第2話「料理人という職業」





「最弱職?私の職業が?」


銀髪の老人――ギルド長のヨハンが語る言葉に、思わず聞き返してしまった。


「そうじゃ。〈料理人〉は冒険者ギルドの職業ランクで最下位なのじゃ。戦闘能力は皆無、魔力の扱いもできん。ただ食事を作るだけの、他愛もない職業として扱われておる」


異世界転移の驚きもまだ覚めやらぬ中、私は思わず苦笑してしまった。元の世界でクビになり、こちらでも最弱職。運命の皮肉としか言いようがない。それでも――。


「でも、私はこの職業に満足しています」


「なに?他の召喚者たちは皆、もっと強い職業への変更を望むのじゃが」


ヨハンの目が驚きに見開かれた。


「必要ありません。むしろ、この職業は私にぴったりです。料理こそ、私のやりたかったことなのですから」


老人の瞳が、興味深そうな光を帯びた。


「職業変更には金貨50枚ほどかかるがな。それでも変えないと?」


「はい。それより、この街で食堂は開けますか?自分の店を持つことが、私の夢だったんです」


その言葉に、ヨハンは深く頷いた。


「実はの、ちょうど良い物件があるのじゃ。場所はギルドから程近い路地裏。以前も食堂として使われていた建物で、家賃は月に銀貨3枚。相場からすれば格安じゃ」


「ただし、覚悟は必要じゃぞ」


「どういうことですか?」


「この街の冒険者たちはな、皆並外れた美食家なのじゃ。王都で修行を積んだ料理人すら、彼らの舌を満足させることができん。前の店主も、その厳しい要求に耐えられず、一ヶ月で店を畳んでしまった」


ヨハンが案内してくれた建物は、古びた二階建て。窓は埃で曇り、看板は色褪せていたが、不思議と温かみのある佇まいをしていた。


私は建物を見上げながら、笑みを浮かべた。


「この店を借りさせてください」


「むむ?冒険者たちの厳しい舌も聞いたはずじゃが、本当によいのか?」


「ええ。それどころか、むしろ楽しみです」


私は懐から一冊のノートを取り出した。異世界に転移する時も手放さなかった、大切なレシピノート。表紙には『美咲の極上レシピ集』と、丁寧な文字で記されている。


「私には、自信作がたくさんあります。どんな美食家でも、きっと唸らせてみせます」


その日の夕方。契約を済ませた店の厨房で、私は掃除を始めていた。


「なかなかの設備じゃないですか」


調理台も竈も、手入れは行き届いている。前の店主は、料理人としての誇りだけは持っていたのだろう。


壁に掛けられた調理器具を拭いていると、上の棚から一冊の本が落ちてきた。手に取ってページをめくると、見たことのない料理の数々が、丁寧な筆致で記されている。


「異世界の料理本……これは面白い」


夢中で読み進めていると、一つの記述が目に留まった。


『秘伝の薬草スープには、驚くべき効果があった。疲労が癒え、傷さえも速やかに完治する。まるで魔法のような効果だが、これはあくまでも料理の力である。ただし、薬草の配合を間違えれば、即座に猛毒と化すことを忘れてはならない』


「これは絶対に試してみたい」


台所を見回すと、基本的な調味料は残されていた。市場で薬草を買い足せば、すぐにでも作れそうだ。


「よし、明日にでも試作してみましょう」


エプロンを締め直し、私は準備にとりかかった。不思議なことに、この世界の調理器具は直感的に使いこなせた。これも〈料理人〉という職業の恩恵なのだろう。


その時、背後から鋭い視線を感じた。振り返ると、窓の外には誰もいない。だが間違いなく、誰かが私を観察していたはずだ。


「さて、明日からが本番ですね」


私は空っぽの店内に向かって、力強く宣言した。ここから、私の新しい物語が始まるのだ。

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