第2話 ベンチにいたのは
それは、雨の降る日のことだった。兄がいなくなって数日が経過し、二人で暮らしていた時も広く感じていた自宅は一人暮らしになるとよりいっそう茫洋感が増す。
ここにいるのは、一人だけなんだと改めて実感すると共に家事も当然ながら一切合切自分でしなければならないので身が引き締まる思いだ。自堕落な生活を送って仕舞えばきっと兄に笑われてしまうだろう。それだけは阻止せねばと勤勉に買い物を済ませて帰宅する道中のことだった。
パラパラと雨が降り頻るなか、傘も刺さずに公園のベンチで体育座りをして丸くなっている少女を見かけた。
あれは……たしか……
見覚えがあった。
というか、俺はあの人を知っている。
「こんなところでなにしてんの……?」
少女の正体は矢出玲良だった。
近付いて、さしていた傘を彼女の頭上にもっていく。あまり大きい傘ではないため俺の肩に雨粒が当たった。
「なにって……?どこで死のうか考えてたの」
ふと見上げた彼女の瞳が俺の瞳に映り込む。
うっすらと茶色が混じったその艶やかなセミロングの髪は雨で滴り、身に纏っている服も濡れてうっすら透けている。濡れ具合からして滞在時間は1時間やそこらではないようだった。
「死ぬって…本気……?」
漆黒に包まれた彼女の瞳を捉えて俺は尋ねた。
すると、彼女は視線を逸らすことなくゆっくりと頷く。
「うん…本気。だって、もう私の居場所ないし」
居場所。
それは、兄である理人の隣を指すのだろうか。
あの日以来、二人が会っているのを見たことがない。
喧嘩別れ。そう思いたくないが、現実は俺が思っているより残酷なようだ。
「取り敢えず、こんなところに居てもあれだし、一度うち来る?」
雨の日にこんな所に長時間いては風邪をひいてしまう。いくら春が近づいているからといってまだまだ肌寒い。何処で死のうかなんて玲良は悠長なことを言っていたがこのまま放置したらじきに死にそうなためここは無理矢理にでも連れ帰りたい。
「やだ。ここから動きたくない」
俺の申し出を断固拒否するように、玲良は再び蹲る。
どうしよう…このままだと俺も寒いし、かと言ってこの人を放置しておくわけにもいかないし。どうしようかと悩んでいると蹲ったままの玲良が「はやくどっか行ってよ」とポツリと漏らす。
悲痛な心の叫び。だけど、それを許すわけにはいかないんだ。
どさっ。
「な、なにしてんの…?」
買い物袋を置いた音に反応して玲良が少しだけ顔を上げた。そして、俺の方を怪訝な視線で見つめる。
「なにって、俺もここに座って考え事をすることにしたんだ。『どうやったら、玲良を連れて帰れるか』ってね」
「なんで、そんなバカなことしてんの……?そのまま座ったら濡れちゃうでしょ」
「ああ……それな。ぐちゃぐちゃでめちゃくちゃ気持ち悪い」
実際、そのまま座ったのは悪手だった。後悔してるが後の祭りである。
「そんなことやめなって…」
「残念ながら、まだ名案が思いつかないんだよ」
心配して慮ってくれる玲良には悪いが、俺だってプライドがある。
「風邪ひくよ」
「かもな。こう見えて俺、わりと風邪ひきやすいし」
「じゃあ、やめなよ」
「う〜ん。まだ連れ出す策を思いつかないから」
「まだそんなこと言ってる…最悪、低体温症で死んじゃうかもよ?」
「そっか。でも、俺がここで死のうと玲良には関係ないでしょ?」
「そ、そんなことない。目の前に死のうとしてる人がいるのにそのままにしてなんかおけない」
「その言葉そっくり、そのまま返すよ」
「あっ…」
「俺がいま、玲良に思ってることも同じだよ」
「………」
「とりあえず、話だけでも聞かせて。双子の弟のくせに俺、お前たちがこうなった経緯が全くわからないんだ」
例え、家族だったとしてもプライバシーがあるから、これまでは変に詮索はして来なかった。だけど、目の前に死を願うほど辛い思いをしている子がいるのなら。ちょっとぐらい、踏み込んでもいい。そう思えた。
「…来てくれるよね」
「うん…」
手を差し出すとよろよろとそれでも着実に手は伸びてきた。指の先まで冷え切ったその手をしっかりと握りしめて立ち上がらせる。
そして、そのまま歩き出した。
「ちょ、ちょっと……手…」
あわあわと少し戸惑った様子で玲良が言ってくる。
立ち上がらせるためだけに差し伸べた手だと思っていたのだろう。
だが、それは間違いだ。
「俺も玲良も冷えてるからな。残念だけど、ウチまで我慢して」
心変わりして逃げ出さないようにしっかりと握る。
買い物帰りの雨の公園。俺は兄の元カノを拾った。
――――――――――
明日からは前作と同じで22:35となります。
よろしくお願いします。
兄の元カノだった矢出さん、まだ俺に依存中。 鮎瀬 @ayuse7777
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