家族から出来損ない扱いを受けてきた私は、溺愛される妹の身代わりとして嫁がされる。けれど歓迎されて幸せを掴みました

こまの ととと

第1話

「辺境伯様から婚約の申し入れですって?」


 母の声は驚きと共にどこか高揚感が混ざっていた。

 食卓に響くその声を聞きながら、私は食べかけのスープの中に視線を落とした。


「まぁ、素晴らしい話じゃありませんか! 我が娘、フランチェスカに目を付けるなんて、さすが聖女の力を持つ子ね!」


 当の妹――フランチェスカは、まるで当然のことのように微笑んでいる。

 彼女は私とは違って常に家族から称賛される存在だった。

 母も父も、使用人達ですら彼女にすべてを期待している。


 私と違って……。


「だが、領地の事情を考えると少々危険ではないかな?」


 父がナプキンで口元を拭きながら冷静に話を進める。


「辺境伯の領地と言えば魔物共との最前線。あそこでは命を落とす者が少なくない。それをフランチェスカに背負わせるのは、果たしてどうか……」


 父がチラリと、私に向けて視線を向けてきた。そこにある感情は手に取るようにわかる。

 その嫌らしさに、私はスープを掬っていたスプーンを再びスープの中へと落とした。


「それなら――アンジェリカが代わりに行けばいいじゃない?」


 まるで合わせたかのように、母の口から自然に出てきたその言葉。

 食堂の空気が変わった。


「……私がですか?」


 思わず……ではない。確認の為に返事だ。どうせ応えは決まっているが。

 母は眉をひそめながら返した。


「ええ、あの野蛮な土地にふさわしいのは……どうせ出来損ないのあなたの方でしょう?」


 何を当たり前な事を、とでも言いたげな態度もいつものこと。


 心の奥底で壊れる音などしない、そんなものはとっくの昔に壊れたからだ。




 婚約の申し入れが届いてから一週間後、私は家族の手によって嫁入りの準備を進められた。

 フランチェスカは、私を送る間ずっと冷ややかな目を向けていた。


「お姉様! また私のために犠牲になってくださるのね。ありがとう! 心から嬉しいわ」


 そう言いながらも、彼女の言葉には嘲笑が混ざっている。隠す気も無いのだ。

 昔から彼女は自分こそが誰より優れている、と考えている。

 実際、力を持っている。彼女からすれば出来損ないの私には何を言ってもいいのだろう。


「犠牲だなんて。これが役目なだけよ」


 たんたんとした、何の感情も籠らない言葉で返した。

 心の中はもうとっくに空っぽなのだ。




 旅立つその朝、当然のように父も母も見送りには現れない。

 私が馬車に乗り込む瞬間、使用人がそっと荷物を渡す。


「それではいってらっしゃいませ、アンジェリカお嬢様」


 突き放すようなその一言は、まるでこの家との永遠の離別を刺しているように思えた。


 馬車は音を立てて走り出し、振り返ると、実家はもう遠ざかっていた。


 ◇◇◇


 あの屋敷からこの領地まで、それは本当に長い旅だった。

 いくつもの夜と朝を迎え、ついに辺境伯の領地へとたどり着いた。


 噂では「荒れ果てた戦場」だと聞いていたが、実際に目にしたのは意外にも整備された街並みと、活気のある人々の姿だ。


「ようこそいらっしゃいました」

 

 立派な白い城壁から迎えに現れたのは執事と思わしき男性。

 私の顔を見るなり深々と頭を下げてきた。


「大変申し訳ございませんが、生憎と御主人様はお仕事でお忙しい為、しばらくお目にかかることはできません。ですが、どうぞ御自分の家だと思いおくつろぎください」


 その言葉には本当に私に対する申し訳なさが見え、思わず戸惑った。

 だが直ぐに立ち治ると、彼の後をついて城へと入る。


 その中は、意外にも煌びやか装飾の類は少ない。

 それでも、どこか温かみを感じる。


 少なくとも、あの実家には無い雰囲気を感じずにはいられない。


 使用人達が次々と現れては歓迎の言葉をかけてくれた。


「……っ」


 ふと、いつの間にか私の頬を濡らすものがあった。

 右の目から流れ出た一筋のそれを、誰かに見られる前に顔を背けながら指で拭う。


「どうされたのです?」


 残念ながら気づかれたようだ。

 心配そうに声をかけてくれる人々に、私は観念して呟いた。


「いえ……初めて、大人の人に優しくされたので。つい……」


 その一言が周囲に驚きだったのだろうか? 途端、静まり返った。


「……なんと惨いことを」


 誰かが呟いた。

 境遇が酷い事は分かる。でも、私にはそれがどの程度のものなのか分からない


 物心ついた時からあの屋敷を出るまで、置かれている状況は何一つ変わる事が無かったからだ。




 こうして私は、辺境伯領での新たな生活を始めることになった。

 自分の役割も、婚約者の顔も、まだ何一つわからない。

 けれど、少なくともこの地を訪れてからの出来事は、今日だけでも今までに無い体験で満ちていた。


 それでも、胸の奥に燻る不安は消えない。


「私は、本当に受け入れられるのだろうか……?」


 その思い、まだ消えそうにない。

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