第3話『海賊との出会い』

 テーブルを挟んでレオナルドの対面に腰掛けると、ふう・とひとつ大きなため息を吐いてにこりと笑った。

 ここから先はきっと、とんでもない驚きの連発だろう。できるだけ冷静を装い、自分より十五も年下のこの海軍将校に足元を見られないようにせねば。

 アルフレッドは膝の上でやんわり拳を握りしめ、向かいに座るレオナルドを見た。


「さて、スタンリー大佐殿。報酬の額の多さから推察すると、うちの人足はかなり危険な任務に連れ出されるようですね。任務の内容をお聞かせ願えますか?」

「ミラー海賊団と、一戦交えたい」

「うわぁ」


 足元を見られるどころか、すくわれてすっ転ばされた気分だ。笑顔も引きつり始める。


「あの、悪名高き大海賊ジョン・ミラーですか? なぜ一戦交えることになったのです?」

「もともと、我が国はミラーに甚大な被害を被っています。今まで襲われた街や民間の商船の、復興や補償が到底追いつかぬほどに。なんとかせねばと思っていますが、軍はなかなか重い腰を上げない。そこへ、昨夜、海軍総督府にミラー海賊団が侵入し、兵士数十名が殺害されるという事件が起こりました」

「ああ、その事件はこちらも噂を聞き及んでおります」

「軍としては報復措置を取らねばなりませんが、本国の許可が下りるとは到底思えないのです。国にとっては離島で起きた些末な事件。大軍を派遣することはありえないでしょう」

「ふむ」

「そこで今回、フォックス社の海賊をお借りし、ミラーを直接叩きたいと」

「ちょっとお待ち下さい。大船団の船長ミラーを、直接叩くの、ですか? 麾下の海賊船を数隻沈める程度ではなく?」

「そうです」

「それはつまり、ミラー海賊団を殲滅せよ、とのご依頼ですか?」

「殲滅とまでは言いません。ミラーが乗船する本船を叩き潰したい、と」

「いやそれ殲滅です。海賊の頭を狙え、ということでしょう?」

「そう言ってしまえばそうなりますでしょうか」


 難易度高けぇー! とアルフレッドは心の中で叫んで、額に手を当てた。もはや顔から笑みは外れてしまっている。

 ああ、この人帰ってくれないかな…と思った瞬間、テラスから豪快に吹き出す声が聞こえた。


「アルフレッド! 今お前、『こいつ帰って欲しい』って思っただろう?」

「!」


 レオナルドは飛び跳ねるように立ち上がって後ずさり、腰に下げていた長剣に手をかけた。


「ああ、驚かせて悪い。あんた達が部屋に入ってからテラスに上がって来たんだ」

「な…! …ふ、フレディ! 帰ってきてたのか?!」

「ただいま、アルフィー。少し前に船を港に着けたとこでね。荷は置いといて帰還の報告に此処へきたんだ。それでごめん、テラスの下に張り付いて、最初からずっと聞いてた」

「馬鹿か! ここは二階だぞ?!」


 フレディと呼ばれた男が、くすくす笑いながら部屋に入ってきた瞬間、レオナルドは目を見開いた。

 見事な銀髪だった。その男の腰まである長い銀色の髪は、陽を浴びてキラキラと輝いて見えた。歳は三十を超えているだろう。長身ゆえか細身に見えるが、よく見ると逞しいその身体は長年海で鍛え上げられたことを語っている。だが無骨な身体に対して顔は爽やかで美しい。

 しかし、レオナルドが一番驚いたのはその容貌ではなく、この男が音もなく部屋の外でずっと立ち聞きをしていたということだった。

 レオナルドは海軍でも名の知れた剣術の使い手であった。自身が何度か暗殺にあう場面もあったが、どんな場面でも敵の気配をすぐに察知し危険を回避してきた。レオナルドはそんな優れた勘を持っていた。それなのに、


 …気配もなく私に近づくとは…


 終始冷静さを崩さないレオナルドが、ここへ来て初めて動揺の色を見せた。

 固まっているレオナルドに、フレディなる男はゆっくりと歩み寄って片手を差し出した。


「はじめまして、ウィリアム・グレイだ」


 レオナルドは驚きに一瞬息を止めた。


「貴様が…海賊グレイか」

「おいフレディ!」

「いいじゃないかアルフィー。もう偽名なんかで呼ぶのはよせよ。こちらの大佐様は、ウチの内情をほとんどお見通しのご様子だ。それにしたって何だよ、さっきのお前の商談。グダグダだったじゃないか。可笑しくて見てられなかったぜ?」


 頭を抱えたアルフレッドの姿を思い出したようで、ウィリアム・グレイはくすくすと笑いだした。


「笑うなウィル! というか笑い事じゃない! 聞いていただろう? 要求は海賊ミラーの殲滅だぞ?! ウチに扱える案件か?!」

「ふん、さあ、どうだろうなぁ? 交渉次第じゃないのか?」


 そう言ってウィリアムはあらためてレオナルドに向き直った。


「さあどうぞかけて。商談を再開しようじゃないか、スタンリー大佐」


 レオナルドが警戒しながらもゆっくり腰掛けたのを見て、ウィリアムも銀髪をふわりとなびかせながら向かいに座り、アルフレッドもならってウィリアムの隣に腰掛けた。


「さて大佐。俺達は、ミラー海賊団の全戦力を把握しているつもりだ。それを踏まえて正直に言えば、ミラー海賊団の殲滅はウチには無理だ。そこで聞きたい。君の一番の目的は、ミラーへの報復か? それとも殲滅か?」

「…報復だ」

「ふむ」


 ウィリアムはにこりと笑った。


「なら、配下の船を数隻沈めるだけでも報復措置としては充分だと思うが? しかしながら、どうやらスタンリー大佐は、ミラー自身を潰したいようだな?」


 レオナルドは少し考えてから「…そうだ」と呟くように言った。


「ならば君は、我々がジョン・ミラーにどの程度の打撃を与えれば、任務完了と認定してくれるのかな? 海賊団の船長として再起不能にできれば、それで構わないのか?」

「いや、ミラー海賊団の内部瓦解が望ましいゆえ、ミラーの抹殺を。そして船長だけでなく副船長のレイモンド・ローウェルと、重鎮幹部数名の抹殺も希望する」

「うーん、重鎮幹部数名か。それを確約するのは無理だな。ジョン・ミラー船長とレイモンド・ローウェル副船長の二名を仕留めるのでギリギリだな」

「おいウィル! 受ける気か?」

「とりあえずできるところまで譲歩してもらうだけさ。 スタンリー大佐。俺らの戦力でできるのは本当にそこまでだ。それ以上を望むなら、確実に失敗に終わる。どうする? 君は失敗覚悟で無駄金を使うことを選ぶか?」


 ウィリアムは少し首を傾げて微笑みながらレオナルドをじっと見つめた。

 レオナルドはその視線を少々鬱陶しく感じながら考えた。


 …この男は海賊のくせに話が早い。頭の悪い男ではない。むしろ機転が利き、交渉に長けた頭の良い男だ。丸め込まれているように思えるが、こちらも当面これ以外に良策があるわけではないから、この程度で引くわけにはいかぬか…。


 そう思ったレオナルドは承諾した。


「よかろう。その譲歩案で手を打つ」

「あぁよかった! しかし、ギリギリな戦いなだけに、成功報酬が少し足りないがどうしよう?」


 にこにこ笑いながら図々しい発言をするウィリアムに、レオナルドは苛つきを感じて軽く眉間に皺を寄せた。


「前金は上げぬが、成功報酬の額なら…」

「いや、金じゃない。俺達とフォックス社を、海賊の一味として軍に突き出さないことを約束する証文が欲しい」

「…なるほどな」

「俺達は海賊ではなく、あくまでもフォックス社が雇い入れている、商船や街の護衛団だということにしてほしい。任務をやり遂げた後も、君が雇ったのは海賊ではないということを貫き通してくれ」


 レオナルドは僅かに眉根を寄せて、神経質そうに人差し指で椅子の肘掛けをトントンと小突いてから目を伏せて

「いいだろう」

 と言った。

 ウィリアムはぱっと破顔して「商談成立だ!」と言って立ち上がり右手を差し出したが、レオナルドはその手を一瞥しただけで無言で立ち上がった。

 ウィリアムは行き場を失った右手を顔の隣でひらひらと振って

「おっと、証文が出来上がるまでは、俺は海賊で君は海軍かな?それなら握手は遠慮しようか」

 と茶化すように言うと、アルフレッドの方を向いた。


「じゃ、あとの手続きはアルフィーに任せるよ。俺は船に戻ってジャックに事情を話してくる」

「ジャックは烈火の如く怒り狂うぞ、ウィル。今度ばかりは副船長を下りると言い出しかねない」

「手に負えなかったらここに来るよ。ジャックの怒りを鎮火できるほどのいい酒を用意しといてくれ」


 そう言って笑いながらウィリアムは大股でテラスに向かい、手すりに足を掛けた。


「扉から出ろ!」というアルフレッドの声が届く前に、銀髪が流れるようにテラスから下へ消えていった。


 …何だあれは。

 と、レオナルドは少しぼんやりとした表情で誰もいなくなったテラスを見つめていた。

 あれが、ミラーに次ぐと噂される大海賊ウィリアム・グレイ? 極悪非道の噂が一切立たないので、フォックス社に飼われた野犬のようなものかと考えていた。だが…


「大変失礼しました、スタンリー大佐殿。あらためて、私を相手に手続きを進めさせていただいてよろしいでしょうか?」


 アルフレッドの言葉にようやく物思いから正気に戻ったレオナルドは、アルフレッドに向き直って促されるまま再度椅子に腰掛けると、平生の無表情に戻った。


 しかしその心臓は、驚きのせいかいつもより多少早く動いているように思えた。

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