第2話

 辺境伯の城での生活が始まった。

 朝早くから聞こえてくる兵士たちの訓練の掛け声、城の中を行き交う人々の笑顔、そして思っていた以上に平穏な日々――。


 しかし、私はなかなかどうして馴染めずにいた。

 今までとは、あまりにも周囲の人間が向けてくる視線や感情が違い過ぎるからだ。


「やっぱり、ここに来たの間違いだったのかな……?」


 屋敷の窓辺で外を眺めながら、ふとそう思う。


 城の人々は優しく接してくれるが、私はどう応えればいいのか分からなかった。

 挨拶を交わしても、ぎこちない笑顔しか返せない。


 あちらでは自然に笑う事さえ好まれず、媚びるような愛想笑いのみが許されていた。

 そんな自分がこの場に不釣り合いな存在のように感じ、胸が締め付けられる日々がただ続く。


(ここが嫌いな訳じゃないのに……)




 数日が経つ頃、初日から世話になっている執事のガイザードから声をかけられた。


「アンジェリカ様。少々お散歩なぞ、この老いぼれとお付き合いしてはくださいませんかな?」


 断る理由もなく、彼の後について城の庭へと足を運んだ。

 庭は広大で、花々が美しく手入れされていた。その間を歩きながら、彼は私に話しかけてくれる。


「辺境伯領は厳しい土地と思われがちです。確かに、そういう面がある事は否定出来ません。ですが、私たちにとってはここが故郷であり、そしてなによりの誇りなのです」


 その言葉の端々に滲む愛情が、不思議と心に響く。


 さらに、庭で作業していた庭師達が私達を見て声をかけてくれた。


「お嬢様、お花がお好きでしたら……どうでしょう? 温室にもお越しくだされば皆、喜んで歓迎致しましょう」


「ここには珍しい植物もたくさんありますから、きっと楽しんで頂けます。なんせ自信がありますのでね」


 一瞬戸惑ったが、彼らの笑顔を見て思わずと頷いてしまった。自分の意志よりも反射が顔を動かしたのだ。



 その後もガイザードの案内で外から中へと、気づくと台所の前を通っていた。

 悪戯な顔をする彼に促されるまま覗くと、料理人たちが美味しそうな料理を作っていた。


「おや? お嬢様。ふふっ、今日のスープは新鮮な野菜を使っているんですが、他にお好きなものがあれば遠慮なくお申し付けください。腕によりをかけて差し上げましょう!」


 誰もがまるで私の事を昔ながらの「家族の一員」として接してくれる。

 そう、恐らくこの扱いは「家族」なのだろう。


 そのことにどう応えていいのか分からないまま、私は黙って頷き続けるしかなかった。



 その夜、食堂での夕食は特別に賑やかだった。


 執事のガイザード、料理人たち、庭師、侍女――それぞれが笑顔で私と食卓を囲んでいる。

 貴族と食卓を共にする、私の知識には無い行動に、これもまた戸惑った。


「アンジェリカ様、これは私たちからのささやかな贈り物です」


 渡されたのは、小さなペンダント。

 それには辺境伯家の紋章が刻まれていた。


「本来なら御主人様が直接お渡しすべきものなのですが……、生憎とまだお戻りになりませんので。ある程度経っても戻らない場合として、代わりに私の方からお渡しするよう命ぜられておりました。その上に言伝の方もまた、預かっております。……『あなたはこの家の一員、我々にとって、家族は血だけではない』。当然、ここに居る皆が同じ気持ちでございます」


「そうそ! 何だって相談に乗って上げますぜ!」


「偉そうなこと言ってんじゃないの。あんただってまだ日の浅い新人でしょうが」


 温かい、本当に温かい笑い声が響く。

 みんなの言葉を聞いた時、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。


「……ありがとうございます」


 声を震わせながら礼を言う。きっと、この暖かさが思いやりというものなのだろう。

 ふと気づくと、いつかのように頬を涙が伝っていた。


「どうされました?」


 周囲の人々が心配そうに声をかけてくれる。

 私は震える声で言葉を紡いだ。


「ここに来てからずっと……こんなに、優しくされたのは、生まれて初めてですっ」


 静まり返る食堂。

 だが次の瞬間には、ガイザードが穏やかに微笑みながら言った。


「では、これからは慣れていただかないといけませんな」


 その言葉に場が和み、再び笑顔が広がる。

 貰ったペンダントを握りしめた私は胸の奥に、少しだけ暖かい灯火が灯るのを感じていた。




 その夜、与えられた自室に一人。

 ベッドの上で横になっても、胸がいっぱいで眠れなかった。

 私は、もしかしたら本当にこの地で受け入れられるのかもしれない――そんな思いが心の中を駆け巡る。


 ずっと孤独で、自分には価値がないと思い込んでいた。

 しかし、ここでは違うようだ。私は初めて、自分が誰かに必要とされているのではないか?

 そう感じずにはいられなかった。


「……みんなの為に、少しは役に立ちたい」


 ただ頷くだけを求められたあの頃とは違う。自分の意志でそうしたいと思った。

 そう呟きながら、心の中に芽生えた小さな希望を抱えて……その安心感からやっと、眠りについた。

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