第4話 恋愛欠乏症候群

【10月19日(土):死まで、あと424日】


 きたる週末の土曜日。俺もリリアも、講義を履修していないし、バイトもやっていないから一日中フリーだ。


 約束の通り、大学の最寄りの駅前のサイゼリヤで待っていた。待ち合わせは12時だが、その30分前の11時30分には、到着しておいた。


「おまたせ~」


「あ、来た」


 リリアは、約束の時間よりも早く、姿を現した。いつもと同じ、黒マスクに黒パーカーを身に着け、灰色のスカートと黒のソックスを履いて、黒の小カバンを持った、黒の厚底ブーツの地雷ファッションスタイル。


……そして、腕を寄せて、豊かな胸を強調してくる。


 かわいい仕草ではあるのだが、目のやり場に困るからやめてくれ……なんて、直接は言えない。


 彼女は、マスクの下で、頬を緩ませて、笑っていた。それに、大学にいるときの彼女と比べて、声も高いような気がする。


「わ、笑ってる!?」


 リリアの笑みを初めて見て、びっくり仰天。大学にいるときの彼女と、今の彼女とのギャップが顕著で、別人にも見えてしまった。


「私も人間なんだから、当たり前に笑うよ」

「そ、そうだよな」


 俺は、自らの手首を撫でながら、照れ隠しに奔走する。同級生の女性と二人きりという状況が、この20年の人生において初めてで、心臓が張り裂けそうなぐらい激しく鼓動を奏でている。


「ず、ずいぶん早くに到着したね。もっとゆっくり来てもらってもよかったのに」


「愛しのミナトくんを待たせるわけにはいかないからね」


「あ……気を遣ってくれてありがとう。俺も、人との待ち合わせのときは、早め早めに到着できるように心がけてるよ」


 どうして、彼女は俺のことを「愛しの湊くん」と呼んで愛しているのかは未だに分からないが、とりあえず、サイゼリヤでの食事を楽しむことにした。


「さてさて、何食べたい~?今日は、私が奢ってあげるから、好きなだけ食べてね」


「お、奢ってくれるの……?さすがに申し訳ない気が……」


「いいんだよ。その代わり、次、奢ってくれればいいから」


「分かった。次、来るときは、俺が奢る、な」


 リリアに腕をぎゅっと抱かれながら、入店しようとした。



 うおおおおおお、これが、恋人同士の手つなぎか。滅茶苦茶恥ずかしいな!?周囲を行き交う人々の目線が棘のように突き刺さって、とても気まずい。


「抱きつかないでくれ。恥ずかしいから」


「いいじゃん。私からの、愛情表現だよ」


「それが恥ずかしいって言ってんの!」


「他人って、思ったより私たちのこと見てないから、大丈夫。恥ずかしくないよ」


「はぁ……」


 人とこんなに親しい距離になれることは、嬉しいことに変わりない。


 だが、俺とリリアは、知り合ってまだ一週間も経っていない。こんなに距離の詰め方が大胆な女子、見たことない。女性って、こういう生き物なのかな?いや、そんなわけないよな……?リリアがちょっと特別なんだよな。


 彼女に腕を抱かれたまま、入店。「二名様ご案内いたします」と、店員に導かれて、窓辺の席に着席した。外には、駅を行き交う人々の波と、東京中央市の煌びやかな都会風景が広がっている。


 リリアは、俺の向かいの席に座って、注文用のタブレット端末を手に取った。


「何食べようかな~湊くんは、なに食べる?」


「うーん、俺も迷ってるとこ」


「ね。私も迷ってる。こんなにたくさん、美味しそうなもの並べられたら、迷っちゃうよね」


 マルゲリータピザ、海老タラコクリームグラタン、カルボナーラ、ミラノ風ドリアなどなど、見せてもらったタブレットのメニュー表には、魅力的な料理がずらりと並んでいる。


 普段、外食をあまりしない俺にとって、それらは輝いて美しく映った。おいしそう。


「じゃあ、海老タラコクリームグラタンと、ほうれん草のソテー、あと、オニオンスープで」


「私は、カルボナーラ食べようかな」


「ドリンクは、俺が持ってくるよ。何がいい?」


「コーラで」


「りょーかい。持ってくるわ」


「さんきゅ」


 注文を完了したリリア。


 俺は、彼女の分のドリンクを持ってくるために、ドリンクバーの列に並んだ。彼女の要望の通り、コーラを並々とグラスに注ぎ、自分の分のグラスには、レモネードを注いだ。


 席に戻り、グラスを手渡す。


 コーラの注がれたグラスを受け取ったリリアは、ニコっと、笑みを見せてくれた。


「ありがと」


「は、はい」


 絶対に、声に出して伝えることはできないのだが……かわいい。めっちゃタイプだ!とくに、ときどき見せてくれる、目を細める艶やかな笑みが、俺の胸をズキューンと貫いてくる。



――そして、胸元のふくらみが良き。


 ものすごく、耳が熱くなっていた。気を紛らわせるために、レモネードを口に含んだ。酸っぱくて、熱が籠った頭をすっきりさせてくれる。


「ふふ、みなとくんの気が利くところ、好きだよ」


「あ、ありがとう……」



 めまいがするぐらい、彼女の褒め言葉に酔ってしまって、首元まで溶岩をかけられたように熱くなった。


「女の子に免疫ないのね。ずっと恥ずかしがってるの、バレバレだよ。首まわり真っ赤だもん」


 リリアに指摘された「女の子に免疫ない」のは、事実。



 これまでの人生で彼女ができたことがなかったし、そもそも、女子とロクに話したことがなかった。そりゃ、こんなに可愛らしい女の子に突然「好きだよ」なんて言われてしまったら、首や耳の一つや二つ、赤くなる。


「いやぁ?そんなことないと思うけどなぁ」


 語尾の緩んだ取り繕いは、リリアの鋭い視線で崩壊させられてしまった。


「あからさま過ぎ。照れ隠しド下手か」


「いやぁ……へへへ」


 涼しく、心地よい室温のはずなのに、背中に汗がじんわりと湧いてきた。


 ちなみに、耳が赤くなるのは、幼い頃からの現象だ。クラスのみんなの前で発表するときなんかは、クラスの陽キャから真っ赤になっていると、からかう口調で言われたことがあった。


「その反応を見る感じ、彼女できたことないんだ~?」


「まあ、うん……恋愛ゲームみたいに上手くいくとは限らないし、気を遣って話すの疲れるし、そんな苦労するぐらいだったら、ゲームとか本読んでたほうが楽だし」


「イマドキの考え方だね。でも、本音は、私みたいなかわいい女の子と付き合いたいんだよね?」


 少女然として首を傾げたリリア。自分のことをかわいいと自負して、それを公言するのは「イタい」気がするが、実際、話し方もルックスもかわいいから、否定できない。


「あー……うん」


「ほら、当たった。私の眼は、誤魔化せないよ」


 迫られると、本音を我慢できなくなるのも、俺の悪癖だ。


 頭も、耳も、首元も、全部が紅潮して、熱かった。表向きは、すました顔をして取り繕っているが、リリアという一女性と、こんなにも親密な会話をしていると、とにかく小恥ずかしくて、緊張の糸がずっと、ピンと張っている。


 大学のグループワークで、真面目な意見を交換しているときは、特段、緊張はしないのに、今日、この場では、頭が酔っているような感覚に囚われていた。


「そうかそうか。でもね、私も湊くんと同じなの」


「……というと?」


「人付き合い面倒で、彼氏いない歴イコール年齢ってやつ。男の子と友達以上の関係になれた経験ナッシング」


「でも、俺のことを【大切なパートナー】にするとか言ってるし、実際に今、デートみたいなことしてるけど……」


「湊くんは、私の特別だから。めんどくさいって思わないし、むしろ、色んなお話できるの、楽しいよ」


「ほんとに?俺、人生経験も乏しいから、大した話できないよ」


「ビジネスの会話じゃないんだから、もっと肩の力抜いて話していいんだよ。その時に話したい事、その時に感じたことを素直に話してくれるだけで、私は楽しいから」


 そのとき、ちょうど料理が運ばれてきた。



 店員によって、海老タラコクリームグラタンと、ほうれん草のソテー、オニオンスープとカルボナーラが、それぞれ俺とリリアの目の前に届けられた。特に、カルボナーラのクリーミーな香りが鼻腔を突いた。


 腹の虫がぐうと鳴いた。


 俺は、ここでも気を利かせて、リリアの分のスプーンを手渡すと、彼女は、一生分の笑顔を贈るように「ありがとう」と言った。



……やばい、本当に好きになってしまいそう。


「ん。おいしい」


「こんな豪華なごはん、久しぶりだな」


 絶品を嗜みながら、この後の予定のことを話し合った。


「この次は、どこ行く?カラオケ?それとも、映画?」


「俺は、映画行きたいな」


「おっけー。カラオケは、時間に余裕がありそうだったら行くで、どう?」


「分かった」


「その後は、私の家来てね」


「だから、家はいくら何でも……」


 彼女は、マンションの一室で一人暮らしをしているらしい。そんな家に、俺という一人の男がお邪魔させてもらうのは気が引けるし、あんまり良くないことであるのは、重々承知。


 ただ、一応、カバンの中にタオルや歯ブラシ、着替えのジャージなどを用意している。


 本音は、家にお邪魔させてもらいたいと叫びたがっている。


「オセロとかトランプとかあるし、今なら、新品の歯ブラシもプレゼントしちゃうよ」


「通販みたいに誘われても、家は遠慮させてもらうよ」


「本当は?」


 リリアが、テーブルを挟んで、顔をずいずいと近づけてくる。また、本音を聞き出そうとしてきたのだ。


 シャンプーかリンスの、花の香りがほのかに感じられた。その良い香りですっかり思考を侵されて、目線を窓の外に外しながら、本音を漏らした。


「……悪くないと思ってる」

「目が泳いでたから、分かりやすかったよ」


 リリアは、俺の回答を受けて、目を細めた。


「じゃあ、ウチ来てね。約束だよ」


「いや、待って、よく考えたら……」


「ダメ。私をその気にさせた責任、取ってもらうよ?」


「え、あ……」


 リリアは、悪魔を飼ったような不気味、かつ、かわいいの極地の笑みを浮かべて、俺の瞳の奥深くを覗き込んで、視線で穿うがった。


 彼女の巧みな口の調子に乗せられるままに、時間が過ぎていたから、グラタンが冷めていた。……いや、俺のガードが弱すぎるだけか、それとも、両方か。



 いずれにせよ、時すでに遅し。リリアの家にお邪魔させてもらうのを断り切れない雰囲気を築かれてしまった。

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