第2話『海軍大佐レオナルド・スタンリー』
大国ネオスの『海軍総督府』とはどういった組織であるかというと、もちろん海軍であるので、軍艦を用い、海の平和を護るものである。が、それと同時に、国から下命されて植民地などの管理・統治を行っている。
本来ならば、土地を治めるのは国の要職に就く人物が派遣されるべきであるが、大国ネオスが領するボルジオ島と、その近くに点在する小島は、海に囲まれている土地柄から、船で治安を護ることが必至なのである。故に昔からそれらの土地や島を直轄するのは海軍総督府の任務であった。
その総督府が位置しているボルジオ島から東へ五キロ程の場所に浮かんでいるセオ島という小島は、大陸との貿易を盛んに行っている国家随一の商人・フォックス社の拠点のひとつである。
この島一つが巨大な商人の街と言ってもよい。四方の海岸のいたるところに利便性のよい港が整備されており、外洋に出る貿易船が必ず立ち寄る補給島でもある。
セオ島はまさにひとつの小国家であった。
フォックス社は長年に渡り国の利益に貢献しており、国家ネオスからの信頼が厚いため、セオ島には国の干渉がほとんど入らない。
そんな莫大な金が動く商人の島に、国家も海軍も不干渉とくれば、大金を狙った賊がわらわらと侵略してきそうなものであるが、セオ島を知るものはそのような心配はしない。
ここは海賊の侵略を防ぐための、自警団による戦備戦力も万全に整えられた、要塞のような島でもあるのだ。
さて、その島に、海軍大佐レオナルド・スタンリーが到着したのは昼下がりのことであった。
フォックス社の社長でありセオ島の最高権力者であるアルフレッド・フォックス氏に、約束も無く突然面会を申し出てきたレオナルドをこの要塞のような島はすんなり通した。
それは彼の立場が関係している。
レオナルドは、大国ネオスでも名の知れた大貴族・スタンリー家の若き長子であり、彼の父親は国の要職に就いていた。加えてフォックス家とは個人的に懇意にしている間柄であったのだ。
秘書らに丁重に案内されたレオナルドは、追従して部屋に控えるべき召使いも断り、ひとり、客間のテラスに立った。
セオ島一番の規模を誇る港を一望できるフォックス邸の二階テラスで行き交う商船を眺めていると、やがて部屋の扉が開く音がした。
「お待たせして申し訳ありません、スタンリー大佐殿」
そう言って部屋に入ってきた、若く身なりの良い紳士は、商人特有の穏やかな笑みを湛えてレオナルドに歩み寄った。
「いえ、お忙しい方と知りながら、先触れもせず突然面会を申し出た無礼をお許しください、アルフレッド・フォックス殿」
「とんでもない。久しぶりにお会いできて嬉しく思います。ああ、ところで、お父上のリチャード大臣はお元気でいらっしゃいますか? 私の父トマスが体調を崩して以来、なかなか会えないと気にしておりまして」
「あいにく、私はボルジオ島での任が多いので、国に居る父にはめったに会うことがありません。ですが、時折元気そうな書簡が届きます」
「それは何より」
穏やかに微笑むアルフレッドとは対照的に、レオナルドは一貫して無表情であった。だが、アルフレッドがそれを気にする様子はない。レオナルド・スタンリーは感情が一切表に出ない鉄面皮だという事は有名なのだ。
どう見ても話が弾むタイプではないので、アルフレッドは当たり障りのない挨拶はこれで終わりだと思ったのだが、意外にもレオナルドの方から会話を続けてきた。
「私も、病床にいらしたトマス氏のことは聞き知っております。右脚はずいぶん良くなられたそうですね」
「おや、父が患ったのは胸の病ですが?」
「そちらは半月ほど前に完治されたと聞いておりますよ。闘病中に右脚を挫かれて、まだ島の中心部にある屋敷で療養中だとか」
アルフレッドは訝しげに眉をひそめた。
「…リチャード大臣からお聞きになられたのですか?」
「いいえ」
そう短く答えてテラスの手すりに片手を置き、港を眺める無表情のレオナルドを、商人アルフレッド・フォックスは観察するようにじっと見つめた。
(レオナルド・スタンリーか…。情報の収集が正確で早いな…)
この島を統括するフォックス社を立ち上げた大富豪であるアルフレッドの父親は、命を狙われる事も多い故に、静養している場所や病のことも一族以外には伝えてはいない。
(情報を得たのが大臣である父親からではないのなら、レオナルド自身が強大な情報網を持っているということか)
アルフレッドがレオナルドと初めて会ったのは十二年前。
まだ、レオナルドが十歳の頃であった。
父親同士が仕事やプライベートで懇意にしているため、双方の息子も会見の場に同席することが多かったのだ。
とはいえ、息子同士も仲良くしていたかと言えば、決してそんな間柄にはなり得なかった。アルフレッドの方がレオナルドより十五も年上で、互いの立場は商人と大貴族である。歳の差も身分の差も大きい故に言葉を交わすことは殆どなかったのだ。
だが、当時二十五歳だったアルフレッドの方は、この貴族の少年の印象が強烈だったことをよく覚えている。
レオナルドは、華ある貴族社会でも噂になるほどの美貌を持っていた。綺麗に切り揃えられた美しい黒髪と、同じ色の長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳。凛とした立ち姿や面差しから溢れ出る気品。誰もが振り向かずにはいられないほどに輝くその姿に加えて、彼は幼くして既に、貴族の貫禄を持っていた。
今現在、レオナルドは二十二歳。若くして海軍大佐を務め、勅任艦長というポストも兼任して自分の軍艦を持つ程の実力を持っている。
そしてその美しさは、幼少の頃に比べて凄みを増した。
色気があったり女性に見えたりという事は決してない。中性的で触れ難く、王族並みの気品と威厳に圧倒される感じがするのだ。
アルフレッドの隣に立つその人は、同じ人間とは思えないような神秘的な造形をしている。肩の下まである細くなめらかな黒い髪は陽の光に当たると不思議と深い青色に見える。そして黒曜石のような漆黒の瞳は、透徹した揺るがない意思を持っているのがわかる。
表情のない整った彫刻のような顔からは、多くの人間と関わった経験のあるアルフレッドでも、彼が何を考えているのかひとつも探ることはできない。
(さて、これは怖いな…。この彫刻のような美人は一体、何の用でここへ来たのかな?)
アルフレッドは、腹に抱えた黒い疑念を表情に一切出すことはなく、いつもの商談のときのように、その穏やかな微笑みを崩さずにいた。
レオナルドは、港を眺めながらゆっくりと話し始めた。
「フォックス殿。貴方に代替わりしてから、セオ島は更に盛んになりましたね。ここから見える帆船はすべてフォックス社所有のものですか? 私の乗ってきた軍艦がまるで小舟のようだ」
「ええ、ほとんどが自社の物です。造船業にも手を広げて以来、交易船をはじめ、島を護る警護船も自社で手配できるようになりました」
「船と、漕ぎ手の貸し付けも行っていらっしゃいますね」
「はい。 …もしや、今日はその件で?」
「そのとおりです」
レオナルドはそう言ってちらりと流し目を向けてから、手すりから片手を離し、アルフレッドの方へ真っ直ぐに向き直った。
そして相手を見透かすような黒曜石の瞳でアルフレッドを見つめながら言った。
「貴方が所有している海賊を一団、私に貸していただきたい」
アルフレッドは片眉をピクリと上げて「なんですって?」と聞き返した。
「海賊…とは一体どういう…」
「とぼけなくて結構。フォックス社は、自社の商船の護衛のため何隻も軍船を出している。その船員のいずれもが海賊でしょう? そしてその護衛の片わらで、出会った敵国の商船を拿捕し、その積み荷を売りさばいて利益をあげている」
「お待ち下さい。…これは、困りましたな…。どうやら何かの誤解があるようです」
アルフレッドは苦笑いをしながら続けた。
「もしや大佐殿は、この島の自警団や護衛艦をご覧になって、それを海賊だと誤解なさっているのではないでしょうか? 我がフォックス社はご存知の通り、政府から、警察権はじめ行政権や外交権も与えられております」
「ええ、この島がひとつの国のようなものだ。他者からの侵略を防ぐために、フォックス社は、陸・海ともに軍隊並みの兵力を持っていらっしゃる」
「そうです。それらはすべて政府公認の兵団で、違法ではありません。ただ、それらの民兵らに制服などはありませんので、おそらくあなたはその姿を海賊だと見誤り…」
「海賊ウィリアム・グレイ」
「…何です?」
「十年以上前からフォックス社所有の海賊ですね」
「…」
アルフレッドは完全に口をつぐんでしまった。そんな彼にレオナルドはゆっくりと諭すように言った。
「フォックス殿。私は軍人として貴方の罪を糾弾しに来たわけではありません。先程も申し上げたように、そちらの海賊を貸していただきたく、交渉に来たのです。これは商売の話です」
「商売、と申されましても…」
「海賊ウィリアム・グレイの一味が持つすべての船と船員はおよそ十隻と八百人ですね? それをすべてお貸しいただく報酬として、前金で一千万ゾル、任務成功報酬に八千万ゾルをお支払いします。いかがですか?」
アルフレッドは前髪をくしゃりとかき上げて「はは」とまるでため息を吐くように笑った。
提示された金額の莫大さに驚くよりも先に、フォックス社の内情を知り尽くしているレオナルドに、もう何の言い逃れもできないと早々に悟ってしまったのだ。
冷や汗が背中を伝う。だがここで取り乱すわけにはいかない。
これは大きな商談になりそうだ。腹をくくらねばならない。
「なかなか興味深いお話ですね。ここで立ち話というわけにはいきません、どうぞ部屋の中へ」
アルフレッドはレオナルドを促し、部屋の中央に置いてある来客用の椅子を勧めた。
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