第3話

 その日、城内はいつもよりもざわついていた。

 早朝から兵士たちが慌ただしく駆け回り、使用人たちも何事かと顔を青ざめている。

 私は食堂にいた。いつも通り温かい朝食を用意してもらい、静かな朝を過ごしていたが……どうしても落ち着かない気配に包まれていた。


「あの、何かあったのですか?」


「……そうですな、流石に気づかれてしまいましたか。お嬢様、お伝えしなければならないことがあります」


 ガイザードが慎重な面持ちで私の前に現れた。

 その表情が普段と異なり、硬く引き締まっているのが見える。私は嫌な予感がした。


「魔物の群れが辺境伯領へと接近しています」


 その言葉を聞いた瞬間、心臓が早鐘のように鼓動を打ち始めた。


「魔物が?」と反射的に尋ねる私に、ガイザードはうなずく。


「はい、かなりの数です。それ自体は珍しい事ではありませんが、魔物が活性化するのにも時期というものがございまして……そしてそれは今の時期に起こる事ではありません。この時期にお嬢様を迎え入れたのもそういう事情があったからですが……、我々の読みが甘かったとしか言いようが無く、心よりお詫び申し上げます。ただ今、兵士たちが迎撃準備を整えています。が、もし万が一、城が危険に晒された場合に備え、お嬢様には避難をして頂きたく」


 私は息を呑んだ。目の前にある平穏な日常が、たった今崩れ去ったかのように感じられる。


「お食事が済み次第、どうか私めに着いて来て――」


 ガイザードの言葉を最後まで聞かず、私は思わず立ち上がり窓の外を見た。

 そこには慌ただしく動き回る兵士たち、そして戦闘準備を始めた騎士団の姿が見える。

 その動きの中で、私は確信していた。


「みんなが、傷つくのですね?」


「皆、覚悟の上です。この地に生きる者の宿命、とでも言いましょうか」


 私は震えながらも、強く心の中で誓った。


 私は、このまま大人しくガイザードに従おうとも思った。けれどふと目に浮かぶのは、ここで私に優しくしてくれた人々の顔だった。


 ガイザード、料理長、庭師、そして侍女たち――。


 みんなが笑顔で接してくれ、こんな私を家族の一員として迎え入れてくれた。

 その温かさに触れたことが、私にとっては何よりも貴重で――大切なものになり始めていたのだ。


「こんなところで誰かが傷つくのは……嫌っ」


 私は息を呑んだ。

 考える余裕もなく、足は自然と動き出していた。


「!? お嬢様、お待ちください!!」


 後ろからガイザードの声が追いかけてくる。だが私はその声を振り切るように、すぐに馬小屋へ向かって走り出した。


 驚く顔の使用人達を横目に外へと飛び出し、馬を見つけると、何の躊躇もなく鞍を掴んで飛び乗ってはその手綱を強く引いた。


「危険ですアンジェリカ様!」


 戦闘準備の為に開かれていた城門を潜り抜け、外に出た私はそのまま馬を走らせた。

 後ろから響くガイザード達の止めようとする声は、もう聞こえなかった。


 ただ、心の中でひとつだけ強く思っていた。


(何かしなければ……!)


 何が出来るかもわからず、しかし現状にも落ち着けず。


 馬の足音が響く中で、私はただひたすら前へと走った。

 城から少し離れると、空気が一変する。遠くの方で戦いの音が聞こえ始めた。

 不安と恐怖が私を襲う。けれど何故かそれよりも強く、守りたいという気持ちが湧き上がって仕方なかった。

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