第8話 どうしても憎めないヤツ

 それぞれ、個別で体と頭を洗った俺とリリアは、湯を張った広い湯舟に一緒に入った。


 給湯器の操作盤に表示されているお湯の設定温度は、なんと、42℃を示していた。


「熱いな……」

「そう?冬はいつも、この温度で入ってるよ」


 俺の家では、いつも40℃で湯を張っているから、2℃上がるだけで、こんなに熱いんだなと、肌身で感じながら、ゆっくりと、入湯。


 一方、リリアは、何ら特別な反応無しに「良い湯だぁ」と、立ち昇る湯気を仰視しながら入湯。俺の正面に座った。


 思いっきり彼女の胸をガン見してしまったが、すぐさま、目線をすりガラスの窓に向けて、お湯の温度の話を無理やりにでも続けた。


「俺の家は、40℃でも父さんが『熱いな』って言ってるぐらいだから、リリアさんは強いなぁ」

「ちょっと熱いぐらいが、一番気持ちいいでしょ」

「ちょっとじゃなくて、だいぶ熱いぞ……」


 入浴剤を入れてあるから、お湯の色が橙色になっていて、花の香りが湯気とともに広がっていた。


「というか、リリアさんの家のお風呂場、広いな。俺の家の2倍はあるよ」

「えへへ、いいでしょ~」

「羨まし」


 俺は、持参していた小さいタオルを腰に巻いているが、リリアのほうは、タオルの一枚すらまとっていない、産まれたままの姿をしている。そのため、目のやり場にたいへん困っている。


……男性諸君ならば共感できるだろうけど、下半身が厳しくなってくる。だから、ずっと足を組んで【そこ】を力づくで押さえつけて隠している。


 リリアに悟られぬよう、何とか話を繋いで取り繕う。


「あの、リリアさん」

「何?どした?」

「女の子の胸って、どのぐらい柔らかいものなんだ?」

「えへぇ?」


 俺らしくない問いかけに、リリアは低く、独特な声で鳴いた。


 決して血迷ったわけではない。俺は、いつだって冷静沈着だ。


 今の状態では、湯舟から上がるときに【バレて】しまうから、リリアに先に上がってもらいたかった。その間を持たせるための会話の斬りこみである。


「湊くん、ついに私に手を出す気になったね」

「いや、その気はないよ。残念だったな」


 リリアは、少女然として頬をぷくーっと膨らませて、分かりやすい不満顔をした。あまりの可愛さ……俺が、大空湊という人間でなかったら、理性を奪われて、リリアに飛び掛かっていたかもしれない。


 ただ、そんなことをしたら、何故だか、彼女に【刺されそう】な気がする。


 だから、もっと仲良くなって、時間が経って、彼女から求められたら、【ソレ】に応えようかな。


「触るのが一番早いよ。私ので良ければ、揉む?」

「揉まないよ!」

「そっか……残念。まあ、男の子が女の子のおっぱいの柔らかさを感じるには、二の腕を摘むといいよ」


 リリアは、自らの二の腕を指差した。


 俺は、彼女に倣って、自分の二の腕を指で摘んでみた。……が、少し筋肉質で、固かった。


「……ダメだ。俺、ほどよく筋肉質だから、柔らかくないわ」

「ああ、そっか。男の子だから、感触が違うのかな」


 するとリリアは、百人一首の札を取るみたいな、目にも留まらぬ速さで、俺の腕を掴み、彼女自身の二の腕に押し付けた。


 あまりに早く、そして突然だったから「わっ」と、声が漏れた。


「どう?柔らかいでしょ」

「へ……ぁ?」」


 ――滅茶苦茶柔らかい。


 これが、リリアの二の腕の感触……そして、胸の……


「じゃあ、本物を揉んで確かめてみようね」

「そ、それだけは遠慮させてもらいます!!」


 ニマッと眼を細めて、俺の手を横に引っ張ったリリア。……危うく、禁忌の柔らかさに指先が触れてしまうところだった。


 俺は手を引いて、どさくさ紛れ、湯舟を上がった。


「お、俺、のぼせそうだから、先に上がるわ」

「え~せっかくなんだから、もっとゆっくりしていけばいいのに」

「脱水症状で倒れるって」


 風呂に入る前は、コップ一杯の麦茶を飲んでいるのだが、それでも、リリアの家の湯の温度は熱すぎる。


 腰に巻いたタオルを左手で押さえながら、リリアから借りたもう一枚のタオルで体の隅々まで水気を拭って、風呂場を後にした。



「はぁ~~」


 一日の汗を洗い流した開放感からか、それとも、リリアの目を誤魔化し切ったことによる安堵と達成感からか……長い息が口から放たれた。


 とりあえず、俺の下半身を厳しくしていた元凶である、リリアの裸体を景色から外すことができたので、バスタオルで、さっさと体の水気を拭いきって、持ってきておいた高校の緑ジャージを着て、髪を乾かそう。


「私が先に髪、乾かしたいな~」

「っ――」


 さっさと脱衣所を出たかった……が、間に合わず。


 リリアが、浴室と脱衣所とを隔てる戸を開けて、すっぽんぽんの丸裸で出てきたのである。


「り、リリアさん?あなたには、恥という感情がないんですか!?」

「え、あるよ。当たり前じゃん。私も人間なんだよ」

「恥らいがある人間の行動には思えないんですけど?」


 俺の目をガン無視で、リリアは首からタオルをかけ、バスローブを体に巻いて、ドライヤーで髪を乾かし始めた。


 慌てて、俺もバスタオルで全身を包んで、手持ちのタオルで髪をわしゃわしゃと拭いた。


「俺、ずっと恥ずかしかったんですけど……リリアさんが、あまりにも無防備だから」

「ん?何て言ってるのか聞こえなーい」

「も、もう嫌だ……」


 ドライヤーが送風する「ゴー」という音が響き渡る脱衣所。しかし、リリアの意地悪ぶった返答は、明らかに、俺の声が聞こえているこたえ方だった。


 バスタオルに体を包みながら、パンツを履いて、下着を着て、ジャージの上下を着て……俺は、リリアより一足先に、リビングへと戻った。



 あの人……人との距離感が、やっぱりおかしいなと思いながら、冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注いだ。


「リリアの初恋が俺で、良かったのかもな……」


 俺でなければ、間違いなく、襲われていたなと、リリアの細く白い裸体を思い出しながら、キンキンに冷えた麦茶を勢いよく飲み干した。

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