第34話『社会契約論』
「なんでまだ海賊をやってるのかって? …うーん。それは皆に聞かれるなぁ」
困ったように答えを誤魔化すウィリアムの姿が、この質問があまりされたくないものだと語っている。
しかし、レオナルドはどうしても聞いてみたかった。海賊である以上、レオナルドはウィリアムを逮捕せざるをえない。海賊の肩書を捨ててくれるのであれば、何とか断罪を回避もできよう。
ウィリアムが海賊にこだわる理由が知りたかった。
「仕方ないってのが答えかな。ネオス国は、プライベーティア(私掠船)を認めていないだろう? そうすると、たとえ拿捕したのが無許可の密輸船だったとしても、俺たちがそれに略奪行為を働けばどうしたって海賊行為になる。俺は海賊でいたいわけではない。どうしようもないのさ」
「理屈はわかるが…。悪事を働く密輸船を取り締まりたいのであれば、傭兵として正式に国の認可を取ってはどうだ?」
「国の統治下に入っては、自由がなくなる」
「自由?」
レオナルドは意味がわからないという風に訝しげにウィリアムを見上げて、更なる説明を促した。
言うしかない状況に、ウィリアムは大きくため息を吐いて、申し訳なさそうに顔を覆った。
「…これから俺は、身勝手な持論を展開する」
そう言ったウィリアムに、何を今更…と思った。
「お前の理想や持論はいつも絵空事で我儘だ。驚かない」と呆れるレオナルドにウィリアムは情けなさそうに眉尻を下げた。
さて、ウィリアムが持論を展開する前に注釈しておくと、この時代は、命の価値が極端に低い。小さな罪を犯せば簡単に極刑を受け、喧嘩が起きれば殺し合いになり、名誉ある決闘で死ぬのは当たり前のことだった。
戦闘が始まれば殺しは必至である。
殺さねば殺される。慈悲や許しなど一切ない。
目的のためならば、命などは奪って奪われて当然という価値観であった。
ウィリアムは、命の尊さを説く。
だが、この時代においては完全に戯言であった。
それをレオナルドは理解している。だがそれでも、ウィリアムの持論には興味があった。その言葉には人類が目指すべき真理があると思えてならないのだ。
ウィリアムは真剣な表情で語り始めた。
「レオ。人を殺してはならない理由は何だと思う?」
レオナルドは「ふむ…。」と一瞬思索を巡らせてから答えた。
「法によって決められているからだ。それに背けば裁きを受ける」
「その通りだ。『社会契約論』の一部を要約するとわかりやすいが、人殺しや暴力が黙殺されると、強者が弱者を虐げるだけで『社会』が構築されない。故に、人間は相互の契約により社会を形成し、社会に自身の生命や財産を護ってもらうことにした。
社会は法を定めて秩序を維持し、社会に帰属した人間を守る。その代わりに社会人が法を破った場合は罰を与えるんだ」
「お前が言いたいのはつまり、人を殺してはならない理由は、『自分自身が社会に護ってもらっている対価として、相手も害してはならない。そういう契約の下で我々は安全な生存を可能としているのだから』、ということだな」
「そう。だが、『社会』から外れた者は、契約外の中で生きているので、相手を尊重する理由がない。人を殺しても罰は与えられない。しかし反面、己を守るものも何もないので、人として尊重されず、否応なく殺される覚悟を持たねばならないのだ」
「…それは、お前のことを言っているのか?」
ウィリアムは返事をせずに、困ったように笑った。
「…レオ。この海は、社会に帰属しない無法者が跋扈している。そんな者どもに虐げられ、奪われ、殺される弱者が多くいる。…俺もその弱者のひとりだった。そんな弱き者の訴えを聞き、無法者に制裁を与えて奪われたものを返してやるには、迅速さと多少の無謀と乱暴さが必要だ。正当な手続きや法に準じたやり方を考慮していては到底間に合わない。だから俺は自由が欲しい。救いたいものを救い、人を幸せにしたい」
「自由…? 確かに、…確かに国や社会に帰属してしまえば、面倒な手続きが枷となり弱者の救済にも制約や遅れが生じこともあろうが…、だが…」
レオナルドは言葉に窮した。
最初に本人が言ったように、グレイの言っていることは何とも身勝手な持論だ。自由に生きたいなどと。好き勝手ができる気楽な立場で居たいということではないか。
そうして生きている無法者が蔓延するから、国や軍は制圧を厳しくせざるを得ぬのだ。
そう言いたい。グレイの生き方を否定して、海賊をやめるよう説得したい。
だが、グレイの心が痛いほどわかる。解ってしまう。
弱者が泣いて苦しんでいるときに、国は、軍は、一体何をしてあげられたのだろうか。
苦悩の声を聞く耳は遠く、対応は遅い。そんな中で、すぐに声を聞きつけて助けの手を伸ばしているのは、いつでも同じ立場の民衆ではなかったか?
グレイのような信念を持つ民衆たちではなかっただろうか?
黙り込んでしまったレオナルドに、ウィリアムは言った。
「…『自由』という理念、そしてそれに従う行動には、必ず『責任』が伴う。
自由という権利を振りかざして人を害するようならば、それ相応の制裁を覚悟せねばならない。
社会を外れて、法に背いて、自由に生きる俺はいつ殺されても文句は言えない立場だ。それが、海賊だからだ」
「…」
「レオ…」
ウィリアムが気まずそうに名を呼んだ。レオナルドの表情がだんだんと険しくなっていくのに気付いたからだ。
「すまん、レオ。また偉そうなことを言った」
「そのようなことはどうでもいい」
「でも…怒っている、だろう?」
「…」
ウィリアムの懸念通り、レオナルドは実際に腹を立てていた。しかし何に対して怒っているのかをウィリアムは何一つわかっていない。
レオナルドは苦々しい面持ちでまるで唾棄するようにウィリアムに向かって言い放った。
「グレイ。貴様は死ぬ気か」
「…え?」
「貴様の信念も立場も理解した。だが、最終的に貴様はすべての罪を一身に背負って死ぬつもりでいるだろう? しかもそれを当然の報いだと思ってすんなりと受け入れている。私はそれに腹を立てているのだ」
「どういう、ことだ?」
「わからないか? まったく腹が立つ!」
レオナルドは眉根を寄せてウィリアムに食ってかかった。
「なぜ、貴様は己の命を大切にせぬのだ!
お前を想う人間は大勢居る。お前が簡単に命を捨てたことで嘆き悲しむ者が多く居るというのに、お前という奴は無慈悲にそれらを見捨てて不愉快な自己犠牲を展開している。
良いか! 自由の代償として責任を負う覚悟を持つのはいい。だが、簡単に命を捨てるな! 生きたいと願え。最後まで足掻け!」
「…」
ウィリアムが返事をしないことに訝しんだレオナルドは不愉快げに「どうした?」と尋ねた。
「俺が死んだら、お前も悲しんでくれるのか?」
思ってもみない問いかけに、レオナルドは「はぁ?!」と今まで出したことのないような頓狂な声をあげてしまった。
「待てグレイ! 貴様、私の話を真剣に聞いていたのか?」
「聞いていたさ。自分が身勝手で自己満足の塊だって事は反省している。最近アルフレッドやジャックにも同じように叱られたばかりだ」
「反省したのならば速やかに考えを改めろ! 私にジャックと同じ説教をさせるな!」
「うん」
ウィリアムは困ったように笑った。
レオナルドはまだ知らない。ウィリアムが海賊の頭領の座を降りることを。それによってすべての罪から逃れる算段を整えていることを。
それはまだ伝える時ではない。
だから、今話したのは過去に考えていた持論なのだ。
自分は生きる。レオと共に、生きる気でいる。
それをうまく伝えようと思っていたのだが…今はもうそんなことはどうでもいいのだ。
あのレオが、糾弾すべき海賊の罪を他所に置いて、俺に『生きろ』と言ってくれたことが何より嬉しい。
「俺のことを考えてくれて、すごく嬉しい」
「…貴様。会話を成り立たせる努力をしろ」
呆れたようにため息を吐いて睨みつけてくるレオナルドにウィリアムは堪らない気持ちになった。
破顔して、レオナルドを引き寄せ胸の中に閉じ込めた。
触れ合った素肌に、レオナルドが小さく悲鳴を上げる。
そう、ふたりは裸だった。
ふたりが話していたのは、ウィリアムの私邸の、ベッドの中だった。
夜会から抜け出して船のドックで過ごした後、ウィリアムの家に移動し、彼らは再び睦みあった。
その事後の会話だったのだが、それにしては内容に色気がないところが、全くもってこのふたりらしい。
真面目な話をしてから入眠するつもりが、穏やかではない雰囲気になってきてしまい、レオナルドは動揺した。
ウィリアムの腕が体に巻き付いて身動きが取れない。全裸のお互いの体はまだ汗でしっとりと濡れていて、密着したウィリアムの胸元や首筋から香る甘い匂いが鼻腔をくすぐる。下半身が触れ合いそうになり、慌てて腰を引いた。
「グレイ! 話はもう終いだ!」
「そうだな、もう話は終わりにして…」
「待て違う! 顔を寄せてくるな何を始める気だ!」
「……」
「やめ…、あっ…! 待て、本気でよせ! もう散々やっただろう」
「…レオの口から『散々やった』なんて言葉が出るとは…」
どうやら完全にスイッチが入ったらしいウィリアムが、もがき逃げようとするレオナルドの腰を力強い腕で引き寄せ、自身の下半身を押し付けた。
小さく悲鳴を上げて目元を真っ赤にしながら怯えたように視線を向けるレオナルドを見たら、もう堪らない。
ウィリアムは捕食者の目線でレオナルドを見据え、獣のように口をかぷりと開けると、目の前の獲物に食らいついた。
そのことを思い出してレオナルドは頭を掻きむしりたくなった。
なにせ昨晩の出来事だ。まだ体に余韻が残っている。
どうにか耐えて、これ以上ないくらいの努力をして平静を装いながら、ウィリアムがどんな理由で海賊稼業を続けているのかをエドワードに淡々と説明した。
当然余計な事は言わない。
思い出さぬよう努めて、質素簡潔にまとめた。
エドワードは「なるほどな」とひとこと言っただけであった。
それほど関心を持ってはいない様子で、何気なしに持った疑問のようだ。
ならば話題に出さないでほしかった。余計なことを思い出してしまったではないかと、レオナルドは恨めしそうに叔父を見つめた。
「ところで、レオナルド。」
エドワードが話を変えて聞いてきた。
「昨夜はグレイと一緒に居たのか?」
「はい。一緒に居りました」
レオナルドは動じなかった。
これもグレイの正体を聞かれたのと同様、予想できた質問だったからだ。
「グレイは社交の場が苦手なようで、夜会を早々に辞そうとしていたところを、私も同行したのです。その後の長話が過ぎてしまい、結局、彼の屋敷に泊まることになりました」
嘘は言っていない。そして余計なことも言わない。
能面のような顔で、完璧に用意されていたと思われる言い訳をすらすらと説明をするレオナルドが、逆に不自然だった。
エドワードが首を傾げながら「そうか、仲がいいな?」と言うと「そんなことはありません」と頑なに答える。本人は自然を装っているようだが不自然極まりない。
エドワードは不思議に思ったがウィリアム・グレイと関わるには色々不快なこともあるのだろうと慮り、深く追求することは止めた。
「では、グレイに聞いてくれたか? 俺が出立する前に、彼と会見ができるだろうか? 昨夜顔を合わせたが、せっかくならフレディ・フォックスではなくウィリアム・グレイとして会って話をしたい」
「ああ、はい、その件でしたら、閣下のご意向を推しはかりまして昨夜のうちにグレイに直接会見の要請を出しております。ですが、残念ながらご希望には叶わず、断られました」
「まあ、そうだろうな」
「代わりで申し訳ありませんが、副官のジャック・コーンウェルが接見できますが、いかがなさいますか?」
お目当ての頭領ではないが、副頭領なら申し分ない。是非にとエドワードは快諾した。
何故かレオナルドが残念そうな空気を醸し出して、
「承知致しました。では出立前に港の貴賓館でお会いできるよう取り計います」
と言い、有無を言わさぬ口調で続けた。
「私も同席させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「? 構わないが、なぜだ?」
「コーンウェルは不調法者でございます。閣下に無礼があってはなりませんので」
「彼の身分や立場は心得ている。無礼があっても気にしないぞ?」
「それでも、社交の場に出られるグレイとは雲泥の差があります。奴には手綱が必要ですので、私が付かせていただきます」
レオナルドはどうしても譲れなかった。
よりにもよって、ジャックを代わりに接見させる羽目になるとは。
ジャックは、必ずこの叔父に余計なことを吹き込むだろう。
いざとなれば、奴の口を封じなければ…!
レオナルドはそっと拳を握りしめた。
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