第2話 戸惑い

森に小鳥族が留まったことは、すぐ国中に知られたが、王の厳命により、手を出すことは一切禁じられた。


もとより、冬の森に入る者はそういない。

しかも小鳥族など、取るに足らない脆弱な一族だ。

一冬の間の庭師を置いているようなものだと、獣人達はそれほど興味を示さなかった。




王城に留め置かれたルリはといえば、取り立てて目立つ動きはしなかった。

いや、目立つ動きどころか、自由に歩き回って良いと教えた王城の住居区内にさえも姿を見せない。

充てがわれた一室に収まり、日がな一日、窓硝子越しに黙って空を見ているというのだ。


食事は質素に、種子と野菜、時には果物を少量口にするのみで、酒等の嗜好品も好まない。

世話役に付いている栗鼠リスの獣人が欲しいものを尋ねても、新鮮な冷たい水を求めるのみだ。


これではまるで、虜囚のようだと王は思ったが、考えてみれば担保と言う名の人質として預かったのだから、本人の感覚としては虜囚と変わらないのかもしれなかった。


あの輝く黒曜の瞳と、不思議なさえずり。


それは王の中に印象的に刻まれていたが、だからといって、出てこないものを無理には引き出せまい。

何しろ彼女はただの預かりもので、こちらに怯えている様子だったのだから。



そんなある日、王は公務の合間に中庭に出た。

寒風が立派なたてがみを揺らし、小さく身体を震わせる。

寒いのはあまり得意ではなかった。


もう戻るかときびすを返した時、王の視界に、窓際に佇むルリの姿が入った。

数階上の硝子窓に手をつき、空を見上げている。

その姿は初めて見た時と変わらず、儚げで美しかったが、一心に空を見上げていて、下を歩く王の姿など微塵も目に入っていない様子だ。


それがなぜか、王の苛立ちを誘う。


王は大きく足を踏み出し、城内へ戻ると、そのままルリのいる居室へ向かった。




「獣王様」


世話役に付いている栗鼠が、乱暴に居室に入って来た王に驚いて言った。

その声で弾かれたように振り向いたルリは、腰掛けていた出窓の縁から滑るように降りて、こうべを垂れる。


「良い。顔を上げよ」


普段通りに声を発したつもりだったが、やや強く放たれた言葉に、ルリは一度ふるりと身体を震わせたが、ゆっくりと顔を上げた。

謁見の時と同じように、僅かな怯えを含む瞳が、それでも真っ直ぐに王に向けられた。


「お前は空ばかり見ていると聞く。それ程に飛んで仲間の下に戻りたいか」


ルリは数度瞬いたが、慌てて首を横に振った。

銀灰の髪がふわりと広がり、毛先に瑠璃色が舞う。

彼女は細い指で自分の瞳を指し、次に窓を見て空を指した。


王は眉根を寄せる。


「…………見ていただけ、と言いたいのか?」


ルリは理解してもらえて嬉しいと言うように、つぶらな瞳を僅かに細め、そっと笑んで頷いた。


その控えめな笑みは、王にとって長らく見たことのないものだった。

貼り付けたような作り物の笑顔でもなく、媚びへつらうものでも、愛情の押し付けでもない。

遠い昔には見たかもしれないが、王位に近付いてからは見なくなった、心から滲み出るような微笑み。



「……逃げたかったわけではないのか?」


ルリは驚いたように笑顔を消して頷いた。


笑顔が消えたことが妙に惜しく、王はじっとしていられない気分になった。

大股で部屋を横切り、窓に手を掛けると、両開きの硝子窓を外に向けて大きく開く。

冷たい新鮮な空気が室内に入り込み、王の鬣を揺らした。


途端にルリは立ち上がり、風に向けて両腕を差し出すと、両の翼を広げた。

スサと軽く乾いた音と共に、瑠璃色の翼が大きく横に伸びる。

絹糸の髪と、羽根の羽弁うべんが細やかに震え、彼女の顔に歓喜の笑みが浮かぶ。


咄嗟に王は、自分の側に伸びていた翼の先を鷲掴みにした。


〘あっ!〙


ルリがよろけて膝をついた。

先を掴んだだけのつもりが、小柄で軽い彼女にとっては、急に引かれたかのような衝撃だったのだろう。

王は驚いてすぐに手を離したが、ルリは苦痛に顔を歪め、翼を震わせながらそろりと畳むと、王を見上げる。


その瞳には再び怯えが滲んでいて、王は激しく狼狽えた。


「……空へ飛んでいくのかと思ったのだ!」


言い訳など求められていなかったのに、王はそう言葉を投げた。

ふるふると弱く首を振るルリに、それ以上何と声を掛けたら良いか分からず、大袈裟にマントを翻して、王はその場を後にしたのだった。




その夜、王は寝室の窓際で、大きく溜め息をついた。


今夜、後宮へのを取り止めると、後宮を取り仕切る高官から長々と説教をされて頭痛がする始末だ。


王には、後宮に妃が大勢いる。

新しい種族を取り込む度、その種族から見目麗しい娘が差し出されるのだ。

それは、種族間の繋がりを強くするという名目だが、人質の意味合いも持つ。

決して獅子との間に子を設けることは出来ないであろうことが分かっている種族でも、決まり事として行われるからだ。


娘達が、望んでやって来たのかどうかは分からない。

しかし決まって、娘達は王の前に出れば微笑むのだ。


この心を捧げます、と。

王のご寵愛を頂きたい、と。


その者等を組み敷けと言われれば出来ようが、どうして心安らかに添えるものだろうか。

未だに、王に子はなかった。




王は、再び溜め息をついた。

ふと見上げた王城の窓に、一箇所大きく開いた所がある。


それは、ルリの居室の窓であった。

昼間王が開いた硝子窓がそのままにされていて、窓際にルリが座っているのが見えた。

窓は開いているが、彼女が一心に空を見上げているのは同じ。

そして、階下にいる王に全く気付いていないのも同じ……。



グル…と王は喉の奥で唸った。


後宮の女達の顔を見たくないと思ったのに、ルリが僅かにもこちらを向かないことが、どうしてこれ程に胸を痛くするのか。


いっそここで吼えれば、驚いて下を見るだろうか?


王は長い鬣をなびかせて、グワと口を開いた。

しかし、ビクリと身体を震わせたルリを思い出すと、どうしても声を発することが出来なかった。



結局王は、そのまま黙ってルリの姿を見上げ続けていたのだった。


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