第5話 おひとり様最高同好会

 お昼をゆったりと食べ終えて、リリアにがっちりと腕を拘束されながら、大型ショッピングモール内にある映画館へと向かった。この人、すぐに手を繋いだり、腕に抱き着いてきたりしようとしてくる。


 2時間、たっぷりと視聴した映画は、青春ラブコメ【蜘蛛の糸をつかむ】。リリアのチョイスである。


 俺自身は、見たことも聞いたこともない映画だったが、どうやら、今年の青春恋愛映画ベスト10に入る映画だったらしい。普段、ラブコメ的なストーリーに触れていなかった俺も、十分に楽しむことができた。表向きは、甘酸っぱい恋愛ストーリー仕立てだったが、いざ、通して鑑賞すると、生き方とか、生きずらさについて深く考えさせられる内容だった。



 リリアと隣合って、ジュースとポップコーンを共有しながら見る映画は、10点満点だと、振り返る。


……上映中、リリアがずっと手を握ってきて、揉んできたのは、気になったが。


「面白かったね、ちょっと泣いたかも」


 夕日の茜に照らされたリリアの頬には、かすかに、涙が伝った跡が見えた。


「うん。面白かった」


「……ね。あたりまえの日常を大事にしようって、思った」


「主人公の二人って、この後も末永く幸せに付き合えるのかな?」


「そりゃ、あれだけの苦境を共にしたんだし、お互いを深く理解し合ってるんだから、簡単に糸は切れないと、私は思うな」


 二人で感想を共有しながら、駅へ向かっていると、ふと、思い出したことがある。



――彼女は、来年の12月17日に死ぬんだ。


 こうやって映画を見たり、何気ない会話をするのは、確かに楽しい。


 ただ、こうやって彼女と日常を共有できるのは、来年の末までであることを思い出してしまって、頭がキーンと痛くなった。


 映画の中で、主人公の男の子が心象風景の中で言っていた「日常が奪われることが恐い」という言葉が、しこりのようになって、耳の奥に残っているような気がした。


「つ、次は、カラオケだっけ?」


「うん。私の家の近くに、イイ感じのカラオケ屋さんあるんだよね。そこ行こう」


 ネガティブな考えに至りやすい俺の性格ゆえ、仕方がない部分があるのだが、今は、彼女と一緒に居られる状況を、喜んで享受しようと思った。


――できる限り、彼女を楽しませて、幸せにして送り出したい。


 あるいは、訪れる【死】の回避ができれば、万々歳だ。




――カラオケ店内――



「いらっしゃいませー」


「二名でお願いします」


「二名様ですね。ご案内いたします」


 受付の従業員に伝えて、リリアに腕を抱えられながら、室内へと入った。


 動画配信サイトや音楽サブスクで音楽を聴くことはあるのだが、カラオケに来るのは、初めてだった。


「すげー、近未来感」


「ふふっ、東京に初めて来た田舎ものみたいになこと言ってる」


「田舎ものというか、そもそも外に出かけないからな~全部が全部、目新しく見えるんだよ」


 率直な感想を述べた俺は、リリアから、吹き出して笑われた。


「何歌おうかな~ボカロがいいかな、それとも、アニソン?推しのオリ曲もいいなぁ」


 選曲のためのタブレット端末を指でスライドさせるリリアは、俺の隣に座って、べったり身を寄せてきた。


 彼女の豊かな双丘の感触が触れるぐらいの、密接だった。いや、むしろ、それを故意に押し付けている?女の子の胸って、こんなに柔らかいんだなぁ。……おい、そんなことを考えている暇があったら、歌に集中せんかい。


 自分が自分にツッコミを入れる妄想をすることで、余計なことを考えないようにしていた。


「リリアさん、流石に近いです」


「え、私と隣は嫌だ?」


「いいや、嫌じゃないんだけど……さ、あるじゃん、社会的距離っている概念が」


「親しい間柄なんだから、いいじゃん。嬉しいでしょ、かわいい女の子と隣り合って座れるのは」


「あー、うん。はい、そうですね」


 もう、リリアに色々と言うのは無駄なんだと悟って押し黙った。



 ただ、大学や、読書を通じて学んだあらゆる論理が「好き」で塗りつぶされるのは、悪くないなと思ってしまう。人は、結局、感情なのかなと思う。



 そんな、思考を放棄した俺を隣に伴って、リリアは、マイクを握った。最初に彼女が歌ったのは、彼女が推しているアイドルの曲だった。


「よく、そんな早口で歌えるね」


「まあ、高校時代は、月に3,4回、カラオケ通ってたからね。慣れだよ、慣れ」


「誰と行ってたの?」


「……」


 歌い終わって、持ち寄ったポテチを摘まんだリリアの手がピタリと止まった。お、図星か?


「一人?」


「べ、別にいいじゃん。今の時代、【ヒトカラ】なんて言葉もあるぐらいなんだから」


「いいよね、一人でできる趣味って」


「で、でしょ?一人が一番気楽な感覚、みなとくんも分かるでしょ?」


「痛いぐらい分かる」


 交代して、マイクを握った。


 俺もリリアも、アニソンやインターネット音楽、ボカロなんかをよく聴いていたから、互いの好きな趣味が共鳴して、楽しかった。


「あの……胸を押し当ててくるのは止めてね」


「ん?いいじゃん、減るもんじゃないし、おっぱい、好きでしょ」


「好きなのは否定しないけど、公共の場でするべきことじゃないのは、確かだよ」


「ふうん……私は、今ここで、湊くんのことを襲いたい気分なんだけどな~」


「それは……どういう意味?」



 とぼけた顔を作って、こみ上げる羞恥心を取り繕おうとした俺の耳元で、リリアが、甘くとろける声で囁いた。


「いい年ごろの男の子なら分かるよね……性的な意味だよ」


「……ぇ」


 背筋を震わせ、背中が冷たくなったのを自覚した。……なんてことを言うんだ、この人は。


 しかし、俺、分別がつく男である。誰かの迷惑になるならば、自らの昂る感情を制する理性を持ち合わせている。



「カラオケ屋さんは、【そういう】目的で運営してないから、ダメダメ。却下でお願いします」


「ふふ、冗談だって。私は、湊くんを試してただけだから」


「うわ、危な!引っかかるところだった」


「湊くんが、分別のある人なのかなーって、調べてみた。よかった。湊くんが、まともな人で、安心した」


 知らぬ間に、理性を試されていたらしい。彼女の狡猾こうかつさを目の当たりにして、嫌に生ぬるい汗が、背中を濡らした。この人、油断も隙も無いな。


 一片の反省の色も見せないリリアは、ニマニマと笑いながら、次の曲を選びながら、自らの高校生時代の、とあるエピソードを明かした。



「私、高校生のとき、カラオケ屋さんでアルバイトしてたんだけどね、一組だけ遭遇したことがあるんだよ……気分が盛り上がって、おっぱじめる男女とね。ラブホ行ってヤってくださいって思いながら、注意申し上げました」


「す、すごい経験してるな……」


「リア充は死ねばいいのに」


 暴言を吐き出したリリアの冷たい物言いに、すべてが詰まっているような気がした。


 リリアも、おそらく、これまでの生活に納得していなかったのだろうなと。俺と似たような【リアルが充実してない】境遇だったのかもしれないと、勝手に推察した。


 カラオケの時間は、ゆうに三時間を超えて、喉がガラガラに枯れた。



 一方、声の枯れた俺の腕を抱いてカラオケ屋を出たリリアは飄々ひょうひょうと「家来てよ」と、誘ってきた。


 外は、街灯の白い明かりが美しく映える夜を迎えていた。


 ここまできたら、断りずらいにもほどがある。

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