第3話 特訓と前世
「れ、蓮也くん!! お、おはよう!!」
………………………………???
午前7時。黒波さんの声で目を覚ました。
……え? は? え? ん?
いやいやいやいやいや、え???
ここは……俺の自室だぞ???
母さんはいつも通りホスト遊びに出かけて帰宅の形跡はない。つまり、この家には俺一人しかいないはずだ。昨日、初日の修行のキツさに夜の19時には寝落ちしてしまった俺が、目を覚ます理由など他にない。だからこそ、目の前に黒波さんがいることが理解できなかった。
彼女は俺のベッドのそばに立ち、満面の笑みを浮かべていた。その満悦な笑顔が、妙に不気味で得体の知れない恐怖を煽ってくる。
「えっと……。そ、その……ど、どうして、ここに……?」
「ま、窓が開いてたからね!! だ、ダメだよ、ぶ、不用心だよ!!」
……いやいや、それはおかしい。
俺は昨晩、扉も窓も施錠したはずだ。俺が住んでいるのはボロアパートだが、それでも治安を軽視するつもりはない。最近では闇バイトや犯罪が増加していることもあり、寝る前には必ず施錠する習慣が身についている。それに、窓が開いていたなら寒さで目が覚めていたはずだ。彼女の発言が嘘であることは明白だった。
だが……ここで問い詰めるべきだろうか。
いや、やめておこう。何か恐ろしい真実を知ることになる気がしてならない。本能が『深追いするな』と警鐘を鳴らしている。彼女のニコニコとした表情が、妙に不気味で、不安を掻き立てる。これは……聞かない方が良さそうだ。
「そ、そうだ! お、お礼にご飯を作ってるよ!! きょ、今日も修行だから、た、たくさん栄養付けないとね!!」
「……お礼?」
彼女が言う『お礼』が何を指しているのか、今ひとつ分からなかった。決闘の件とは違うようだが、詳細を尋ねる気力は湧かなかった。
彼女は大きな尻を揺らしながらリビングへ向かっていく。その後ろ姿を見送りつつ、俺は情けなくもノコノコと彼女の後についていくこ。だが、なぜだろうか。肌がべたつくような感覚と、少し甘い匂いがする。……いや、考えるのはやめよう。
「さ、さぁ、た、たくさん食べて!!」
リビングのテーブルに並んでいたのは、驚愕するほどの朝食だった。キングサイズの牛丼が6杯に、焼き魚が10尾、そして山盛りのポテトサラダ……。見ただけで胃もたれを起こしそうな、まさに圧巻の量が広がっていた。
「……え、多すぎない?」
思わず呟く俺に、彼女は驚愕の表情を浮かべた。
「え、す、少ないの間違いじゃないの?」
「いやいや、これが……少ない?」
「う、うん。い、一応蓮也くんに合わせて少なめにしたんだけど……そ、そっか……これでも多いんだね」
「う、うん。……もしかして、普段はもっと食べるの?」
「さ、3倍は食べるよ。……これからのことも考えて、もっと少なくしないといけないね。これからの……えへへ……」
なるほど、彼女の体型の秘密が少しだけ分かった気がした。そして……また何か小声で呟いたが、それは聞き取れなかった。
「そ、それじゃあ、た、食べれる分だけ食べてね」
「う、うん。いただきます……」
「い、いただきます!!」
結局、俺は魚を1尾と少しのポテトサラダだけを食べて朝食を終えた。ちなみに黒波さんは5分もしないうちに全てを平らげ、その後カバンからサッカーボール大のおにぎりを5つ取り出して食べ始めた。
「……いやいや、食べすぎだろ」
呆然とその光景を見つめる俺。朝から胃も精神も疲れる日になりそうだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ぜぇ……ぜぇ……」
放課後、俺たちは第4校庭に集まって特訓をしていた。第1〜第3校庭は整備され、授業や部活動に使われているが、この第4校庭だけは完全に放置されていた。地面はボコボコで雑草が生い茂り、環境としては最悪だ。だが、俺たちFクラスにはこの校庭以外の使用許可は降りていない。仕方なく、この荒れ果てた校庭を使うしかなかった。
そんな最悪の環境で、俺はつい先ほどランニングを終えたばかりだ。地面がデコボコしていて走りにくいのもあるが、それ以上に俺の体力がなさすぎて2km走っただけで心臓が爆発しそうだ。他のみんなはというと、10kmを軽々と走り切って涼しい顔をしている。自分のスタミナのなさが情けなくて、恥ずかしくなるばかりだ。ちなみに、彼らにとってこのランニングは軽いウォーミングアップらしい。だが、俺にとってはこれが全力の運動だ。
「れ、蓮也くん……だ、大丈夫?」
俺と一緒に走ってくれていた黒波さんが心配そうに声をかけてくる。彼女は俺とは対照的に、まったく疲れた様子を見せていなかった。俺よりも遥かに大柄で体重も重いはずなのに、軽やかに駆けていたのだ。
ランニング中の彼女の様子は、脳裏に焼きついている。嫌でも目に入ってくる彼女の大きな胸が、バルンバルンと揺れていたから。走るたびに胸が大きく揺れる様子が視界に入り、イケない感情を抱いてしまったことを否定はしない。……だが、それも最初だけだ。ランニングがキツすぎて、色欲なんてすぐに霧散してしまった。
しかし……どうしてだろう。彼女の顔が妙に赤い気がする。疲労で顔を赤くしているわけではなさそうだ。むしろ、息もほとんど乱れていないし、汗も俺ほどかいていない。彼女は息を荒くして鼻を大きく開き、どこか異様な表情をしている。その瞳はギラギラと輝き、明らかに俺をじっと見つめている。
……まるで肉食獣に狙われているかのような感覚だ。彼女のその視線に、恐怖と居心地の悪さを覚える。俺に何か言いたいことでもあるのだろうか。あるいは、俺が見てはいけないものを見てしまったのか?
「う、うん。だ、大丈夫……。そ、それよりスゴいね。く、黒波さんは全然疲れてないの? ぜぇ……ぜぇ……」
「わ、私、き、筋密度が常人の896倍あるの。そ、それに比例するみたいに、ぞ、臓器とか骨とも強靭だから、た、体力と膂力だけは自信があるんだ」
「は、え? 896倍?」
「う、うん。は、896倍。……こ、こんなパワー女は、い、嫌?」
「そんなことないけど……。そっか……」
896倍──と、言われても全然ピンとこない。
つまり、めちゃくちゃ強いということなのか? まぁ、それはそうなのだろうな。
それにしても、頭の中で軽く計算してみたが、どう考えても彼女の体重は30トンを超えることになる。自動車20台分と同じ重さと考えると、さらに理解が追いつかなくなる。普通なら教室やアパートの床が抜けてもおかしくないはずだが、そうならないのはきっと《浮遊》の魔法が付与された魔道具でも所持しているからだろう。何にせよ、規格外なことに変わりはない。
それに筋密度が896倍ということは、筋力だけではなく代謝も常人の域を超えているのだろう。だからこそ、あのべらぼうな量の食事が必要になるわけだ。今朝のような山盛りの朝食も納得できる。もっとも、多少過剰に摂取している気配もあるが……白い体操服から少しはみ出した柔らかそうな腹肉が、それを物語っている。
「もう情けないわねぇ!」
「そうだぜ。この程度でバテてるようじゃ、杉本に勝つなんて夢のまた夢だぜ!」
鋭い声が飛び込んできた。赤髪ツインテールの女性、
「運動不足ってレベルじゃねぇな、お前。そんなんで本当に決闘なんてできるのか?」
「……っ……」
言い返す言葉が見つからない。俺は視線を地面に落とし、拳をぎゅっと握りしめた。
15年間、マトモに運動なんてしたことがない。勉強という言い訳を盾に、身体を鍛える努力を避け続けてきた。それが今になって、この形で牙をむいている。俺がこの状況で決闘を申し出たこと自体、滑稽だったのかもしれない。
「れ、蓮也くん……そ、そんなことないよ!」
黒波さんが慌てて俺の隣に駆け寄り、大きな手をぎゅっと握ってくれた。その眼差しは真剣で、どこか必死さすら感じさせる。
「れ、蓮也くんは、す、スゴいよ! 今まで運動してなかったのに、こ、こんなに頑張ってるんだから……そ、それだけで……じゅ、十分スゴいよ! それに蓮也くんは……努力の天才なんだから!! 中学から勉強を始めて、毎日8時間以上も努力して……みんなが遊んでいる時間を我慢してたんだよね。そのおかげで、迷宮学院に合格できたんだもん。普通の人には絶対できないよ、そんな努力。それに、寝不足で身長が伸びなかったって聞いたときはびっくりしたけど……それでも諦めないで毎日牛乳を飲んでるなんて、やっぱり蓮也くんらしいよね。成果が出なくても、コツコツ続けるところが本当にスゴいよ。あとね、蓮也くんが気合いを入れる時に一瞬だけ目が鋭くなるの、私ちゃんと見てたよ。息を整える時に口元を軽く噛む癖も……そういうの、全部覚えてるの。蓮也くんがどれだけ努力してきたか、私、ずっと見てたからわかるんだ。だからこれからも、そのまま頑張る蓮也くんを応援してるよ。だって、私は──」
「わ、わかったわかった!! 悪かった!!」
「そうね!! アタシたちが悪かったわ!!」
黒波さんのトンデモない長台詞に、門倉くんと紅谷さんがほぼ同時に声を上げて止める羽目になった。
黒波さんの目はキラキラと輝き、頬は真っ赤に染まっている。けれど、その熱意が凄まじすぎて、逆にどこかホラーじみたものを感じてしまった。
「……れ、蓮也くん、ほ、本当にスゴいんだからね……?」
黒波さんは恥ずかしそうにうつむきながらも、最後にもう一度念を押してくる。その姿には何とも言えない圧があり、俺は思わず一歩後ずさった。
「いやいや、俺がすごいんじゃなくて、黒波さんがすごいよ……。そんなに俺を観察してるなんて、ある意味才能だよ……」
黒波さんはニコニコと笑っている。その笑顔が、逆にプレッシャーになってくるから不思議だ。
「……えっと、話は終わった?」
「こっちは準備オッケーだよ!!」
「いつでも戦えますよ!」
少し困惑した表情で木刀を構えるのは、
白夜は無言で、こちらに木刀を手渡してきた。その表情には、覚悟を決めろという無言の圧が込められている。俺が戦う相手である杉本元樹は、『龍雲流剣術』の初段で、近接戦闘のプロだという。だからこそ、白夜たちはこうして俺に近接戦闘の手ほどきをしてくれるわけだが……。
「行くよ──!!」
「わ、わぁ!!」
白夜が勢いよく駆け出し、木刀を振りかざす。その鋭い動きに、俺は反射的に地面を這うようにして回避するしかなかった。全身の神経を総動員しても、攻撃をかわすだけで精一杯だ。
「避けているだけじゃ、勝てないよ!!」
白夜が木刀を振りながら冷たく告げる。その言葉が胸に突き刺さるが、俺にはそれ以上の反論をする余裕もない。白夜の『煌星流闘術』は、一撃でも食らえば確実に終わる。攻撃なんて考えられるわけがない。
だが、避けているだけでは当然限界がある。ついに白夜の木刀が俺の頭に直撃する瞬間、脳裏にスローモーションのようにこれまでの人生の記憶が駆け巡った。
「あ」
3歳の時、父親に腕を折られた。
7歳の時、母さんに蹴られ、右目の視力を失った。
12歳の時、イジメられていた最中に魔力が覚醒し、ようやく静寂を得た。
1721歳の時、聖竜を倒した。
2897歳の時、大魔王を
5000歳の時、神々を
「……ん?」
理解が追いつかない。俺はこんな経験などしていないはずだ。なのに、これらの記憶はなぜか鮮明で、確信を伴って脳内に刻み込まれていく。
「……あ、痛ェ!?」
木刀が頭部に直撃し、意識が一瞬飛びかけたと同時に、すべてが明確になった。全てを理解し、全てを思い出した。どうやら俺の前世は、10億年前に生きた最強の古代魔法師だったようだ。
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