ニュムペ




「お母さんは?」




レナトスにとって、これが一番 こたえた。


あれから、逃げるように飛び込んだ食堂で、店の女将おかみが自分を見るなり、まっ先に言ったのが先ほどの言葉である。


「…えっと、ね。さすがに子供じゃないだろうしねぇ、その…保護者・・・というか……妻と一緒じゃないのかしら?」


女将も、はじめての事なのか、戸惑いを隠せない。彼を気遣づかいながらも、困り顔である。


彼は彼とて、心中しんちゅうおだやかでは無かった。


自分は、そんなに幼く見えるのだろうか?これでも二十三なのだが。


背後から、また人々の視線を感じる。




はじめのころは、上手うまく行った。


彼が、入国の時、王国のしるしの付いた身分証を見せると、決まって相手の態度が変わり、よい待遇で迎え入れられ、その後の旅も順調に進むのだった。


いつも彼は、そうして旅を満喫して来た。



そして、それは、このアマゾーン国でも、例外ではなかった。



(また、身分証を使えばいい)



なぜ、今まで思いつかなかったろう。


レナトスは、そんな自分をしく思って、少し笑ってから、かたカバンに手を入れて身分証をさぐった。



「おばちゃん、煮込み二つ!」



レナトスのすぐ隣で、料理を注文する威勢のいい声が響いた。レナトスが声のした方を向くと、見かけは十五、六くらいの少女がこちらを見て、なぜがニンマリ笑っている。



「この人さ、私の新しいツレ・・だから」



少女は、レナトスを指差しながら、女将に向かって、得意げに胸を張る。



「…!?私はお前なんて知らな」


「じゃ、そーゆーことで、二人ふたりせき頼むわ」


「あんた!また男を連れ込んだのかい!?」



店の客席から、ざわめきが聞こえる。


街を行き交う人々の中にも、振り返る者や、立ち止まる者、こちらの様子を見ながら、小声で何やら言い合う者たちがあらわれ、徐々じょじよに増えはじめた。



「もう、本当にあんたって、しょうがないむすめだね!」


「んじゃ、ぶどう酒ワインも追加でね~」



レナトスの声は、どこ吹く風。すべての物事が、彼の意思とは関係なく、動いていく。



「カウンターじゃ目立つだろ?奥の席の方がいいと思ってさ」



おいでよ!



少女の呼びかけに、レナトスは従うしかなかった。





「私は、ニュムペ。この街で飛脚ひきゃくをしているんだ、足の速さが取り柄でね」



店の奥にある席は、とても静かで、外の騒がしい声も、ここまでは届かないようだった。



「荷物を届けた帰りにさ、見かけたんだ。あなたが困ってる所」



注文したワインが届くと、彼女は、二つのカップにそれぞれ注いで、ひとつをレナトスに差し出した。



「ここでごすなら、一人ひとりでいない方がいいよ。これからも、よろしくね」



そう言って、ニュムペは、子供らしく笑った。




「建築……女の子が?」


「そう、ここじゃ当たり前だよ」



肉の煮込みを食べながら、ニュムペは答える。


「ここじゃ、道路や建物を造ることや、船で魚を捕ったり、街であきないをするのも、全部、女がやる。なんせ男はめったに生まれてこないし、育つのも大変だからね。危険なことや、シンドイことは、させられないのさ」


美味いだろ、それ。と言って、ニュムペは、煮込み肉から骨を外して、ずいすすった。


レナトスが、肉を口にすると、慣れないけものくささを感じたが、申し訳程度に使われた香草ハーブの香りが、それをやわらげ、慣れる頃には、彼はこの、今まで食べたことがない、独特な味と歯ごたえを、美味しく感じるようになった。



レナトスは、彼女から聞かされる文化の違いに、新鮮な驚きを感じながら、自身の数奇な運命にも、しみじみ感じ入るのだった。



つね順風じゅんぷう満帆まんぱんで、恐れ知らずだった旅人が、おのれの無知を知り、神々のみちびきか、一度は挫折しかけたこの場所で、年端としはも行かない少女と、こうして飲食を共にしている。



「しかし、君のような少女から、ご馳走ちそうになる訳にはいかない。君には感謝している。お金は私が」「アマゾーンの流儀だからさ。それに、男に食べさせてもらうほど、子供じゃない。私は、十六歳だ」



他の客席からは、時折ときおり、食器の当たる音やカップをテーブルに置く音が小さく響くばかりで、皆、静かに食事している。




「それでさー、レンガを運んだり、地面を掘ったり、木材を切ったりね。手紙や荷物を届ける他にも、働かなきゃ。なんせ私は…ムフフ」


ニュムペは、時々、何かを思い出したように笑いながら、楽しげに話す。



「いや~、一人前は、つらいな~って」



どこがだ!



周りの客が、皆、一斉いっせいに振り返り、厳しい目線を送る。文句を言う者もいた。



「一人前になるにはな…男がいなきゃ…」



ニュムペは、ワインの酔いが回ったのか、言葉がおぼつかなくなっている。


レナトスは、酒は強い方だったが、ここのワインの独特の風味と酔い心地に、ここが故郷であったなら、存分に酔えるのに。と、惜しみながら、水を貰おうと給仕を呼んだ。


しかし、やって来たのが、背が高くガタイのよい女だったので、ますます現実に打ちのめされた。



「レナトス…ウチにおいでよ」



ニュムペが、トロンとした目でレナトスを誘う。



「きっ、君のような少女の家に、泊まるわけにはいかない。だって、家族はいないんだろう?」


「だから…子供扱いするなって。会わせたい人がいるんだからさ…」


「宿なら、自分でなんとかする。ありがとう、ニュムペ。楽しい時間だった。私はこれで」


がいるんだ。お前みたいな、美男びなんの」


「ええっ!」



レナトスの酔いは、一気に覚めてしまった。









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