海賊たちと呪われた財宝のおはなし
小田切 瞬
第1話 『はじまり』
『 人生は私達に与えられた
小説であってはならぬ、
私達によって作られた
小説でなければならぬ 』
―――詩人 ノバーリス――――
************
海軍の総督府に盗賊が入ったらしい。
その噂は、早朝にはボルジオ島の中心街すべてに広まっていた。
街の中心で鍛冶屋を営んでいる十九歳の青年、ライアン・ブラントは、工房の二階で大きく開け放たれた窓を背にして、外から聞こえてくるその噂話を耳で拾っていた。
彼の眼の前には、三角帽子を目深に被った長身の男が立っている。
ライアンの顔が恐怖に強張りひどく青ざめている様子を見て、その男は僅かに口角を上げると穏やかな口調で語りかけた。
「噂話は本当ですよ、ライアンさん」
男の言葉に、ライアンはびくりと身体を震わせた。
「オリヴァー…、あんたが此処へ来たってことは、『鍵』が盗まれたのか?」
震える声で問いかけるライアンに、オリヴァーと呼ばれた男は間髪入れず「そうです」と答えた。
「昨夜、総督府の宝物館に侵入した賊は、数ある宝物の中から『それ』だけを選んで盗っていきました。間違いありません。奴らの狙いは、イシャンティカの財宝です」
「イシャンティカの財宝が…、つまり、その秘密が…」
「そう、秘密が知られてしまったようです」
ライアンは目を見開いて息を詰めた。
オリヴァーは諭すようにゆっくりと話し続ける。
「いいですかライアンさん、イシャンティカの財宝は、この世に破滅をもたらす。決して、誰にも暴かれてはならない秘宝です。今回、その財宝の在り処を示す『鍵』である剣が盗まれました。どんな犠牲を払ってでも、取り戻さねばなりません」
「なんてことだ…」
わずかに震える両手で頭を抱えたライアンに、オリヴァーは口調を和らげて笑いながら言った。
「ああもう、しっかりしてくださいよライアンさん。こんな時のために、貴方をアタシの後継として長年育ててきたんですから。ホラホラ自信持って。大丈夫。こんなおっさんが言っても信用ないかもしれませんけど、すっごく頼りにしてるんですよ」
「ね?」と微笑みながら顔を覗き込んでくるオリヴァーに焦りの色はない。
この男はどんな危険な状態に陥っても、いつも沈着冷静だ。そしていつも、並の男よりも格段に鍛えられたライアンを、茶化すようにして子供扱いするのだ。
そんな普段と変わらないオリヴァーの態度に、ライアンも僅かながら平静を取り戻した。
そうだ、怯えている場合ではない。
そう思ったライアンは顔を上げて、ひとつ呼吸をすると表情を引き締めた。
「オリヴァー、賊の身元はわかってるのか?」
凛とした声で尋ねるライアンにオリヴァーはにっと口角を上げた。
「ミラー海賊団です」
「ミラー?! あの極悪非道な大海賊か?!」
「ええ。困っちゃいましたよねぇ。相手は強敵な上に、根城をコロコロ変える奴らですから、この広い海で彼らを探し出して剣を取り戻すのは、困難を極めるでしょうね」
「何か、策はあるのか?」
「『鍵』を代々護ってくれているスタンリー家の、レオナルド・スタンリー海軍大佐がもう動いてくれています」
「レオナルドが? …ってことは、海軍を出動させるのか?」
ライアンは眉根を寄せて不審げに言った。
「イシャンティカの財宝は、国家も知らない極秘事項だ。おおっぴらに軍を動かすことはできないだろう?」
「ええ、そのとおりです。軍を私的に動かすこともできません。ですから、レオナルドさんは単独で動くようですよ」
「はあ? 単独で?! 大海賊団相手に?!」
オリヴァーはふふ・と笑った。
「ご心配なく。彼は相当な切れ者ですよ。きっと上手い策を立ててくれることでしょう。そんなわけで、アタシ達はこれから、彼のサポートに回ります。さっさとここを引き払って、海軍総督府でレオナルドさんからの情報を待ちましょう」
「それだけ? 俺達はミラーを探しに行かなくてもいいのか?」
「ライアンさん、お忘れなく。アタシと貴方はイシャンティカの財宝の『守護者』です。隠されたイシャンティカの財宝の場所を示す『鍵』のひとつですよ。剣だけでなく我々までもが海賊ミラーの手に落ちるようなことがあったら、危険極まりない。我々は、表立って動くのは、極力控えなければなりません」
ライアンはごくりと喉を上下させて「解った」と頷いた。
オリヴァーは三角帽子を更に目深に被り直してくるりと踵を返した。
「では、行きましょうか」
二人の男は外へ出て、歩き出した。
街はいつものように騒がしい。
早朝の市場。群衆の声。生活の音。それはいつもと変わらない日常の風景だった。
そのはずだった。
今はもう、見えるもの聞こえるものが、すべて違ってしまった。
…落ち着かなくてはいけない。
そう思いながらも、ライアンは、まだ混乱と恐怖で足元が覚束ない感覚でいた。平和な日常が、あまりにも突然に壊れてしまったのだ。容易に受け止めきれるものではなかった。
ライアンには、街のすれ違う人混みや喧騒が、やけに現実離れしたもののように思えた。
…この街の誰もが知らない。 世界に破滅をもたらすパンドラの箱が開き始めたことを。
当然のように来ると思っていた明日が、もしかしたら来ないかもしれないことを。
ライアンは胸の内にじわじわと、黒い不安が広がるのを感じていた。
――まさか、こんな日が来るとは。
なぜ、非道な海賊に、イシャンティカの秘密が知られてしまったんだ。
「…海賊・ミラー…」
ライアンが小さく呟いたのが、少し前を歩いていたオリヴァーの耳に入った。オリヴァーも前を向きながら「ふむ…」と考え込むように空を仰いだ。
「海賊ミラーですか…」
オリヴァーがふと呟いてから、ニヤリと嗤った。
「さぁて? イシャンティカの呪いを受けて、生き残れる御仁でしょうかねぇ」
可愛い弟子に独り言を聞かれないよう、オリヴァーは歩を早めた。
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