に声をかけられた。

 鉄筋が剥き出しの階段を登る女性の両肩には、六十キロ近い資材が乗っている。それに対して、スウトは百五十キロ近くの資材を両肩に乗せていた。

「人より少し体が丈夫なだけだ」

「丈夫って言っても……あんまり無茶したら体、潰しちゃうよ? たくさん働いても給料変わらないんだから、怒られない程度に適当にこなそうよ」

 女性の職務態度は真剣とは言えないが、彼女の方が労働者としては正しい。人一倍頑張ったところで賃金が増えるようなことはなく、所詮荷物運びをしている、その場限りの労働者であるため、仕事ぶりが評価されるようなこともない。

 そんな状況で無理をして体を壊したら、目も当てられない。途上国における労働者の立場は非常に弱く、表向き労災保険は存在しているが、大抵支払われないか、支払われても雇用側が全額ピンハネする。

 こんな環境で真面目に頑張る方がどうかしている。こうした真っ当な人間が損をする環境そのものを変えようとしないから、いつまで経っても途上国のままなのだとスウトは、こうした国々で働く度に思うが、慈善活動への興味を失って久しいため、深入りはしない。

 スウトがこうして他の労働者の二倍以上の荷物を運ぶ理由は、一日の作業を早く終えればその分早く帰れるから。そして、単純にこの程度は全く苦ではないから。

 本当ならこの倍は持てるのだが、あまり本気を出しすぎると目立ちすぎる。あくまで鍛えた人間の範疇で生きる。優秀と評価され、頼りにされる程度におさえる。

 悪い波はもちろん、良い波も必要ない。ただいつまでも平穏に、家族と一緒にいられれば、それだけで充分以上に幸せなのだから。


 そんなことを思いながら、前を歩く女性が階段を曲がる。その瞬間、彼女の左肩が不自然に下がった。それに伴い、左肩に背負っている鉄筋が、背後にいるスウトの頭部へ直撃しそうになる。

 それを身を逸らして回避しようとするが、女性の方はなおも下がり続け、鉄筋はスウトの頭部を叩きつけた。

「あっ、ごめん!」

 女性はスウトの方を振り向きながら、大声で謝罪を口にする。

 それなりの重量の金属が頭にぶつかり、階段から落ちたスウトは、何がごめんだ、と思った。この女はわざと資材をぶつけてきたのだ。同じ現場に働き者がいたら、怠け者の自分の評価が下がる。

 働けど働けど評価は上がらないが、他者と比較され評価が下がる余地だけは存在している。それが、こうした仕事の辛いところ。だから、事故を装って優秀なスウトを排除しようとしてきた。

 こんなくだらないことをするくらいなら、真面目に働く方がよっぽど楽だと思うのだが、こうする方が合理的という世界も存在する。

 とはいえ、そんな合理性に屈服するのはスウトとしては面白くないため、両肩に背負った資材はそのままに、階段から落ちた姿勢からバク宙して、何事もなかったように三段下に着地した。

「自分の働き方を、私と比較されるのがそんなに嫌か? なんでもいいが、次はない」

「……ごめんって。わざとじゃないからさ、はは」

 前を向き直した女性は、口でこそ平静を装っているが、その表情は強張っていた。本来であればスウトはいまの不意打ちで転倒し、手に持った資材に埋もれ、大怪我を負っているはずだった。

 なのに、意図的な事故を多めに見るほどの余裕さえ持っている。女性にしてみれば、ただの自衛のための攻撃だったが、いまはスウトの存在がただただ不気味だった。


※※※


 太陽の下半分が水平線に沈んだ頃、仕事が終わった。手渡しの給料袋を受け取ったスウトは、中身を素早く改めてから、作業着を脱いで私服に着替え、帰路に着いた。

「売り切れてないといいが」

 今朝、目星をつけたケーキ屋とおもちゃ屋が並んだ通りを目指す。今朝はプレゼント用のおもちゃを買うためのお金すら持ち合わせていなかったが、一日働いたことで今夜お祝いをするくらいの資金はできた。

 おもちゃ屋についたスウトは、棚を吟味する。フウリはどんなおもちゃを好むだろうか。着せ替え人形という感じはしない。かといって、ブロックを組み立てるようなことを好むような印象も薄い。

 というかそもそも、生活に余裕がないことを子どもながらに察して、あまり自分の願望を表に出さないから、親であるスウトでさえ、なにをあげるのが一番良いのかわからない。

「苦労させているな、本当に」

 こんな生き方に娘を付き合わせていることを一人嘆いていると、レジの後ろにある鍵付きの棚という店内で最も警備が厳重な場所に、携帯ゲーム機が置かれているのが見えた。

 三歳の娘にゲーム機は早いか? しかし、車での移動が生活の大半を占めているため、物心がつき始めているフウリにとっては退屈な時間も多いことだろう。

 最近の携帯ゲーム機は動画も見れるし、ネットに接続だってできる。学習ソフトも充実しているし、勉強をするサービスすらゲーム機で受けられる。

 スウトが生まれた頃は、ゲーム機が教育に悪いという風潮だったが、そうした時代は終わりつつある。

 スウトは受け取った給料袋の中身を改めて確認する。ガソリン代に、食費。その他諸々の生活費を抜いて……明日一日の収入もあるため、スウトが私用で使える範囲で、ゲーム機を買えなくはない。

「クリスマスにけちけちするのは、良いサンタさんじゃないよな」

 スウトはレジへ向かい、店員に厳重に保管されたゲーム機を指定する。治安が悪い地域であるため、こうした精密機器は強盗対策で店頭に並べることはない。

 受け取ったばかりの給料袋から代金を支払い、その足でケーキ屋に向かい、ホールケーキを買う。宿泊しているホテルは外観こそ華やかだが、値段相応に設備には穴があり、冷蔵庫の冷え方が甘い。そのため、保冷剤を多めに詰めてもらう。

 スウトの足取りは軽やかだった。雪の代わりに冷たい砂が積もり、屋台が雑多に立ち並ぶ町だが、世界がクリスマス・イブに浮き足立っている。スウトもその空気に釣られていた。

 自分たちの人生は決して豊かではないが、幸せだった。だって、ほしいものは全て、もう手のひらにあるのだから。



 愛する家族が待つホテルへ続く通りへ曲がると、スウトの聴覚が、不穏な音を聞いた。それは、パトカーのサイレンの音色。発信源は、スウトたち三人が宿泊するホテルの周辺から。

 スウトは手に持ったケーキが崩れることなど忘れて、駆け出した。悪い予感……いや、確信があった。リュウとフウリの身に、災が降りかかったという確信が。

 ホテルの正面が視界に入ると、そこには規制線が張られていた。周囲には人だかりができており、その中にはホテルの中ですれ違った宿泊客の姿もあった。

 警官は目に映る範囲だけで十人以上。しかし、その物々しさに反して、警官の表情にはどこか覇気がない。

 事件が大したことがないのではなく、おそらく、この国の警察官の職務態度がこうなのだ。マフィアや、その背後にいる組織が力を持っているのだから、真面目に仕事をしていたら命がいくつあっても足りない。

 この騒ぎは、警察は仕事をしたという既成事実を作るためだけのもの。

 裏社会の事情にある程度精通しているスウトは、一眼見ただけでことの重大さを、そして、この国の治安維持組織が当てにならないことを瞬時に見抜く。

 とにかく、いま確認しなければならないことは、二人が無事であるかどうか。こうした事態に備え、立てこもり事件が発生してもホテルに潜入できるルートを事前に想定している。

 スウトはホテルの裏口にある駐車場へと回る。そこにも警官が三人ほどいるが、例によってやる気がないため、警備になっていない。

 スウトたちが使用しているキャンピングカーはそのままになっていることを確認しつつ、生垣の花を盾にして、警官の目を盗み、裏口からホテル内へ潜入。

 ホテル内で捜査をしている警官の目を盗んで、階段へ向かう。そして、フロントが目に入る位置にある階段に差し掛かったと同時に、昨日チェックインを担当したホテルのオーナーである女性が、警官に事情聴取を受けているのが見えた。

 自分の経営するホテルが何らかの事件の舞台になっているというのに、オーナーの表情には危機感が欠けている。

 事情聴取をする警官二人には明らかにやる気がなく、オーナーの表情は照れくさそうという感じで、どこか魔の抜けた雰囲気。今回の事件が原因で経営が難航するとか、そうした未来を想像しているとは到底思えない。

 昨日、このホテルに足を踏み入れた段階で予感したものが、具体的な形になって行くのを感じながら、スウトは最上階である五階へ静かに駆け上がる。そして、廊下の最奥にある部屋の扉を静かに開ける。

「いるか?」

 扉を開けると同時に二人に声をかけるが返事はない。家族がいるべきはずの空間に残されたものは、無惨な光景だった。

 昼間、二人で出かけて買ってきたと思われるクリスマスの飾り付けは崩れ落ち、ベッドのシーツは剥がれ、椅子が弾き飛ばされている上に、窓が乱暴に開かれたままになっている。

 この部屋の中で争った形跡が大量に残っている。床の絨毯には二人のものではない靴の跡が複数残っている。

 心臓が速くなるのを感じながら、二人が無事に逃げ延びている可能性を信じて窓へ向かう。窓の外縁には、リュウのものと思われる靴跡が残っていた。昨日スウトが伝えた、緊急事態の逃亡法を試みたのだろう。だが、逃げた痕跡はそこで途切れていた。

 一つ下の階にある窓を確認しても足跡はない。降りている暇はないと判断して、四階から飛び降りたのだと信じたかったが、落下地点になり得る場所に血痕や地面の凹みといった墜落の跡はない。

 スウトは窓から身を乗り出して、隣の部屋を覗く。隣の部屋は確か四人家族だったと記憶しているが、その部屋にも同様の争いの跡があった。

 ”運び”のプロであるスウトは確信した。このホテルで誘拐があったのだと。それも、大規模な。事件直後だというのに、ホテル内やその周辺で、警察に保護された宿泊客を一人も見かけないということは、おそらくホテル一棟丸々攫ったのだ。

 そんな大胆な犯罪を、ホテル側のなしに行えるわけがない。聴取を受けるオーナーの表情からして、彼女の手引きがあったのだ。最も警戒すべき裏口付近に監視カメラがないのも、”人身売買組織を誘致するため”の仕掛けだと、スウトは最初から感じていた。

 それでも、問題ないと考えてしまった。他のホテルでも犯罪に巻き込まれる可能性はあるし、誘拐がこのホテルで起こるとしても、自分たちが宿泊している間に起こる確率は低く、目立たないよう夜に実行されるため、夜は一緒にいるから守り切れると。

 だが、甘かった。ホテル側が完全に誘拐犯に加担するなら、ホテル丸ごと誘拐するとしても、目立つことを考慮する必要なし。昼間でも実行可能。

 油断した。甘い判断をした。そんな後悔に飲み込まれそうになるが、自責よりも巨大な感情がスウトを支配した。

 リュウとフウリを助けるという使命感。そして、愛する家族を攫った連中への怒り。

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