第10話『反撃の狼煙を上げよ』
「大丈夫ですか船長!さあ上がって!」
敵の砲撃が届かない
「シャーロット号! 俺はフレディ・フォックスだ! 今からそちらのアレックスと上がる!」
甲板から数名の水夫が顔を覗かせて「フォックスだ」「登ってくるってよ」「おいヤバイぜ士官の誰か呼んでこい」と、ざわざわと騒いでいるうちに、ウィリアムは鉤縄を甲板に掛けて、ジムにいくつか指示を出し、彼が大きく頷いたのを確認するとするすると上がっていった。アレックスはひいひい言いながらジムに海から引き上げてもらい、
「お願いします〜。フォックス殿の乗艦許可を…、誰か…
そう甲板に向かって言いながらふうふうと荒い息をして、ウィリアムの後に続いてもたもたとロープを登り始めた。
「フォックス殿…何でそんな登るの早いんですか…海水重い…何で…何でフォックス殿は、息切らしてないの…」
「アレックス…あんた、
泣き声のアレックスに、ジムは下から気の毒そうに言った。
艦縁を蹴るようにしてシャーロット号の甲板へ飛び乗ったウィリアムは、濡れた銀の前髪をかきあげるとぐるりと周りを見渡しながら叫んだ。
「私はフレディ・フォックスだ。艦長補佐のアンドリュー・オブライアン一等海尉はいらっしゃるか!」
戦闘準備に追われていた甲板の人混みの中から、一人の将校が掛け寄ってきた。
「フォックス殿。私は海尉のオーランドです。オブライアン一等海尉は砲撃指示のためミドルデッキへ行っており、貴方の乗艦許可を出すわけには…」
「無礼をお詫びします、オーランド海尉。すぐに下艦しますのでしばらくの間お許しを。艦尾楼と拡声器と、フォアマストのヤードをお貸しいただけますか?」
「は?」
「感謝します」
そう言うとウィリアムは艦尾に向かって駆け出し、途中で一人の水夫に「拡声器を貸せ!」と叫んだ。
その剣幕に驚いた水夫は「アイ!」と言って持っていた拡声器をウィリアムに向かって投げた。受け取ったウィリアムはそのまま艦尾楼に駆け上がり、拡声器を通して港に向かって叫んだ。
「セレーネ! 湾封鎖! ローラ!ワインを開けろ! ピッグは出られるヤツから走れ!」
それを聞いた、ジムの舟に付いてきた二隻の舟・マーカスとサムの二人は、方方に散って、港に向かってウィリアムが言ったのと同じ文言を繰り返し叫んだ。
シャーロット号の甲板でそれを聞いた水夫たちは「何だって?」「ワイン開けるっつったか?」「豚を走らすとか‥」とヒソヒソやっていたが、海尉のオーランドがそれらを目線で諌め、「フォックス殿!」と怒鳴りながら艦尾楼に駆け寄ってきた。
艦尾楼は神聖な場所である。
艦長と許された者以外が立つことを許されないその場所でこんな勝手な行動を取るなどとんでもないことだった。
それを理解しているにも関わらずウィリアムは悪びれない表情で、オーランドが登ってくる前に速やかに艦尾楼から駆け下り、近くにいた水夫に「ありがとう」と言って拡声器を渡した。
「フォックス殿! 非常事態とはいえこのような暴挙、許されることではありませんぞ!」
「オーランド海尉。私はこれで下艦します。後は、フォア・トップガラントのヤードを少しお借りするだけですので、ご容赦ください」
「フォアマスト?のヤードを? 何です?」
「海尉、ご覧になりましたか? スタンリー艦長があの船に
「何ですって?!」
オーランドは、まさかという顔をして、砲撃を仕掛けてきた護衛船の方を振り返った。
護衛船は、二度の砲撃後、シャーロット号から距離を取りつつ艦の左舷へ回り込むように旋回して、そのまま港を出て外洋へ逃げようとしているようだった。
ウィリアムも遠ざかる護衛船を凝視して、「まだイケるか」と呟くと艦首に向かってギャングウェーを走り出した。
「え、フォックス殿?!」
「詳しいことはあそこに居るアレックス君に聞いて下さい! では、フォアマスト、お借りします!」
オーランドが全く話が見えないという顔をしてウィリアムの背を目で追うと、その先にずぶ濡れでよたよたしているアレックスが立っていた。
アレックスは何とか声を絞り出して横を駆け抜けるウィリアムに叫んだ。
「フォックス殿! ジムさんはフォアマストにご案内しました! これを!」
そう言って差し出した短刀を、ウィリアムはすれ違いざまに受け取り、「ありがとう、アレックス!」と笑うと短刀の
フォアマストまではすぐである。メインマストのところまで来てウィリアムはそこからフォアマストを見上げた。見上げた先の一番高い場所のヤードで、マストを背に立ったジムが笑っていた。
そこからのウィリアムの行動を見たシャーロット号の乗員は、目を疑うと同時にウィリアムに深く心酔することとなる。
ウィリアムはフォアマストの下まで来ると
ジムが待っているヤードの、マストを挟んでジムの反対側へとよじ登り、マストにもたれかかったウィリアムは、咥えた短剣を外して一旦ふう、と息をついた。
「ロープの長さはおそらくギリギリですぜ、休んでる暇はなさそうです、キャプテン」
「俺はジムの腕に乗っかるだけだよ。お前がうまく投げてくれれば成功だ」
「へっ!ありがてぇお言葉です! じゃ、支えてくだせえ!」
ウィリアムは片手で索をしっかりと握ってマストにもたれかかり、もう片手でジムのズボンの腰の辺りを掴んで引き寄せ、ジムの身体を抱えるようにして固定させた。ジムは持っていた大きな鈎のついた長いロープを両手で持ち、ゆらゆらと振りながら、眼の前でゆっくり遠ざかる護衛船を真剣な表情で見つめた。
「…っ!」
ジムが息を詰め、グルンと振り回した鉤縄を護衛船に投げた。
鉤縄は弧を描くように飛び、スパンカーセルのガフ先端辺りにガッチリと引っ掛った。
「いい腕だ!」
ウィリアムが叫んだ。たわんでいたロープが護衛船に引っ張られじりじりと張り始める。ロープの端はフォアマストに括り付けられている。
「急いでくだせぇ!」
ジムが渡した短い鉄の棒を受け取り、ウィリアムは口に短剣を咥え直して鉄棒をロープに掛けると、ギュッと両手で握ってヤードを蹴った。
ロープの長さもタイミングも完璧だ。
ウィリアムの身体はロープを伝ってすごい速さで滑空し、あっという間に護衛船のスパンカーガフに到達した。
ヤードや動索に激突する直前に鉄棒から手を離したウィリアムの身体を、風に張られたスパンカーセルが包む。
そのまま落下しそうになるところを、ウィリアムは即座に咥えていた短剣を帆に突き刺した。そうして切り裂きながら落下することで速度を緩め、ウィリアムは船尾楼に着地した。
シャーロット号の乗員は、華麗で見事なその着地を見て、やんややんやの大騒ぎであった。
後ろからの歓声を聞く余裕もなく、ウィリアムは両膝に手を置いてゼイゼイと呼吸をして叫んだ。
「ああぁぁ滅茶苦茶怖かったちくしょう!」
すると背後でロープが落ちる音がした。ジムがロープを切ったのだ。
張り詰めたロープがシャーロット号のマストを破損させないよう、ウィリアムがロープから降りたのを確認してからすぐに切った事がわかる。ジムはできる男である。が、
「できれば船尾楼に引っ掛けてほしかったかな!」
スパンカーの先端は高すぎて怖かった!着地すごく怖かった!ああでも船尾楼だと速度が出すぎて激突死するか!くそ!
緊張で震え気味の膝をバンと両手で叩いて、ウィリアムは顔を上げた。
甲板には水夫が大勢いた。皆、ウィリアムの剣幕に怯えて動けないでいる。
というか、水夫たちのその表情には戦う意志はないように思われた。
…大方、この護衛船は賊に襲われて乗っ取られ、水夫は無理やり従わされたんだろう。が、とりあえずそれはどうでもいい。
「レオナルド・スタンリー艦長を返してもらおう」
そう言いながら短刀を近くにいた水夫の首元に当て、ひと睨みした。それだけでウィリアムはその水夫の持っていた剣を易易と奪い取ることができた。
「スタンリー艦長はどこだ」
威圧的な低い声で問うウィリアムを、恐ろしくて直視できないとばかりに、水夫たちは揃ってゆっくりと船首の方を向いた。
ウィリアムは「通せ」と短く呟いて道を開けさせ、水夫の視線の先へ向かった。
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