第7話 定食屋と芽生えた気持ち

 私たちは約束した通り、日曜日に百田さんの実家の定食屋へお邪魔させてもらいに車で向かっていた。


 運転手付きの黒塗りの高級車で下町の定食屋に行くなんて、仰々しい気がする。

財前家と一条家の御曹司が電車を使って下町へ行くなんて、何が起きるか分からない。しかし、そもそも二人が電車で移動しているだけで周りの女を釘付けにしてしまう。

それと一緒に移動するのはできれば避けたい。


「詩織。かわいいよ。いつもはワンピースだけど、ラフな格好も似合っているよ」

「ありがとう。定食屋だから、こういう方がいいかなって……あまりにも女の子らしい恰好していっても浮きそうだから」

「僕は別に構わないと思うよ。彼女の定食屋でお昼を取ってから、僕とデートに予定変更してもいいんだよ」

「えっと……伊織くんはしたいの?」


 伺うように伊織くんに聴くと、彼は優しく微笑んだ。


「もちろん。今日は君と本当は過ごしたかったんだから」

「すまんな、オレがいて。というか、さっきから伊織は詩織ちゃんばっか見すぎだろ」

「お前だけ別の車でもよかったんだぞ」

「いやいや、さすがに黒塗りの車が何台も停まってたら、何事かって騒ぎになるだろ」

「それもそうだな。というより、百田さんはどうして僕たちに関わってくるんだろう。別にクラスメイト程度な距離感なら、僕だって嫌がらない。だが、彼女は詩織を使ってでも僕を定食屋に無理に来るように誘導してきたよね」


 伊織くんはため息を吐きながら、首を横に振った。彼の様子を見るに、相当疲れていそうだった。

 彼女は学校での自分の立場を上げるため、伊織くんたちを利用しているところがある。

 単純に実家の定食屋に遊びに来てほしいだけなような気もする。

 考えても、彼女が何を考えているかはわからない。


「僕だけなら、それなりに対応すればよかった。だが、詩織と仲を深めようとしているのは心配だ」

「大丈夫じゃね? 詩織ちゃんには周りの友達もたくさんいるし、彼女だってお前が気に障ることはしてこないだろ」

「もう既に目の前で詩織と仲良さげにされている。すごく気に障っているよ」


 伊織くんはどうしてか私に重い愛を抱いている。

 小さい頃に言っていた私への愛もプロポーズも嘘ではなかったようだ。これ以上百田さんが伊織くんを煽れば最悪の事態になりかねない気がした。


 彼は私が知らないうちに私の私物に盗聴器を仕掛けている可能性がある。監視だけならいいのだが、もし二次元でもよくある監禁なんてされることがあれば、好きなこともできなくなる。


「詩織。今日は、一緒に……ディナーを共にしないかい? 君のご両親には許可をもらっているよ」

「え!? 別にいいけど、それなら……この格好は不格好じゃ」

「大丈夫だよ。その格好でも浮かないカジュアルレストランを予約しているから」

「そっか。それならいいかな」


 伊織くんは私の指に自分の指を絡めた。

 じっと私の顔を見ながら、片方の手で頬を撫でて顔が近づいて来ようとしたとき、咳払いの声が聞こえた。


「いちゃラブするの、用事終わってからにしてくれないか? オレがいるんだが」

「空気だから、気にしていなかったよ」

「本当にお前、ひどいな。というか、詩織ちゃんが普通に受け入れているのに驚いているよ。もしかして本当に付き合ってるの?」

「付き合ってはないかな。でも、伊織くんが私のことを本気で好きだってことはわかってるから。それにいつかは、こういうこともしていかないといけないだろうし、拒否したって意味ないかなって」

「オレは詩織ちゃんの受け身な姿勢がすごい心配だ」

「大丈夫だよ。別に伊織くんとのキス、嫌じゃないから」


 それは本心だが、頭にちらつくのは闇が孕んだ彼の瞳だった。

 あの夜は私を助けてくれたが、それは日頃からストーキング行為をしていたためだ。どこまで私のことを把握しているんだろうか。

 自由がないような気がするが、彼と縁が切れるわけでもない。

 本当に縁が切れたとしたら、私は本当の自由になれるのだろうか。いや、おそらく生まれた瞬間に彼と結ばれることは決まっていた。

 その運命から私が逃げることは無理なのだ。

 重たい愛でも、受け入れなければいけない時が来る。


 しばらく車が走ると、百田さんの実家の定食屋の駐車場に到着した。

 伊織くんのエスコートを受け、私は車を降りると鼻をくすぐるいい匂いがした。


「早く行こう!」

「詩織。さっきより元気だね」

「サバの味噌煮があるって言ってたから。大好物なんだ」


 私はウキウキを抑えきれず、定食屋の戸を引いて中に入った。

 店内はそれなりに盛況しており、百田さんは忙しなく動いていた。

 だが、客は男ばかりで私は明らかに浮いていた。


「いらっしゃいませ! ああ、詩織ちゃんたち来てくれたんだね」

「約束は約束だからね。でも、昼食をいただいたら僕たちは別の用事があるから」

「あれでしょ。詩織ちゃんとデートするつもりでしょ」

「そうだよ。君には関係ないと思うけどね」


 明らかに百田さんへの伊織くんの態度が刺々しくなっている。

 間を取り持つように真くんが入り、どうにか抑えたようだった。

 彼女は別の客に呼ばれて、注文を取っていた。

 周りの客は若い客から年配の客がおり、すべて百田さんを見て鼻の下を伸ばしていた。

 あれだけの美少女看板娘がいれば、評判になってここへ来るだろう。


 百田さんはほかの客の対応を終えると、私たちの席へ戻ってきた。

「ご注文はお決まりですか?」

「サバの味噌煮定食3つ、お願いするよ」

「へぇ~詩織ちゃんが好きなもの頼むんだ。別に伊織くんが食べたいもの頼めばいいのに」

「定食をあまり食べたことがないから、詩織のおすすめなら安心だと思ってね」

「さすが御曹司! でも、うちの定食は何でもおいしいよ。また、来てね」


 百田さんが伊織くんへウィンクを向けても、彼は無視して私に笑いかけた。


「どうして、サバの味噌煮が好きなんだい?」

「伊織くんも知ってると思うけど、私がたまに秋葉原へ行ってるでしょ。その時に入った定食屋さんのサバの味噌煮が美味しかったから、好きになっちゃったんだ。でも、自分ではあまり作れないから、たまに定食屋に行くときには食べてるんだ」

「そうなんだ。でも、シェフにお願いすれば作ってくれるんじゃないかな」

「いい鯖を使って、いい味噌を使って、熟成させて、腕のいい料理人が作ったものはもちろん美味しいよ。でもね、家庭の味じゃない。私が好きなのは家庭の味のサバの味噌煮なんだよ」


 サバの味噌煮を熱く語ると、生温かい目で伊織くんに見られた。

 真くんは呆れたように私たちを見ていた。


「そういえば、小田たちと結構仲いいよな。詩織ちゃんもあいつらと近い趣味でもあるの?」

「えっと、実は……アニメや漫画が好きで。でも、家族には言ってないんだ。グッズも部屋に飾ろうと思ったけど、やっぱりバレちゃうのが怖くて仕舞ったままなんだ」

「別にいまどきおかしいわけじゃないぜ。でも、お嬢様な詩織ちゃんがアニメ好きなんて、ギャップがあるよな。三村さんたち聞いたら、驚くんじゃないか」

「彼女たちには一生言えないよ。彼女たちはあくまで気高い財閥令嬢、霧生詩織を求めてるから」


 睡眠不足の件で打ち解けたとは言え、すべてを言えば彼女たちは私を軽蔑してしまう。

 もし、普通の家に生まれていたら本当の友達ができていたのかなと考えたりもしたが、それはたらればの話だ。

 今の現状で私は生きていかなければならない。


「詩織は小学生の頃から、アニメが好きだよ。中学生で深夜アニメにハマって、高校生で秋葉原によく足を運ぶようになったみたいだ。僕には最近になってやっと、カミングアウトしてくれたけどね」

「へぇ~お前でも、言ってもらえなかったのか。案外、信頼されてないんじゃないか」

 真くんが伊織くんをからかうように言うと、不機嫌に眉間に皺を寄せていた。

 空気を変えないと思ったら、百田さんがサバの味噌煮定食を私たちのテーブルに運んできた。


「はい。詩織ちゃんからね、どうぞ」

「ありがとう。おいしそうだね」

「そうでしょ? 気に入ったら、ぜひご贔屓に」

「ダメだよ。詩織は一人で食べに来ちゃうから、そうなったら客層が9割男のこの店の客に何をされるかわからない」

「伊織くん。束縛は適度にしておかないと、詩織ちゃんに嫌われちゃうよ」

「僕はただ、心配で……」

「なら、デートで来たらいいんじゃない? それなら、伊織くんも安心だぁ」


 彼女は嬉しそうにスキップしながら、厨房の方へと戻って行った。


 一足先に提供されたサバの味噌煮定食をいただくと、みそのコクと鯖の旨味が舌に広がって、頬が落ちそうだった。

 家庭の味でも相当ハイレベルの味に私はまた来ようと思ったが、伊織くんの目が笑っていなかった。


 しばらくすると、伊織くんと真くんの定食も運ばれてきた。

 彼らは恐る恐るサバの味噌煮定食を口にすると、頬が落ちたように幸せそうな笑顔を浮かべていた。


「美味しいよ。というか、定食ってこんなにおいしいんだね」

「詩織がハマるのもわかるね。また、デートで来てもいいかもしれないね」

「ありがとう! ぜひ、来てね」


 黙々と私たちは定食を平らげた。

 やはり、上流階級の人間は食事マナーも気にするのか、自然と会話はせず、黙々と食事を取った。

 だが、それが少し寂しい気もした。


「それじゃあ、行こうか。詩織」

「あ、待って。私が行きたいって言ったから、今日は私が払うよ」

「いいや、それはできない。君の分は僕が払うよ」

「オレのは払ってくれないわけ?」

「払うわけないだろ。お前はお前で払え」

「へいへい。本当に詩織ちゃんにはいい格好したいんだなぁ」

 真くんに生温かい目を向けられながらも、伊織くんは知らないふりをして会計へ向かった。


 本当は私の食べたものくらいは払いたいのだが、どうやら伊織くんはそれを許してくれないようだ。

 彼はあまりの価格の安さに驚き、百田さんに値上げした方がいいと訴えていた。


「うちはあなた達みたいなお金持ちばかりじゃない。来てくれるお客さんはほとんどが庶民で、その生活レベルでいうとこの値段も普通ぐらい。だからね、いかに庶民がどういう生活しているかわかったかな」

「それはわかっているけれど、あのクオリティならもっと値段をあげてもいいと思うよ」

「値段を上げたら、来てくれるお客さんが減っちゃうかも。常連さんもこの値段だから来てくれてるんだよ。未来の大企業の社長なら、ちゃんとそういうこともわかっておいた方がいいよ」

「そうだね。僕は勉強不足みたいだ」

「いいよ。だからね、私を会長補佐として生徒会へ入れてくれないかな……伊織くんに庶民のことをいっぱい教えてあげられるよ」


 百田さんは不敵に微笑んだ。

 やはり、生徒会へ入るために交渉するために彼を無理矢理ここへ連れてきたのだ。

 本当に彼女は強かだと思った。


「生徒会と庶民のことが何で関係あるんだ?」

「あなたは完璧だよ。でも、庶民のことだけじゃない。弱者の気持ちが、少数派の気持ちが、多分わからないと思う。生徒会の人は誰もがいい家柄の人だって聞いたよ。あなたの頭脳も機転もカリスマ性もすごいかもしれない。だけどね、本当に弱い人たちのためにも生徒会はあるはず。だから、私みたいな庶民が生徒会役員としていれば、いい生徒会運営もできると思うんだ。違う?」


 彼女の言葉は一理あり、伊織くんも悩ましい顔を浮かべていた。

 真くんは感心したように百田さんを見ていて、伊織くんに助言した。


「彼女は特待生だ。勉強だけでなく、しっかりと物を考えられる。それは生徒会にとってもマイナスにはならないと思うぞ」

「だが、今まで仕事の邪魔をされてきた」

「それは、伊織くんに生徒会へ入れてほしかったから。もう、邪魔になるようなことはしないよ」

「もし、邪魔になるようなことがあれば即刻生徒会を辞めてもらう。そして、生徒会室へ入室来ることも禁止だ。詩織に付きまとうのもやめてくれ」

「最後のは、伊織くんの願望でしょ。まあ、約束するよ。詩織ちゃんの件も含めてね」

「ああ、わかった。次の月曜日から、生徒会へ参加してもらって構わない。他のメンバーにも伝えておくよ」


 百田さんは満面の笑みを浮かべて、伊織くんに抱き着いた。

 周りの客が鋭い目つきで彼を見ていたが、伊織くんは不快そうに彼女を引きはがしていた。


 彼女の完璧な答弁に、私は敵わないと思ってしまった。彼の隣に立つにふさわしいのは彼女のような人のような気がして、胸がチクリと痛んだ。


 私が婚約者でなかったなら、幼馴染でなかったなら、霧生家に生まれなければ、伊織くんは彼女のように才色兼備な人を好いていたかもしれない。

 何も秀でていない私を好きになることはなかったのだろうか。

 もし、彼女が私の立場だったなら、霧生家も財前家ももっと発展しただろう。

 そう思うと、胸が苦しくなってきた。

 彼がどうして私のことを好きなのかはよくわからないが、もし百田さんを好きになったら、私は何も勝てるものがない。

 顔もスタイルも頭脳も、性格も、何も勝てない。

 このモヤモヤとした気持ちは何なんだろう。


「詩織?」

「伊織くん。ごめんね、ちょっと……気分が良くないから、私は電車で帰るね!」

 一方的に私は伊織くんにそう言って、店の外へ向かって走り出した。

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