第2話 通学②

「秀にぃ……それAIであって本物じゃないわよ。私も本物かと思っちゃったけど」

「そ、そんな事は、わかってるよ」

「わかってて、やってたの!?」


 芽衣の表情が驚きから哀れみに変わるまで時間はかからなかった。


「何だよ!? その顔は! 心配するな。お前が考えてるような事は無いから」

「こんな住宅街で、堂々とスマホのAIとイチャイチャする兄を持った妹がどんな気持ちを抱いてるのか本当にわかってるの!?」


(しまった!? 学校じゃないからって油断してた)


 秀矢は現況を冷静に見直した。そして、今の自分は傍から見て、不審人物であることを認識する。

 わき上がる羞恥心で頬が熱帯びる。続けて、微かな騒めきが聞こえた。

 素早く首を左右に振る。

 いつの間にか、大通りに出ていたようだ。

 歩道には、学生服やスーツを着た人が散見される。

 路側帯を走る自転車。それを追い越す自動車。

 そして、こちらに視線を送る人達が目についた。


(亜由美とのコミュニケーションは、注意を払わないとな。俺一人ならともかく、妹の人間関係に悪い影響が出たら、手に負えなくなる)


 現代は、一億層監視社会。老若男女に普及したスマホのおかげで、噂は瞬く間に世界中に広まる。

 一瞬の油断が社会的に命取りなのだ。


「今まさに思い知ったよ。確かに、天下の往来で一人芝居する奴が身内にいたら、挙動不審でネットのオモチャになるからな。――ということで、亜由美。外に居る時は静かにしてろよ」


《はーい》


 亜由美は反省の色が微塵もない、気の抜けた声で言った。


「芽衣、行くぞ。初日から遅刻はゴメンだからな」

「……」


 芽衣は顎に手を当てて、ぶつぶつと呟いてる。

 どうやら考え事をしてるようだ。

 しかし、両足は動いてるので、声をかけるのを止めた。

 秀矢はスマホを内ポケットにしまってから、歩き出した。

 歩いてる最中、スマホが振動する。

 今度は何事か、と思い秀矢は渋々、カバンから手の平に収まる大きさの黒い物体――無線イヤホンの充電ケースを取り出した。

 中には、無線イヤホンが二つ収納されてる。二つの内、一つを摘まみ取り、右耳に装着。

 もう一つは装着せずに、そのまま蓋を閉めてカバンに放り込んだ。


《あー、よかった。これで私の声は誰にも聞こえないね。まあ、今の秀矢は私と通話できないから、独り言になっちゃうけどさ》


 右のイヤホンから亜由美の声が流れる。

 イヤホンにはマイク機能があるので通話も可能だが、イヤホンの位置の都合上、周囲に聞こえないほどの小声は拾えない。

 それは亜由美も承知してるので、秀矢は何も答えなかった。


 しばらく二人並んで歩いてると突然、芽衣が口を開いた。


「そうね。ここはやはり私が人肌脱ぐしかないわね」

「ん? お前、何を考えてるんだ?」

「私が当面、お兄ちゃんの学校まで付き添うしかないわね」

「保護者面するな」

「だって、AIとぶつぶつお話する秀にぃを放っておけないもん。それに一緒に登校すれば、悪い虫が寄ってこないだろうし――」

「そんなことしたら、お前が遅刻するだろう」

「うん。だから秀にぃ、明日から三十分早起きしてね」

「冗談じゃねえ! 学校が違う妹と一緒に通学する兄なんて、それこそ変な噂が広まるだろうが!」

「何か問題でも?」

「大ありだ! 下手したら俺がロリコン扱いされるだろ。話を盛る連中は自分達が楽しめれば、真偽なんてどうでもいいからな」

「大丈夫よ。私の学校じゃないし」

「俺が困るんだよ! そんな噂が学校中に広まってみろ。通学どころか退学するわ!」

「はっ! それは困るわ」

「だろ?」

「秀にぃが高校中退したら、昔みたいに一日中部屋に引きこもってゲームするだけのダメ人間に逆戻り――」

「誤解を招くようなことを言うな! 中学はちゃんと通ってただろ!」

「冗談よ。可愛い妹の茶目っ気じゃない」


 芽衣は満面の笑顔で言った。

 ただでさえ先行きが不安な高校生活の初日という事もあり、秀矢の足取りが重くなる。


《うーん、芽衣ちゃん……ちょっと距離感バグってない? それとも最近の年が近い思春期の兄妹って、こんなものなの?》


(んな事、知るか)


 イヤホンから流れる亜由美の声に、心の中で返答する。

 もうしばらく歩けば、芽衣とお別れ。

 秀矢の通う高校と芽衣の通う中学の通学路が一緒なのは途中まで。

 そう思い、黙って歩く。


「きゃあああああああああああ――」


 足音すら聞こえない通学路の静寂を女性の悲鳴が切り裂く。

 全身に緊張が走る。


「え? 悲鳴?」


 動揺してるのか、芽衣の声に微かに震えてる。


(あっちは、芽衣の中学の方じゃねえか)


 悲鳴の方向に目を向ける。

 そこには、歩道に倒れてる人と、それを見下ろす人が居た。

 その周りには、二人に背を向ける形で走ってる人の姿が多く見られた。


「芽衣は下がってろ」


 言ってから秀矢は、左手で口を覆い、右手で右の耳を覆った。

 そして、左の親指以外の四本を右手の小指球――手刀をあてる箇所に添える。

 右耳のイヤホンで亜由美と通話するためだ。


「亜由美、見えてるか?」


《ばっちりよ。倒れてるのは女性で、腹部に赤い染み。で、側にいる男の手には、血がついた刃物が握られてる。――それにしても、昨日の今日で大変ね。まあ、あそこまでやってるなら、直に警察が来てお縄でしょ。無理しなくていいんじゃない? 一応、今の状態でもプロの格闘家並みの身体能力と運動神経はあるけど、刃物を持った素人相手には分が悪いわよ。これ、先輩からの忠告》


「ダメだ。芽衣の記憶から通学中に、凶悪犯と鉢合わせをした、という体験は排除しておきたい」


《おお、妹想いのいいお兄ちゃん》


「んな悠長なこと言ってる場合か」

《安心して、警察と消防には通報済みよ》


「さすがだな。あと、例のあれ……たしかオフの時の緊急事態でなんかあったよな?」


《その申請も出したわよ》


「仕事が早いな」


《ふふん。これでも秀矢より一年先輩だからね……っと、こう話してる間に承認が下りたわ、範囲は周囲100メートルってところね。時間はどうする?》


「三分で頼めるか?」


《オーケー。当たり前だけど、ここは日本の一般市街地。ダンジョンじゃないから刃機じんきは使えないけど、大丈夫よね?》


「大丈夫だ。あの力が使えるなら、刃物を持った素人なんて相手にならねえよ」

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