第2話 史上最弱の遺伝子保持者
車道を走る車が光の尾を幾つも引き流れていく。体に纏わり付くシャツが汗と熱で気持ち悪い。何が悲しくてこんな蒸し暑い夜中に走り回らなければいけないのだ。
「そこまで怒る必要あるか!」
理不尽とまではいかない。
だが執拗に三十分以上も追い掛け回される理由が皆目見当付かない。
自分はただ道端で座り込んでいる女の子に事情を聞き、然るべき対応を取ったはずだった。
「だから言ったじゃん、迅葉ちゃーん? あれは止めときなって」
迅葉カイムと同じポーズで併走するノリの軽いツンツン頭のヘッドホン男は、ニタニタ笑いながら次の角を曲がる。
「ジャック! 元はと言えばてめぇが足出すからだろうが!」
「わざとじゃにゃーいっす」
ジャックと呼ばれた男は反省の色も見せず意気揚々と走る。この余裕を持った走りはあいつ等にとって火に油を注ぐようなものだろう。
舐めすぎている。
「迅葉ちゃんに手を出そうとしたのが悪い」
「お前の足が早すぎるんだよ!」
事の発端はこうだ。
迅葉カイムとジャック=フレミングは今日も今日とて、ゲームセンターという人類が開発した日常退屈殺しの施設にて惰性的な時間を過ごしていた。
勿論こんな所での喧嘩なんてのは日常茶飯事だ。
だが人は誰しもトラブルを避けたい生き物なのだから、漫画のように突然台の前で殴り合いになる事はまず無い。
だから今日もどこかでトラブルは起きているだろうがカイム達には関係なく、非日常に巻き込まれずに帰宅の道を辿った――最中に、路上で座り込む二人の女子がいた。
私服姿から学生で無い事は分かる。姿形はほんの少しばかり大人っぽいところを見ると二十歳前くらいだろう。
二人の前には人力二輪車、つまり自転車が二台置いてあった。
ここがカイムとジャックの運命の分かれ道だったのだと思う。
自転車の前でしゃがみ込んでいるのだからパンクかチェーンでも外れたのかと考えたカイムは、逡巡の後、歩みを進めた。話しかける言葉はこうだ。
『どうかしましたか、お二人さん?』
少し爽やかめに、だが怪しくない程度に、それがコツだ。
しかしジャックはそんなカイムを制した。
まあ案の定チェーンが二台とも外れていたわけで、カイムは手を真っ黒にして両方を直したのだが、ジャックの言葉を聞かなかった事がここで裏目に出た。
こんがりと肌の焼けた四人組のお兄さんたちが、二人の背中に立っていたのだ。どうやらナンパか何かに勘違いされたらしい。
分かりやすく言えば『俺の女に手を出すなYO! メーン』だ。
カイムはとっさに現状を把握、理解し苦笑いの後、その場を下がったのだが、ちょっと友好的に駆け寄ってきたお兄さんが不味かった。
転んだのだ。
物の見事に顔面から。
コンクリートへ。
華麗なダイブ。別名『羞恥の人生ダイブ』とも言える。
後日のカイム曰く、『あの時のジャックの顔、狙いやがった』と語る。
その後は誰もがご想像するように、可愛い彼女の前で醜態を晒されたお兄さんとその仲間達は報復をするのか憂さを晴らしたいのか、軟弱な学生二人を夜中に追いまわすわけで。
そんなに走りたいなら女のケツでも追ってくれた方がまだマシだとカイムは思うが、小麦色のお兄さんはカイムの胸中など知るよしもない。
「あらほらさっさー!」
路上に静かに佇んでいる真っ青な物体をジャックは蹴り上げて地面にばら撒く。
中からは鼻につく生臭い匂いが飛び立ち、果物の皮とも知れない何かが地面に広がっていく。
「いやっはー! ストラーッイク!」
「後で殴られんぞ」
「逃げちまえばこっちのものでござる」
「ちげーよ、あいつらに」
ゴミ箱の持ち主じゃなく追ってくるお兄さんの方だ。
その顔は鬼気迫るものがあり、今では何が問題だったのか理解できない様だ。
カイム達を八つ裂きにする結論だけは変わらないだろうが。
「迅葉ちゃん、一つ伝えたい事があるでござる」
「なんだ、申してみよ」
「拙者、ジャック=フレミングは迅葉カイムを裏切らない! これ、自分ルールだから宜しく」
「ほお……またいつものか」
ジャックは何かあるとすぐに自分ルールを持ち出す。
忍者たるもの常に己を縛らなくてはいけないと心に刻んでいる男なのだから当然と言えば当然かもしれない。
ちなみにカイムからこの男が忍者に見えた事は一度もない。
ただの忍者マニアなのだから、当たり前なのだが。
「で、提案なんですにゃー……あと宜しく! にんっ!」
ドロンッと姿を消すが宜しく、ジャックは人差し指を立ててあたかも忍者のように猛スピードで走り去る。そしてニュースの流れる電光掲示板の脇を走り抜け小道へと消えた。
「なにが『にん』っだ! おい、ジャック!」
カイムは自然と流れる電光掲示板を目で追う。上から下へと流れる文字は第八地区での交通事故を告げている。食品を積んだ大型のバスが横転、炎上、爆破したらしい。
(ったく、むしろ俺が丸焦げにされかねない!)
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