第9話 だって君の死を知っているから
リリアが風呂から上がってきた後は、二人でソファーに並んで座って、テレビのお笑い番組を見た。
「ぶ……んぐ……ギャハハハ!!」
コーラを吹き出して、リリアは豪快に笑った。どうやら、お笑い芸人のツッコミが、彼女のツボに入ったらしく、繰り返し蒸し返すように「ぎゃはは」と笑っていた。
彼女が口からコーラを吹き出したことで、美麗なカーペットも、彼女自身の黒のTシャツも、びしょびしょに濡れてしまった。
この人、やっぱりおかしい……
すぐに手を繋いできたり、一緒にどこへでも行ったり、俺の目を気にせず、躊躇なく裸になったり、豪快に笑ってコーラを吹き出したり……大学での大人し気な彼女とは、やはり別人だった。
「あーあ……何やってるんだよ……」
「あ、ごめん。コーラかかった?」
「俺は大丈夫だけどさ、せっかく綺麗な部屋が汚れるだろ?」
俺は、テーブルの上にあったふきんや、箱のティッシュで、リリアが吹き出したコーラで濡れたテーブルやカーペットを拭いた。
リリアは、シャツを脱いで脱衣所の洗濯機の中に入れて、また新しいTシャツと、モコモコした寝間着をタンスから取り出した。暖房が効いているとはいえ、冬という季節にTシャツ一枚では寒かろう。
テレビが終わったら、彼女の「推し」だという、Vライバーの配信を、小さいタブレット端末で一緒に見た。俺も「一緒に見てみない?」と誘われたので、ポテチを貪る彼女の隣にちょこんと座ってご一緒させてもらった。
配信が終わったころには、時計は、12時30分を指し示していた。
「そろそろ寝よっか。歯ブラシ、新品のやつあげるよ」
「ああ、大丈夫。俺、自分の普段使いのやつ持ってきたから」
「私の家に泊まる気まんまんだったんだ」
「リリアさんに無理やり家に連れ込まれる可能性も考えて、準備してきたんだよ」
バックから、自分の歯ブラシを取り出して、洗面所に向かうのだが、ここでも、リリアは、背中にぴったりくっ付くようにして同行する。
隣合って、鏡と睨めっこしながら歯を磨く。
そして、いよいよ眠気がピークに達していた俺は、広々としたソファーの上へ横になった。今日は、一日、リリアに振り回されて最高に楽しかったし、疲れたな……
「え、そんなところで寝るの?風邪ひくよ?」
リリアが、腕を枕にして瞳を閉ざした俺に、鈴の音のような美声を浴びせた。
「一つしかないベットで俺が一緒に寝たら、狭いだろ」
「えーそんなこと言わないで、一緒に寝よ?」
「遠慮させてもらう」
「風邪ひいて、辛い思いするのと、私と一緒にベットに行くの、どっちのほうが嫌なのかな~?合理的な考え方ができる湊くんなら……分かるよね?」
「う……」
俺の手を揉みながら、耳元で甘い声で囁いたリリア。また、脳が、リリアのとろけるような言葉によって酔わされてしまう。
ソファーで寝て、腰や背中を痛めて風邪を引くのと、リリアと一緒の布団に入るの、どちらかを選べと言われたら……そりゃ、ね。
「……」
俺は、黙ってリリアに手を引かれて、ベットに座った。
「そうだよね~風邪ひくと、辛いもんね~」
「風邪を引きたくないから来たのであって、リリアさんと一緒に寝たいから来たんじゃないからな」
「嘘だ~。本当は、私とベットの中でイチャイチャいたかったくせに~」
「嘘じゃない」
「耳、赤いよ」
俺の右耳に触れたリリアの指先が、冷たく感じた。
「ああ!!むかつく!
本音の一つ隠せないこんな耳、引きちぎってスープで煮て食ってやる!
漫才のようなやり取りを経て「ふふふ」と、リリアは笑った。
「……」
「電気消すよー」
俺が壁際に横になると、リリアがリモコンのボタンをポチポチと二回押して、天井に備え付けられている白色のシーリングライトの電気を消した。……ベットの近くのおしゃれな照明は、暖色の色に、わずかに光ったまま。
「こっちのライトは消さないの?」
俺は横になりながら、ベット脇のおしゃれな照明を指さした。
「ちょっとの明かりがあったほうが、よく眠れるし、地震とかあったときに、明かりがあると安心でしょ」
「おお、賢い」
「でしょ。私、そういうところは、抜かりないからね」
【そういうところ】は、本当にしっかりしてるなと思う。それ以外の綻びが大きいことには目をつぶっておいて。
瞳を閉ざして、眠りに就こうとする俺に、リリアは、しきりに話しかけてくる。……悪い気はしない。俺も、リリアと胸襟を開いて話ができるのが楽しくて仕方がないから。
「湊くんって、実家住みだったよね?」
「ああ」
「ご両親に連絡入れなくて大丈夫?」
「そこはご心配なく。『友達の家に泊まる』って、映画観終わった後に連絡入れておいたから」
二人とも、俺と似て心配症だから、逐一、しっかりと連絡をしておくがお互いのためになる。
母は、俺の珍しい外出とお泊りの宣言連絡に『楽しんでね』と、エールを送ってくれた。父からは『女の子か!?』と送られてきたが、『男友達だよ』と返しておいた。まあ、嘘なんですけど。俺に男友達は居なくって、リリアが唯一の友達だ。
「お母さんとお父さんのチャット、見せて」
「え、スマホ取りに行くのめんどくさい」
と言いつつも、布団から出て、テーブルの上のスマホを手に取って、リリアに手渡していた。
俺には、友達も彼女もいないから、スマホのチャットの内容は、すべて父母との連絡のみ。メールでのやり取りは、大学の先生とのみ。だから、スマホのチャットの内容や、メールの内容を見られても問題はない。
リリアは、俺のスマホを舐めるように、チャット履歴を閲覧しながら「ふむふむ」言っている。
「お父さんとお母さんと、仲良いんだね」
「うん」
「私も、ママとパパ大好き」
「俺たち子どもの最大のスポンサーだもんな」
「ふふっ……スポンサーって、言い方……」
20年もの月日を共に過ごして、十分に扶養してくれた両親には、感謝しかない。だから、ときどき夕飯を作ったり、家事の手伝いなどの親孝行は、欠かしたことがない。
リリアは、ここに一人で住んでいるが、家賃は、両親が払ってくれているようだし、彼女自身も「大好き」と言っているから、俺と同様で、親との関係は良好なようだ。
と、俺のスマホを見ているリリアの、脚をすりすりと擦る音が止んだ。
「湊くん?この【すず】っていう子は、誰なの?」
うとうとと、意識が暗くなってきた俺の脚に、リリアの脚が絡まってきた。まるで、タコ足のように、ぎゅっと密着して締め付けて離れない。
心配すんなって。彼女は、できたことないって言ったでしょ。
「高校のときの同じクラスの人だよ。グループ活動のときに、連絡を取る必要があったから、連絡先交換して、そのまま残ってるってだけだよ」
「ふーん」
疑い深いのか、リリアは、チャット履歴を確認していた。……別に、その子と浮気しねぇよ。顔も覚えてないし。
――チャット――
湊:よろしくお願いします
すず:よろしく
湊:次の班集会は、木曜の放課後でお願いします
すず:了解です!
湊:テーマは【地域のゴミ問題】で調べておいてください
すず:了解です
―――――――――
チャットの内容が、このように簡素なものであったことに、リリアは安心したようで、脚を絡め締め付ける力を弱めてくれた。
「言ったろ?高校のときのグループ活動のやり取りしかしてないよ」
「疑ってごめんね」
「いいよ」
俺はくるっと彼女のほうを向いて、スマホを受け取ろうとした。
だが、スマホを受け取ろうと伸びた俺の手を、リリアは避けた。
「返してくれ」
「ねぇ、この子と、もう連絡取ってないんだよね?」
「ああ。チャットの履歴見ただろ。最後にチャットしたの……いつだっけ?」
「3年前の11月だね」
リリアは、頑なにスマホを返そうとしない。別に、やましいものは無いのだが、変いじられて、設定でも変えられたら厄介なので、返してほしいところ。
リリアは、【すず】とのチャットルームの【削除】ボタンに指を置いている。
「おい、消すな、消すな!」
「なんで?もう連絡してないなら、消しても大丈夫だよね?」
まあ、確かに……と、納得した自分がいた。
高校のときのグループ活動はとっくに完結しているし、もう話すことも、会うこともないだろうから、チャット履歴を削除してしまっても、問題はないだろう。
「じゃあ、消すね」
「ああ……本当に消すんだ……」
リリアは、本当に、チャットから【すず】を削除してしまった。
次に、その下のメンバーに手をかけた。
「この【ケント】は、誰?」
「それも、高校のときの同じクラスの人。さっきの人と一緒で、グループ活動のときに連絡先交換した人だよ」
「消すよ」
「おい、全部消すつもりなのかよ!?」
もう会わないから、大丈夫……とは思いつつ、リリアの行動があまりにも奇怪だったので、スマホを取り上げようとした。……なんで、過去の俺のチャットのメンバーを軒並み、削除しようとするのか。
スマホの画面の光に照らされたリリアの顔は、恐ろしいまでに美しい笑みを浮かべていた。
「――私以外の人とお付き合いできないようにするためだよ。女の子も、男の子もね」
俺がもし、男性に好意を抱く可能性までを考慮しての【独占欲】の露呈であった。そんなに、俺のことが好きで好きで独り占めにしたいのかよ……と、彼女からの重すぎる愛情に魅せられて、心臓がドクドクと高鳴った。
「ちょっと、リリアさん、顔が近いです……それと、苦しい……」
リリアの両手が、俺の脇の下にスルりと回り、背中で組まれた。
彼女の瞳が、鼻先が、すぐ目の前にある。
「湊くんは、私だけのもの。私の、絶対の【運命の人】だもん」
「そ、そうか……そう言ってもらえて嬉しい……よ」
ぎこちない返事の後には、リリアがさらに腕の締め付けを強くした。彼女の心臓の鼓動が、俺の高鳴る心臓の叫びと共鳴して、服越しに感じられるぐらい……お互いの体温が感じられるぐらい……体が密着した。
ただ、恥ずかしいと同時に、この上ない多幸感も、同時に体を包み込んでいた。
「湊くんは、私が幸せにする。私は、湊くんに、幸せにしてもらう」
「そ、それが理想的だね……そうだね……」
やっぱりこの人、どこかおかしい……とは思いつつ、俺も、彼女を抱き寄せる腕を緩めようとはしなかった。この腕は、ぜひとも離したくない。
――だって、君は【運命の人】で、来年の12月17日に死ぬから。
「ぎゅって抱き合ってると、最高に幸せじゃない?」
リリアの頭から香るシャンプーの匂い、リリアの寝間着から香る柔軟剤の匂い、リリアの胸から伝わる、命が刻む旋律の鼓動、リリアの呼吸の音、リリアの脚のすべすべとした感触、リリアの腕の締め付け、リリアの背中の曲線の反り具合……
それらすべてが心地よい。
「ハグって、こんなに幸せなことなんだな……」
「よかった、また一つ、湊くんに幸せを教えてあげられて」
「おやすみ」
「おやすみ~湊くん」
俺とリリアは、強く抱きしめ合い、同じベットの上、同じ布団を被りながら、眠りに落ちた。
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