第36話 『集結』
「ウィリアムはおるか?!」
陽も中天に差し掛かろうかという頃、フォックス屋敷内のウィリアムの執務室にずかずかと入ってきたのは、グレイ海賊団の諜報員のトップであるブリジット・フォスターであった。
「びっくりしたぁ。どうしたのブリジット、カジャに居るはずじゃ…」
そう言ったのはジャックである。
ブリジットは部屋を見回したが、そこに居るのはジャックとレオナルド・スタンリーの二人だけであった。
「ウィリアムはおらんのか」
途方に暮れたように呟いたブリジットの様子を見て、只事でないのを察知したジャックが尋ねる。
「急ぎの用事? もうすぐ戻ると思うよ。居場所はわかるから、何なら呼んでくるけど」
「ああ、すぐに呼んで…いや、焦っても仕方ない。すぐ帰ってくるなら、よい。待とう。…ああ、ならばお前らに先に紹介しておこう。実はちと、人を連れてきているのだ」
「ブリジット。焦らないで、落ち着いて。君の報告書は、今朝読んだよ。報告書を送った後に何か問題が起こったんだね?」
「…ああ。すまぬ。少々、気が高ぶっておった。そうじゃ、問題が起こってな。早くウィリアムに知らせねばと思って、カジャの事は他の者に任せてきたのだ」
ブリジットは、落ち着きを取り戻そうと、ふう・とため息を吐いて近くにあった椅子に腰掛けた。そして、レオナルドを目に捉えると、「ああ、すまぬ、レオナルド殿」と片手を軽く上げた。
「挨拶もすっ飛んでしまったわ。無礼ですまぬな。後で話すが、事が事なのじゃ、許せ」
「…ああ、構わぬ」
ブリジットに会ったのはこれで二度目だが、初めて会ったときにはその強烈な印象に驚きを隠せなかった。
お世辞でなく美しい女性だった。
絹糸のような長い黒髪に、ぱっちりとした目。諜報員をやっている為か動きやすい男の格好をしているが、すらりとした身体に豊かなバストが魅惑的で、ドレスを身に纏ったら社交界の華になることは間違いないであろう。
しかし、喋り方だけが猛烈におかしい。
本人いわく、諜報活動で色々な人間に変装して、喋り方を変えていたら、普段どんな風に話していたか忘れたので通常は楽な喋り方を用いているそうだ。
いやどう考えても嘘だろうと思ったが、もう考えるのをやめた。
グレイの元には、個性的な人間が多い。今更、こんな無礼ごときでは感情を動かされなくなってしまった。
それよりも、ブリジットの言う『問題が起こった』のはミラーに関してのことなのだろう。
己は遠慮したほうがいいだろうかとレオナルドは気を回した。
「私は、席を外したほうが良いか?」
そう言ったレオナルドに、扉の外から声が掛けられた。
「レオナルドさんも居て構いませんよ、アタシが来ることは知ってらしたでしょうし」
その声に、全員が扉の方を向くと、「お邪魔します」とのんびりした口調で、三角帽を目深に被った長身の男が入ってきた。
「オリヴァー・クロフォード!」
レオナルドが叫んだ。
「貴様、何の報告もなく消息を絶ちおって…! エドワード閣下が頭を悩ませていらしたぞ!」
「ごめんなさい、レオナルドさん。でも、黙って出る必要があったことは、察していただけてますでしょ?」
海軍に裏切り者がいるかもしれない。それはこんなところで公に云える話ではなかった。それに、オリヴァーがイシャンティカの剣を取り戻すために、グレイの元へ協力を請いにやってくるであろうことは、予想ができていたはずだ。
…冷静にならねば…
そう思ったレオナルドは、ため息混じりに「そうだな」と言って、いつもの口調でオリヴァーの後ろに居た青年に声を掛ける。
「ライアン・ブラント。お前も来ると思っていたぞ。久しいな」
「おう。…」
ライアンは短く挨拶をして、言いにくそうにもごもごしながら、レオナルドに言った。
「レオナルド…、冷静になったとこで悪いが、ちょっと、心の準備してくんねぇか…」
「…? 何を言っている」
その時、ライアンの後ろから小柄な女性がぴょこんと顔を出した。
「わたくしもおりますわ!お兄様!」
「シャーロット?!」
ライアンの後ろから出てきたのは、昨日の可憐なドレスとは一変して男の服を身に纏ったレオナルドの妹、シャーロットだった。
「どういう事だシャーロット! 何だその格好は!なぜこんな所に…いや、なぜ、この男たちと一緒に居るのだ?!」
「オリヴァーは、わたくしの家庭教師ですもの」
「何だと?!」
「当然じゃありませんの、お兄様。わたくしもスタンリー家の一員ですのよ? 秘密を担う義務がありますわ。お兄様が家を出て海軍に入られてからずっと、わたくしはオリヴァーに鍛えられましたの」
「鍛えられたとは何だ!一体なにを教え込まれたのだシャーロット! クロフォード! 貴様私に何も言わずに、シャーロットを巻き込むなど…!」
「お兄様。言っておきますけど、お父様も叔父様もご承知ですわよ」
「何?!」
オリヴァーが、両の手の平を体の前でひらひら振りながら言い訳をした。
「アタシが黙ってたわけじゃないですよう。(シスコンの)レオナルドさんには内緒にしようと、リチャード大臣とエドワード総司令がおっしゃったんですよぅ。妹君を愛するあまり自身の艦にその名前をつけるほどの(愛が重い)アナタですもん、絶対(シスコンの)レオナルドさんは反対するだろうからって」
…言葉の間が気になるぞ… と、そこに居た全員が思った。
そして、熱くなったレオナルドを落ち着かせようと会話に割って入ったのはジャックだった。
「ごめん、話が全然みえないんだけど。ブリジットが連れてきた人ってこの三人だよね? この三人が何か問題なの?」
「うむ。儂も詳しくは事情を聞いておらぬのじゃ。ウィリアムと一緒にと思ってな」
「なんか、人間関係がややこしそうだし、急いでウィルに帰ってきてもらおうか。レオナルド君。呼んできてくれる?」
「なぜ私が行かねばならんのだ」
「とりあえず今、君と、こちらの妹さんの距離を置きたい気がするからです」
…なるほど…。と、そこに居たレオナルド以外の全員が無言で頷く。
そのとき、全開になっていた扉からウィリアムが入ってきた。
「おい、何だ? 騒がしいな」
全員がウィリアムを振り返り、『助かった』とでも言うように「ウィリアム!」と叫んだ。
ウィリアムは驚いて、周りをぐるりと見回し、何となく混乱した状況を把握したようだった。
「えっと、じゃ、ちょっと、挨拶させてもらっていいか?」
と言ってウィリアムはシャーロットに近寄ってうやうやしく手を取った。
「昨夜は素晴らしいひとときをありがとうございました、シャーロット様。このような平服でお目見えする無礼をお許しください」
「お互い様ですわ、フレディ様。いえ、ウィリアム・グレイ様でいらっしゃるのですね。わたくし、これからは貴方様の戦友にならせていただく心づもりでおりますの。どうぞ、様などお取りください。シャーロット、とお呼びくださいな」
「光栄です、シャーロット」
ふたりはにっこり笑い合ってから離れ、ウィリアムは次にブリジットのところへ歩み寄った。
「おかえり、ブリジット。何か大変な事があったようだな」
「うむ」
「シャーロットと、あの二人を連れてきたのはお前だな? 紹介を頼む。そして、ゆっくりでいいから、説明をしてくれ。ここじゃ何だから、皆、会議室に移動しようか。座って話をしよう」
ブリジットを労うように優しく言ってから、そう提案したウィリアムの言葉に、やっと場の収集がついたと思った全員がホッと安堵した。
オリヴァーがぽつりと言った。
「沈着冷静、そしていい統率力を持っていると聞きましたが、一目で判りますね。ウィリアム・グレイ…いい男だ」
「そうであろう?」
「なんでアンタが得意そうに言うんだ、レオナルド」
「……」
オリヴァーの褒め言葉につい得意気に返してしまったレオナルドは、それに対するライアンの問いに、はたと我に返り、ライアンに返事も返さず、居心地が悪そうな顔をして黙り込んだ。
それを見たライアンは、少し不思議そうに言った。
「…レオナルド。アンタ、なんか雰囲気変わったな」
そうしているうちに、全員がウィリアムに付いて大きな会議室に移動し、ブリジットから二人を紹介される運びとなった。
そして、ミラーとの最終決戦を間近に控え、ウィリアムとレオナルドは、オリヴァーに持ち込まれた事実によって、新たな決断を迫られることとなるのであった。
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