第35話『動きだす』

 夜会の招待客が船で帰ってゆくのを、港では多くの人間が見送っていた。

 特にエドワード・スタンリー海軍総司令官の見送りは派手だった。セオ島に来ているシャーロット号の海軍士官がずらりと並んで見送っているのだ。物々しいことこの上ない。


 エドワードは、シャーロット号艦長である甥のレオナルドに最後の別れを告げると見せかけて、小声で話しかけた。


「結局ウィリアム・グレイには会えなかったな。残念だ」

「申し訳ありません。再度、説得はしたのですが」

「まあいいさ。なんたって大物海賊にして、この島の有力者のご子息だ。そんなとんでもない男に気軽に会えると思っちゃいないさ」


 エドワードは「本音で話をしてみたかったがな」と笑った。


「だが代わりに副官のジャック・コーンウェルから色々話が聞けたよ。彼も面白い男だな」

「たまに、面白くない時がございます」


 苦虫を噛み潰したような顔をして言うレオナルドに、エドワードは「苦労しているようだな、レオナルド」と大笑いする。


「何にせよ、事は着々と進んでいるな。カジャ島の方で網を張るんだろう? 海軍が表立って出ると目立つだろうが、必要になったら適当な名目を立てていつでも増援を送るからな」

「感謝します」


 そう、間違いなくミラーはカジャ島近辺に居る。本船ではないが、ミラー海賊団の分船には、すでにグレイの方から何名かの密偵を送り込んでいるらしい。情報を得られるのも近い。戦闘準備は万全にして待機しておかねばならない。

 昨夜の夜会はひと時の休息だったなと考えたところで、レオナルドはふと気付いて辺りを見回した。


「そういえば叔父上。シャーロットは…」

「もう少し、島に滞在するそうだ。家庭教師を伴ってきているから護衛は要らないと言われてな」


 ゴードン副司令官が一人で居ると思ったらそういうことか・とレオナルドは眉根を寄せて額に手を当てた。


「あのお転婆め…」

「当分は大人しくしてくれなさそうだぞ。悩みの種が増えるな、レオナルド」

「はい…」


 その時ちょうど、従者が乗船を促してきたので、エドワードは「じゃあな」と短く言って去っていった。レオナルドは船がゆっくりと動き出し港から遠ざかるまで見送ると、後ろで同じように見送っていた部下たちに声をかけて解散させた。

 戦闘は近い。部下たちへの軍事訓練を強化させねば、と考えながら。



 それを遠くから眺めていた人物がいた。ウィリアムである。

 ずっと前からではない。通りかかったところを、レオナルドが居るのを見かけたため傍に行きたかったが、会見の申し出を断ってしまった相手が居たので出るに出れなくなっていたのだ。


 きびきびと部下に指示を出すレオナルドに見とれていたウィリアムは、背後から近寄って来ていたジャックの存在に少しも気付かなかった。


「ストーカーですか、船長」

「うわぁ!」

「良くないよそういうの。レオナルド君に言いつけるよ?」

「驚、かすな、ジャック!」


 そう言うとウィリアムはむせたように咳き込んだ。


「ああごめん、そんなに驚くとは思わなかった。というかそんなに驚くなんて、本気でやましいことを考えてたんじゃないの?」

「馬鹿云え! ほら!」


 ウィリアムは、ジャックに数枚の書面を押し付けた。


「あとでお前に持っていこうと思ってたんだよ。隊の編成をし直した」

「へぇ?」


 なんで? という顔をするジャックに、ウィリアムは続けて言った。


「前にブリジットからの報告書に、リリィをミラーの配下に潜り込ませることに成功したと書いてあったろう」

「ああ。まさかリリィが接触できるとは思わなかったよね。ミラーの配下は、女性はそんな多くないだろうに」

「リリィはブリジットの部下の中でも、暗殺までこなせる程の相当な手練だからな。ミラーなら欲しがるだろうさ。

 で、だ。それ以降に入ってきた報告によると、ミラーはカジャ島の南端の街・ギブレにある売春宿のひとつに立ち寄ったらしい。そこは、海軍の内情や国の情勢まで、幅広い情報がよく集まる場所なんだそうだ。

 そこにも長居はせずにすぐ島を離れたらしく、やはり足取りは掴めていないが、あまり遠くに行く様子はなさそうだ。

 なので、俺達もカジャ島に入ろうと思う。その人員の編成がその書面に書いてある。大人数になるから、目を通して、直したほうがいい箇所があったら言ってくれ」


「ん〜…そうだねぇ」


 ジャックは無精髭を撫でながら、書面に目を通した。


「悪くないと思うんだけどさ、こんな大人数で行ったら、相当目立つんじゃない?」

「直接カジャに入るのは海賊船一隻でいいさ。他の船はカジャに近いボルジオ島の北端の街で待機させようと思う。ギブレは治安が悪い。海賊船が一隻入ったところで目立ちはしないよ」

「なるほどね。で、カジャ近辺でリリィの情報を速やかに受け取って、ミラーの本船が見つかり次第、追跡し、全船合流の後、戦闘に入る、と。ざっくりこんな流れか」

「できればカジャの近くではなく、ボルジオ近くで戦闘できればいいがな。なんたってカジャは一応他国・カストラの領地だ。治安が悪いせいで、自国他国の人間も海賊も商人も入り放題の無法地域になってはいるが、さすがに堂々とネオス国の海軍が入り込むのは無理だしな」

「ああ、それはさすがにマズイね。他国の領海で自国の海軍がドンパチやったら、下手したら国際問題になる。…レオナルド君には戦闘に参加してもらわないほうがいいかな…」


 ウィリアムは困ったように眉尻を下げてため息を吐いた。


「レオは納得しないだろうな…。レオは間違いなくミラー本人に用がある。戦闘の場に居ることは必至だと思うんだよ。なんとかミラーをおびき出せたらいいんだが…」


「…いっそ、レオナルド君は俺達の船に乗ってもらったら?」

「え?」

「レオナルド君が自分の艦を出して参戦するってのは契約条件にはないじゃない。そりゃ、艦を出してくれたら俺達は助かるけど、戦闘の方を依頼されたのは俺達の方でしょ。国際問題を抱えたりミラーをおびき出すことを悩むよりは、レオナルド君にうちに来てもらった方がいいんじゃない?」


「おい…ジャック…お前…」


 ウィリアムはジャックの両手をがっしり握ってぶんぶん振りながら、満面の笑顔で叫んだ。


「天才か!」

「喜びすぎだよ。馬鹿ちん」

「確かに、レオと俺が一緒の船に居たら最強じゃないか!」

「いやちょっと、何でお前の船で決定なんだよ。ヒューとかマックスの船でもいいじゃないの」

「細かいことはいいんだよ。よし、俺の船にレオと部下たちを乗船できるよう隊を編成し直して、レオにこの提案を何としても飲んでもらおう!」


 嬉しそうに、レオの居る方を眺めながら叫び、やる気満々で拳を振り回す子供のようなウィリアムに、ジャックは思わず笑ってしまった。

 今後のことについて話しているのか、いまだに港で真剣な表情をして部下たちに細かく指示を下しているレオナルドを、ウィリアムは眩しそうに見つめていた。

 ジャックはそれを見て己までふんわりと幸せな心持ちになった。

 だが、そんな時でもひとこと余計な事を言ってやりたくなってしまうのがジャックという男である。


「幸せそうな顔だね、ウィル」


 ジャックは、にやっと笑ってウィリアムの肩を抱くと、小声でからかうように言った。


「…その様子だと、昨夜は相当よかったみたいだね?」


 ウィリアムは、一瞬ぽかんとした顔だったが、すぐに嫌そうに眉を顰めて、声をひそめながら怒ったように言った。


「下品な詮索はやめろ、ジャック!」

「なんで。昔はよく話したじゃないか。狙ってた相手を落とした時の武勇伝とかさ」

「若いときの話だろう? 今思えば浅薄だったよ。人に話すようなことじゃない。コトの内容を話すなど、レオに…相手に対しても失礼じゃないか」

「…ま、そりゃそうだ。本気で惚れた相手なら特に、べらべら話したおかげで、他の男にその媚態なんぞ想像された日にゃ、ムカっ腹がつくだろうしね」

「…」


 ウィリアムはムッという表情をした。想像されてたまるか・とでも言うように。


「でもね~…。俺だけには言ってもいいよ? ウィル」

「なんだ、それは」

「顔見てりゃ、解るんだよ。昨夜相当よかったんだろ? 今日もまだ、興奮醒めやまらずって感じで、そわそわしてるのがバレバレですよ、船長?」

「……。」

「言っちゃいなよ。聞いてあげるって。ノロケ話」

「…ジャック!」


 ウィリアムは、自分達からわずかしか離れていない場所にいるレオナルドとシャーロット号の船員たちに気付かれないよう小声で叫び、「ちょっと来い!」とジャックの胸倉を掴んで引っ張りながら、ずんずんと町の方へ進んでいった。


「お…おい、ウィル?」


 本気で怒ったかとジャックは少し焦りながらも、大人しくウィリアムに従って引っ張られながらついて行くと、ウィリアムはレオナルドたちから死角になる、家屋の物陰に隠れるように入り、強い力でジャックを壁に押し付けた。

 胸倉を掴んだままウィリアムは俯いて、深くため息をついた。


「…あのな、ジャック…」

「ごめん、ウィル。…怒…」

「怒ってない。いいから聞け」

「何を?」


「……昨夜!…最高だった…!!!」


「…は?」


 俯いたまま爆発したように力いっぱい叫んだウィリアムに、始めは意味が解らず、ジャックは一瞬呆けた顔をした。

 やがて少し首を傾けてウィリアムの顔を覗くと、彼は今まで見たこともないほど真っ赤になって、目が回ったような物凄い顔をしていた。

 わずかに息を荒げながら、ウィリアムが叫び散らした。


「俺は…! なんていうか、あんなの、あんなの初めてだったぞ! 昨夜のレオは…! ヤバい位に、き!き!綺麗で!! 俺はもうどうしたらいいか分からなかったぞジャック!」

「…はあ」


 …俺も今のアンタが面白すぎてどうしたらいいか分かんないよ…とジャックは思った。


 ウィリアムは、ジャックのシャツを引き裂かんばかりに掴み揺さぶりながら、なおも叫んだ。


「昨夜が、あんな凄い事になってたくせに…なってたくせに、レオはな! 朝になったらいつも通りに、き!き!禁欲的な顔して仕事をするんだよ!! 物凄くそそるぞアレは! 何なんだあの昼と夜のギャップは?! 何なんだジャック!」


 …アンタこそ何なんだよ…。やめてよ。シャツが死んじゃうよ。


 ジャックは迂闊にウィリアムに話を聞くと言ってしまった事を少し後悔した。

 ウィリアムは更に真っ赤になって興奮しながらまくし立てた。


「確かに! 確かに昨夜は最高によくて、俺は今朝は早起きしたし、仕事も滅茶苦茶はかどったが、まだダメだ! レオの昼夜のギャップに慣れん! 当然だ!まだ七回……二度しか肌を合わせてないんだ!」


 …待て待て待て。今、やんわりと言い直したなウィル? つまり、なんだ? 初夜も含めて二晩で七回もクリアしたのかアンタ。なんかムカつくよ。七回もヤりゃ充分だろ。慣れろよ。ていうか、落ち着けよ。


「だから、下手にこういう話題を持ち出すな! 俺はつい夜のことを想い出してしまって、仕事になら…っ!」


 そこまで話して、ウィリアムは興奮のあまりむせて、地面にひざをついて激しく咳き込んだ。

 ジャックは慌てて背中を擦ってやりながら、ぽつりと言った。


「ウィル…言っちゃなんだが…お前、頭の悪い子に見えるぞ…?」

「…じ…自覚している…」

「あ、そう?」

「…俺がこんな腑抜けでは、戦いに支障が起こる。だから、レオとも真剣に話し合って、心身面に問題が無いよう、けじめをつけて、ヤるように談判したんだ。前線でヘマしたりはしないから、安心しろ」

「…そんなこと、真剣に話し合うの…?」

「? いけないか?」

「…いや…、二人とも、ご立派です」


 …そして、面白すぎます…。


 ジャックは心の中でそう呟いた。

 そして、落ち着き始めたウィリアムに向かって、いつもの調子で尋ねた。


「で? 真剣に話し合ってるのなら、この戦いが終わってからのお前の一大決心の事は、もうレオナルド君に話してあるのかい?」

「…まだだ」

「どうして? 話さないつもりかい?」

「話すタイミングを逃したというのもあるが、実のところ話していいものか、悩んでいる。レオがどういう反応をするのか、俺には解らん。拒まれたらと思うと、少々怖いしな…」

「拒まれることは、ないんじゃない?」

「そうだといいが…。…どちらにしろ、事が事だ。レオの心に負担を掛けるのは変わらないだろう。この大事なときに言うのはどうかと思ってな…」


 ウィリアムは家屋の壁に腕を組んでもたれかかり、遠く港で部下と話し合っているレオナルドを見ながらゆっくりと呟いた。

 ジャックも同じようにウィリアムと並んで、レオナルドを見つめながらウィリアムに言った。


「俺が口を出す問題じゃないかもしれないけどね。 言ってあげたら? レオナルド君としては、戦が終わったら別れが来ると思い込んでるんだから、レオナルド君なりに、切ない想いを抱いてるんじゃないの?」

「……」

「その様子だと気付いてないね、ウィル。レオナルド君は、一人でいる時でもお前といる時でも、よく不安そうな、寂しそうな表情してるよ?」

「…そうなのか…?」

「亀の甲より年の功。信じなさいよ」

「…俺とお前、同い年じゃないか」

「じゃ、恋愛経験の大先輩による眼力ってことで」

「なんだそれは。相当信用できんぞ、ジャック」


 ウィリアムはそう言って、また少し咳き込みながら可笑しそうに笑った。ジャックもそんな親友を見て、やんちゃそうな笑顔を向けた。

 ウィリアムは、多少すっきりした顔をして、歩き出しながらジャックに向かって言った。


「今夜、レオに話すよ」

「うん」

「じゃあな」


 町に向かって歩き出したウィリアムの背中に、ジャックは声を掛けた。


「あ、そういや、どこに行くんだウィル」

「あー…、いやちょっと、ベイニング医師のところに看てもらいに行ってくる。すぐ戻るよ」

「ああ。お前、ここ最近体調が悪かったからな。夜会が嫌で仮病かと思ってたけど。ゆっくりでいいから、しっかり診てもらえ。お前ももういい歳だからな」

「ひと言多いぞ、ジャック。心配するな。大事無いさ」


 ウィリアムは振り向きながら笑ってそう言うと、軽く手を振って歩いていった。


 そして最近よくする軽い咳を二つして、胸を押さえながら、ふう、とため息を吐き、ゆっくりとした足取りで医者のところへと足を運んだ。






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