桃源郷

変な夢を見た。やけにリアリティな夢だった。夢の中に登場した人は、私が知っている人物であった。

視点はもちろん、この私。私自身が夢の登場人物として物語を紡ぎ出していた。



始まりは私がいつものように最寄り駅に降りた時だった。時間は20時。完全に夜だというのに、空が変に明るくて、不気味だなと感じたのをよく覚えている。

最寄り駅に降りると向こう側からよく知る人物が降りてきたのではないか。

帰宅ラッシュで人がたくさんいるのに、人目を憚らず私は大きな声でその人の名前を叫んだ。


「K!?!?」


Kは何事もなかったように「おお」と軽く手を振った。飄々としていて何を考えているのかよく分からない人だった。


「え、なんでここに?」

「□□学校に用があるんだよ」


□□学校。帰り道に見かける古い学校だ。そんな学校になんの用だろうか。


「はぁ、そうなんですか」


私よりも20センチ上にあるKの顔を見上げる。こう言っちゃアレなんだが、Kはイケメンだ。スタイルもよし。皆に好かれている人気者である。でも、浮いた噂が全くないのだ。それ故に不思議な雰囲気を持つ人物でもあった。


「じゃ、私は帰りますね…」


これ以上、ここにいても彼の邪魔になるだろうからと早急にこの場から去ろうとした。が、Kが私の腕を掴んできた。


「え?」

「いや、道案内頼むわ」


そう言って、スマホで地図を見せてきた。


「えー、めんどうっすよ」

「なんか奢る」

「喜んで!」


単純な私であった。え、だって、人のお金で食べる物って最高に美味しくないですか???

まぁ、こんな感じで私はKに道案内をすることになったのだが…。





私は駅まで自転車を使っているので、もちろん自転車で彼を道案内しようと思った。しかし、Kは電車で来ているのだから、自転車などの通勤手段なんてあるわけない。

私は口角を上げて、困ったように笑った。


「…レンタルします?」

「いや、お金もったいないから歩くよ。お前も歩けよ」

「えええええ」


なんて自分勝手な。

でも、仕方ないか。奢ってくれるんだから、仕事はちゃんとやらないと。


「気を取り直して、行きますか。道案内ちゃんとするんで」

「頼むわ」


カァカァとカラスの鳴き声が聞こえる。時間が狂っているようなこの世界。空の色は明るいのに、時間は20時過ぎ。夕方じゃないのに、カラスが鳴いている。


「なんで□□学校に行きたいんすか?」

「忘れ物したんだよ」

「忘れ物?」

「あぁ。先日その学校で、大規模な会議があってな。それに参加したんだよ」

「会議ですか?先生は大変ですねぇ」


言い忘れていたが、Kは先生である。私が中学生の時、科目を担当してくれた先生でもあった。

先生の仕事はとても大変だ。仕事量も多いので、帰りが遅くなることも当たり前のようだった。


「大変なんだよ」


でも、彼は先生という仕事を愛している。生徒に授業をする時楽しそうにしているから。向いているのだと私は思った。


「悪いな」

「へ?」

「お前だって疲れてるのに、道案内頼んじまって」


私は大学生である。卒論に取り組んでいたら、こんな時間になってしまった。まぁ、そういうものだ。だから、Kが気にする必要はない。


「今更ぁ?まぁ、大丈夫ですよ〜。奢ってくれるんだから、これくらいの仕事はしますよ」

「そうか」


世間話をしていたら、いつの間にか□□学校に到着した。古い学校でしかも夜。今にも幽霊が出そうな雰囲気に私は少しだけテンションが上がった。実は私、オカルトとか幽霊とか大好きなのだ。滅多に夜の学校に行かないのでテンションが上がってしまう。


「じゃぁ、K。どうぞ。私、校門で待ってますんで」


私は校門に寄りかかる。お、月が出ている。時間が正常に戻ったのか、夜らしい空の色になっていた。白くて淡い光を発し、月が私たちを覗くように雲から顔を出していた。


「こんなところで待たせるの危ないから、お前もついてこい」

「えー。道案内しろとか、ついてこいとか、わがままですねぇ」

「わがままで悪かったな」


元担当で元教え子。なんだか、変な関係ではあるがあの頃に戻ったみたいで嬉しくなったのはここだけの話。




「…今思ったんですけど」

「なんだ」


スマホの明かりを頼りに、校内を歩く私たち。側から見たら不審者だよな?通報されませんように。通報されませんように。

心の中でそう願いながら、私は疑問に思ったことをKに言ってみた。


「忘れ物取りに来るの、別に今日じゃなくてもよくないっすか?」


そうなのだ。忘れ物を取りに来るのはいつでもできる。何も今日じゃなくて。しかも、夜だし。


「そんなに大事なものなんすか?その、忘れ物って」


自分で言うのもなんだが、私は基本人のことを干渉しない。私自身が干渉されたくないからだ。でも、今日は何を思ったのか私はKに忘れ物について尋ねていた。

流石に気になるでしょ。夜だし、わざわざ私に道案内頼むし。それに―――


「思い出したんですけど、K、あなた方向音痴じゃないですよね。むしろ、地図を読むの得意でしたよね」


誰もいない真っ暗な廊下で、私はKと向き合うようにして立っている。彼が口を開くまで待つ。今にも出そうな空気を背中で感じながら。


「…ま、答えたくないんなら別にいいですけど」


短気なので、これ以上待つのはめんどうだと私はKから顔を逸らした。


「さっさと忘れ物取りに行って、帰りましょうよ。お腹も空いたし」


ついてこないKに私は気になり、振り向いた。困ったような、おかしそうな、複雑な感情で笑う彼がいた。


「どうしたんですか?」

「いや、お前はそういう奴だったなと」

「そういう奴?」

「お前は良くも悪くも人に干渉しない性格だったろ?初めてお前に会った時は、人に興味ない酷い奴だと思った」

「そんなこと思われていたんすか!?!?何気にひでぇ」


私はケラケラ笑う。こういう歯に衣着せぬ言い方をするKが何気に好きだった。変に嘘をついたり、褒めたりする人よりも信用できるからだ。


「でも違った」

「へっ?」

「お前は干渉しないことで人との丁度いい距離を保っている。決して人に興味がないわけじゃなくて、ただ干渉しないだけだ」


よく分かっているな。


「距離が近くなりすぎると後が辛くなったり、しんどくなったりすることを知ってるからだ」

「…」

「ま、そんなお前に救われている奴はたくさんいるだろうよ。実際、この目で見てきたしな」

「なんですか、照れるじゃないですかぁ」

「その反面、誤解されてお前のことを嫌う奴もたくさん見てきた」

「上げて落とすな」

「まぁまぁ、最後まで聞けよ」

「はい」


Kは私の額に人差し指を置いた。ぐりぐりしてくるので、地味に痛い。


「お前はそれでいい。誤解されやすく、嫌われやすいのがお前だ。そして、誰よりも優しいのもお前だ。お前はお前らしく生きて行けばいいよ」


「え、哲学の先生でしたっけ?」と茶化そうとしたが、Kの顔があまりにも見たことないくらい真剣なもので茶化すのはやめた。怒られたくないので。

気持ちがふわふわしているのをバレないように、私は下ろしていた髪を一つにまとめた。中学時代ずっとその髪型を貫いてきた。懐かしいと思ったのか、Kは一つにまとめた髪を触ってきた。そういえば、馬の尻尾みたいだと揶揄われたっけ。


「髪触るのやめてくださーい。セクハラ、いや下手したら通報事案ですよ」

「おっと、それは困るな」


両手をあげて、無実だと言わんばかりの態度をするK。それがおかしくてまた笑ってしまう。





「あー。笑った、笑った」


これで話は終わりかと思いきや、


「お前、なんで学校に来ない?」


そんな質問が上から降りてきた。いつの間にか私の真後ろに立っているKに「うおっ」と情けない声を出してしまった。


「え、もう卒業しているからっすよ。理由、それしかなくないですか?」

「お前の同級生はしょっちゅううちに来るぞ」

「え〜、暇なんですかねぇ」


その同級生が誰なのかはすぐに想像できた。きっと、アイツとかあの子とかだろうな。

頭の中にある一つの答えが浮かび上がった。


「あの、もしかして…。違ってたら本当にすみません」

「なんだ、言ってみろ」

「…私が学校に来ないからあなたから会いに来たんですか?」


冷たい風が吹いてきた。夜の学校なのだから、窓なんか開いているわけないのに、肌を突き刺すような冷たい風が吹いた。


「そうだよ、と答えたらお前はどうする?」

「え」


ウーウーウーウー!!!


遠くから消防車のサイレン音がし、意識をそっちに向けた。


「え、どこかで火事が起きたんですかね?」

「そうかもな」

「あ、もうこんな時間じゃないですか!!!」


スマホのロック画面は21時半になっていた。やべぇじゃん!!!ママに怒られる!!!


「もう早く探して帰りましょうや!!」


多少口調が悪くなっているが、許せ。


「くっ、そうだな」


どこが面白いのか、Kは笑い出した。もう知らん。そうだ、この人疲れてるんだよ。

やっと忘れ物を取りに来た私たちは、学校から出た。え、どうやって学校に入ったか?って?そんな細かいことは気にするな。細かいことを気にする奴はモテないぞ(?)


校門前で深いため息を吐いて、私は体を屈伸させた。一気に疲れた。あとはもう帰るだけだ。


「せっかくなんだ。写真撮ろうぜ」


そんな提案に私はよりぐったりした。疲れてるんですけど。


「何がせっかくなんすか」


なぜか写真を撮ることに。


「え、教え子との感動の再会?」

「何ですか、そのダサい…ごほん、ごほん。ありきたりなタイトルは?」

「ダサいって言ったな」

「気のせいです」

「まぁ、いいや。こうして教え子と会えたんだ。記念に撮ろうぜ」

「私に拒否権は…」

「ない」

「はい、ですよね」


そんなん、分かってたし。


スマホで自撮り写真を撮るようで、Kは私の顔に近づいてきた。20センチも差があるのだから、彼は膝を曲げて私の高さに合わせてくれていた。

流石に照れますよ。イケメンが近くにいるんですよ。目の保養じゃないですか。まぁ、冗談はさておき、こんなに距離感の近い人だったっけなぁと思いながらも、私はスマホを見た。何気に学校の先生とツーショット撮ることないよね?これも経験の一つだ、うん。


パシャ。


「もう一枚撮ろうぜ」

「まだ撮るんすか」

「お前、目を閉じろ」

「え、なんで!?」

「変顔するから」

「見たい!!」


イケメンの変顔とか絶対面白いやん。見る価値あるやん。


「ダメ。目を閉じろ」

「ケチ」

「奢らねぇぞ」

「目を閉じました!!!」


なぜ目を閉じる必要があるのか?と思ったが、本気で奢るのをやめようとしたのでやむを得ず目を閉じた。


パシャ。


「もういいぞー」

「あ、はい」


こうして謎の記念写真は撮り終えたのだが。


「あの、その写真どうするんですか?」

「え?うーん」


月明かりに照れされて、Kの端正な横顔がはっきりと見えた。彼はスマホを見ながら、満足げに大きく笑った。ぐしゃりと子供のように笑う人だったなと思い出した。


「他の先生に自慢でもするよ。教え子に会ったぞ、って」

「はぁ、そうですか」


どうぞ、自由に自慢してくださいませ。


「帰るか」

「さっきからそう言ってるじゃないですか」


私たちは□□学校を後にした。






「…で?」


目の前に湯気が出ている牛丼がある。隣で豪快に牛丼を口の中に放り込むK。


「なんで牛丼?」

「奢るって言ったろ」

「そうですけど、牛丼って…!もっといい物食えると思ったのに!!!」

「安くて早くて美味いからいいだろ」

「そういう問題じゃない!!!私の働き分は牛丼分なんですか!!」

「おう」

「ひどい!!」


牛丼に罪はないので、シクシク泣きながらも私は牛丼を食べた。美味しかったです。


「美味しいからいいですけども」

「お前くらいだよ、先生に対して文句言う奴」

「ありがとうございます」

「褒めてねぇよ」

「ってか、元担当と二人で牛丼食べる、私の気持ちわかります?」

「イケメンの先生と牛丼食べられてラッキー!!だろ」

「どういう思考回路してんだよ、ですか。ってか、イケメンの自覚あったんですね」

「そりゃそうだろ」

「うわぁ、今のこの瞬間世界の男たちを敵に回しましたよ」

「お前が守ってくれると信じてる」

「ナニイッテルノカワカリマセン」

「片言やめろ」


そんな会話していると、近くで座っていたサラリーマンやOLさんたちにくすくすと笑われた。そういえば、忘れていたけどここ店内ですやん。


「うるさくしてすみません。こいつ、うるさい教え子でしてね」


すかさずKが謝罪をする。今、うるさい教え子だと言ったな?


「いえいえ、微笑ましいです。癒されましたよ」


ある一人のサラリーマンがそう言った。よく見ると、スーツがくたびれていてワイシャツもシワシワだった。顔色もあまりよくない。疲れているみたいだ。


「仲良いことは大切ですからねぇ」


サラリーマンのその言葉に、私はちらりとKの横顔を見やった。側から見たら、仲良い二人だと思われているのか。


「そうですね」


即答するKにこの人も何か思うことがあるのだろうかと気になったが、あまり深く考えないことにした。

牛丼を食べ終え、私は欠伸をした。食べた直後って、眠くなるよね?

スマホを見るともう時刻は22時半。そして、怒涛の通知が。


『こんな時間まで何やってんのよ!!』

『連絡しなさい!!!』

『どこにいるのよ!!』


すまぬ、ママ。家の近くの牛丼屋で牛丼食っていました。なぜか、元担当と。

ありのまま説明すると、いろんなことを聞かれる未来が見える。めんどくさいな。めんどくさいので、私は『久しぶりに友人に会って、昔話で盛り上がってしまい遅くなりました』という返事を打った。

すぐに返事が来た。


『そういうことだったのね!!だったら、もうその友達と一緒にいなさい!今日は帰ってこなくてもいいわよ!明日帰ってくれればいいから!』


ちょっと待て。友人=女友達だと思っていないか?

え、遠回りに「帰るな」って言われたってこと?


困っているのが顔に出たのか、Kが「どうした?」と聞いてきた。母とのやりとりを話すと…。


「あっははは!!!!!」

めっちゃ笑われた。

「お前のお母さん、面白いな!さすがお前の親だわ」

「いや、頭がおかしいだけですよ」

「で、どうするんだ?」

「うーん。幸い、近くにビジネスホテルありますし、そこに泊まりますよ。安いし。あ、Kは帰ってもいいですよ」


私たちは牛丼屋から出た。私はビジネスホテルを目指してその道のりを歩いていく。なぜか、Kもついてくる。

信号が赤になったので、スマホを取り出す。スマホでホテルの予約を取っていると、Kは何を思ったのか「俺も泊まるわ」と言い出してきた。「は?」


「俺の分も予約取ってくれや」

「いやいや、あなたは自分の家に帰れば良くないですか?」

「いや、ここでお前を一人にしたら先生としてのマナーが問われるような気がしてな」

「そういうことを気にするタイプでしたっけ、あなた」

「失礼だな、おい」

「まぁ、いいです。Kの分まで予約すればいいんですよね?」

「頼む」

「…先生と泊まるって、モラル的にやばくないですか?」


Kは顎に手をやり、考える仕草を見せた。


「厳密にいうと、俺は元担当でお前は元教え子だから大丈夫だな。法律的には」

「なんかそういう問題じゃないと思うんですけどねぇ」

「まぁ、あれだ。修学旅行的な感覚だと思えばいいんだよ」

「考えるのがめんどくさくなった。あー、無理ですね」


私は予約の画面をKに見せる。そこには、一部屋しか空いていないとのことだった。


「この部屋はKに譲ります」

「お前は?」

「恥を忍んで、家に帰りますよ」

「一緒の部屋でいいだろ」


はい?

何を言っているんだ、この人は。


信号が青になった。誰もいない歩道を歩く私たち。


「いやいや。それはさすがにまずいですよ」

「大丈夫だって。俺とお前じゃ何も起きないって」


それはそれで腹が立つが、事実なので何も言えなくなった。なんだかんだで、私たちはビジネスホテルに到着した。


ってか、本当にいいのか?Kよ。


問題なく、チェックインすることができた。安心したのか、一気に疲れがもたれかかってきた。私はそのままベッドに倒れ込んだ。


「お風呂は入れよー、歯磨けよー」

「子供扱いしないでください。言われなくてもちゃんとします」


お風呂や歯磨きは割愛するとして…。







「今だから言えるんですけど、Kは人気あったんですよ」


ベッドの上で、私たちは今だから言える話で盛り上がっていた。二人ともお風呂や歯磨きは済んでおり、後は寝るだけだ。


「ほぉ」

「Kの他に二人のイケメンと一緒に入ってきたじゃないですか」

「そういえばそうだったな」

「女子生徒の間では誰派?っていう話で盛り上がっていましたよ」

「ふーん。それは知らなかったな」

「それくらい目立ってたんですよ、あなたたちは」


思い出話に花を咲かせる。私は目の前に元担当がいるというのに、かなりリラックスしていた。普通にすっぴんも晒している。女子力はとうの昔に捨てた。

まだお風呂上がりで体が温かく、頬が火照っているのが分かった。お風呂上がり後のリラックスタイムが1日の中で一番好きなのかもしれない。


「それでお前は?」

「はい?」

「お前も当然その会話に参加していたんだろ?」

「そうですけど」

「お前は誰派だったんだ?」

「えー、それ聞きます?」

「気になるだろ」

「当ててください」


こういう話は盛り上がるんだよな。男女や年齢関係なく。


「えー、誰だ?」

「ふふん、誰でしょうね」


私はペットボトルの水を飲んだ。


「お前の性格とかお前の好みからして…」


あ、分析タイムに入られました。

こういうところは理系っぽいよな。

しばらくして、彼は「ずばり、俺か?」と言ってきた。

沈黙が続く。


「……正解」

「やっぱりな!」

「なんかムカつくんですけど」


満足げに腕を組むKに少しだけ腹が立った。この人、自信家なんだよな。良くも悪くも。


「なんで俺?」

「えええ…それも聞きます?」


私は思わずうんざりした。


「本人にそれを言うって、地味に恥ずかしくないですか?」

「ほらほら、言えよ」

「ドSかよ!!」

「それがどうした」

「くそぅ」


私は指で数える仕草をしながら、K派である理由を話し始めた。


「ひとつ、イケメンでしょ。ふたつ、話うまいでしょ。みっつ、身長高いしスタイルいいし。よっつ、話すと楽しいし。いっつ、ノリがいい。はい、以上です。これでよろしいでしょうか?」

「意外と理由が多かったな。でも素直に嬉しいわ、ありがとな」


そう言って、Kは私の頭を撫でてきた。その手つきが妙に優しくて、なんかくすぐったい気持ちになった。




照れ隠しに、私は大学の話を始めた。Kはそんな私の話を聞いてくれている。


「大学で私はなめられたくなくて、頑張ったんですよ」

「さすが、お前だな」

「でしょ(笑)」


夜も更けていき、さすがに眠くなった私はさっきからあくびが止まらなかった。


「眠いっす」

「もう、こんな時間か」


時計を見ればもう、真夜中の1時過ぎではないか。どうりで眠いはずだ。カーテンを開けて、窓も開ける。心地のいい風が部屋の中に舞い込んできた。誰もいないこの街を私はホテルの窓から眺めている。誰もいないのに、信号は光り続けていて青、黄色、赤。青、黄色、赤と働き続けている。信号は働き者だなぁと思いながら、空を見た。真っ暗な闇がそこにはあった。こんな風に夜中の空を眺めたことはなかったな。吸い込まれるような闇。夜中の空ってなんだか、不思議な気持ちになる。

よし、そろそろ寝るか。

窓を閉めて、カーテンも閉める。私は寝る準備をした。


「もう寝ましょうよ。私は明日も大学、あなたも学校ありますよね?話はこれまでにして、寝ましょうや」

「…そうだな」

「それに話はいつでもできるじゃないですか!」

「いつでも、」


Kがどこか哀しそうな顔をするものだから、私はこんなことを言い出した。


「そうですよ。私が学校に行けばいいんでしょ?」


Kは目を大きく見開いた。いつも飄々としている彼が、年相応反応を見せた。この人、意外と分かりやすいんだな。


「まぁ、恥ずかしいですけどOBとして行けばいいんですから。もちろん、あなたの名前出します。道連れにします」

「ふっ。お前、メンタル強いな」

「それ、褒めてます?貶してます?まぁ、いいや」


もう限界だ。今にも瞼が閉じそうだ。


「眠そうだな」


次第に視界がぼやけていく。Kの表情がはっきりと見えない。どんな表情をしているかは分からないが、声が楽しそうだ。どんな表情で今にも眠そうな私を見ているのだろうか。


「眠いです。もう寝ますよ!?」

「はいはい、おやすみ」


心なしか、Kの声は優しかった。


「おやすみなさい!!!!また明日!」

「あぁ。また、な」


私は布団をかぶった。目を閉じる。今日は波乱な1日だったなぁ、と思いながら次第に夢の底へと降りていく。そんな私の背中を見ながら、Kは小さな声で呟いた。


「お前は本当に―――よな」


その言葉を聞き取れなくて、「え?」と聞き返した瞬間、誰かに呼ばれたような気がした。


「――」


私は知らなかったのだ。

当たり前のように明日がやってくるわけではないと。そして、「またな」がどれほど儚い言葉なのかを。






そこで夢は途切れた。つまり、現実の私が目を覚ましたわけだ。もこもこと柔らかくて温かい布団の中で私は目を覚ました。いつものように、スマホを見て時間を確認する。8時38分。休日だったので、これくらいの時間に起きてもいいだろう。寒いので、布団から出たくない私はもそもそと布団の中で小さくなっていた。


なんか変な夢を見たような気がする。


私は布団から起き上がり、まだ完全に覚醒しきっていない頭で必死に夢の内容を思い出す。いくつもの糸を自分の方に引き寄せて、一つの夢にしていく。


「…なんでK?」


夢の中にKが出てきたことに私は不思議で仕方がなかった。確かに実在する人物ではあるが、学校を卒業して以来、会ってないからだ。


夢は人の欲望や願い等を顕現化する。


よく聞くことだが、こればかりはなんの夢なのか本当に分からない。夢を見ること自体が珍しいわけではない。夢はよく見る方だと思う。だが、ほとんどがホラー映画になりそうな内容なのだ。しかし、今回の夢は違った。ホラー要素もないし、ミステリー要素もない。私が好きそうな要素がひとつもないのだ。実に意味不明な夢である。

でも、夢の中の私は幸せそうに笑っている。夢の中のKは楽しそうに笑っている。それだけははっきりと分かる。


夢の中の私は何を思い、現実の私にあの夢を見せたのだろうか。


これ以上考えても答えはわかるわけもなく。


「これ以上考えても仕方ないか。あ、でも珍しい夢だったからメモくらいはしとくか」


スマホを取り出して、メモ機能を使う。さらさらと文字を打ち込んでいく。夢を物語っぽくするために、一つひとつの話を文章化していく。


大まかに打ち終えた私は、一番重要なことを忘れていたことに気がつく。


「そうだ。タイトルつけないと。夢のタイトルは…」


慣れた手つきで、『桃源郷』と名付けた。なんとなくだ。そこまで深い理由なんてなく。ただ、夢の中に出てくる人物は幸せそうだったから。それだけだ。

メモ機能を閉じ、スマホをポケットの中に仕舞い込んだ。


その時、誰かの視線を感じ、私は振り向いた。けれど、私以外誰もいなくて。当然だ、私の部屋なのだから。


首を傾げながらも、気のせいかとすぐに前を向いて、ドアノブに手をかけた。そして、いつものように、リビングに降りて行ってその先で朝ごはんを食べる母に声をかけた。



「ママ、おはよう。あのねーーー」

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