第2話 イこうよ、伊香内さん

伊香内いかないさん、映画観に行かない?」


 僕はとある映画のチケットを彼女の眼前に突きつけてそう言った。伊香内さんは実は大の映画好き。もちろんちゃーんとその辺はリサーチ済みだ。しかも、伊香内さんの大好きなアクション映画。有名な香港アクション映画のリバイバルである。どうだどうだ。大好きな映画なら、大きなスクリーンで観たいよね? ね?


 だけど。


「行かない」


 つん、とつれない一言。


「何で? 行こうよ! ほら見て、ブルース・チェンとジャッキー・リーのダブル主演で当時のキッズ達を熱狂させた『燃えよ酔拳〜プロジェクトAへの道〜』だよ!?」

「それもう観たし、行かない」

「で、でもでもでも! 好きな映画って何回観ても良くない? 伊香内さん、好きな映画って何回でも観るでしょ?」

「観るけど」

「だよね!」

 

 もちろんそこもリサーチ済みだ。伊香内さんは気に入った映画を何回も観るのだ。


「でも行かない」

「そんな! コーラもポップコーンも僕が奢るし、交通費も全部出す! これならどう?」

「コーラに、ポップコーン?」


 動いた!

 伊香内さんがこっちを見たぞ!

 いまがチャンスだ、たたみかけろ!


「何ならホットドッグもつけるよ! あっ、ご一緒にポテトはいかがですか?」


 なんか最後ハンバーガーショップの店員みたいな感じになっちゃったけどまぁ良いや!


 伊香内さんは立ち上がった。いつも彼女は自室の真ん中にあるローテーブルの前に座っているのだ。冬はそれがこたつになる。


 ちなみに家の中での伊香内さんは上下ジャージ姿だ。僕が来てるってのに、その辺は全然気にしないらしい。そしていつも左手に、眼鏡をかけた熊のぬいぐるみを持っている。抱えるのではなく、手を繋ぐような感じで。立ち上がるとその熊がだらりとするけど、抱える気はないらしい。あくまでも手を繋ぎたい派なのだろう。その熊、なんだか可哀想に見えるけど、良いのかな。


 とにもかくにも伊香内さんは腰を上げた。おっ、このまま行く感じ?


「じゃ、行こうよ、伊香内さん!」

「行かない」


 やっぱりピシャリと言って、彼女は部屋を出て行った。ここでくじける僕じゃないぞ。どこに行くのさ、とそれを追う。

 

 たどり着いた先はキッチンである。伊香内さんの部屋のすぐ隣がキッチンになっているのだ。

 伊香内さんは慣れた手つきで調理器具やら卓上コンロやらを取り出すと、再び部屋に戻ってきた。えっ、キッチンで作業するんじゃないの?


「まぁ座って待ってなよ」


 と言って、クローゼットの中から座布団を出して勧めてきた。こうなると長いぞ。お言葉に甘えて座らせてもらう。


 伊香内さんは器用だ。器用というか、何でも出来る。


 その証拠に、いま僕の目の前にはホカホカのポップコーンがある。作ったの? しかも右手だけで!? 左手塞がってるよね? 料理中くらい熊離しなよ! 僕これ、不衛生とか指摘して良いやつだよね?!


「食べなよ。キャラメル味にしておいたから」


 キャラメル味にしてくれたのは何の配慮なんだろう。確かにポップコーンはキャラメル派だけどさ。それと――、


「はい、コーラ」


 コーラまで出て来た。

 いつの間にキッチンに行ったの?

 え? ずっとこの部屋にいたよね?! 瞬間移動?!


 さらには。


「ホットドッグ。熱いうちに」


 ホットドッグまで出て来ちゃったよ。もうどうなってんのこれ?!


 で。


「さて、と」


 いつものローテーブルだけではポップコーンやら何やらを乗せきることが出来ず、小さな折りたたみ式のテーブルを持って来た伊香内さんは、僕の隣りに座って、どこからか取り出したタブレットをそのテーブルの上に置いた。


「観ようか、『燃えよ酔拳〜プロジェクトAへの道〜』」

「えっ」

「昨日からImazonイマゾンプライムで見放題になったんだ」

「えっ」

「ポップコーンにコーラにホットドッグ。交通費は0。だから行かない。君とは絶対に行かない。私はここにいる」


 そう言って、伊香内さんは、ポリ、とポップコーンを食べた。ちくしょう、僕の負けだ。


 次こそは。

 次こそは。

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