異世界食堂の片隅で~最弱職付与の元スーパー惣菜担当、始めました~実は、神様も通う裏メニューがあります
ソコニ
第1話「お惣菜パート、覚悟の退職」
閉店後のスーパーマーケット。従業員用ロッカールームで、私は制服をたたんでいた。
「佐伯さん、本当に申し訳ございません」
店長の白髪混じりの頭が深く下がる。慰留の言葉さえも、もう諦めたような様子だった。
「いいえ、私の方こそ迷惑をおかけしました」
淡々と返事をする声は、意外なほど落ち着いていた。そうだ、今の私には後悔などない。
一週間前の出来事が、まざまざと蘇る。
特売の唐揚げを買いに来た客が、閉店五分前に大量の追加注文を要求してきた。それも「全部、今すぐ揚げ直して」と。
「申し訳ありません。材料の仕込みが終わってしまっているので、これ以上のご提供は難しいです」
私がそう説明すると、その客は声を荒らげた。
「何言ってんの!客商売なんでしょ?客の言うことは何でも聞くのが当たり前じゃないの!」
確かに接客の基本は「お客様は神様」。でも、翌日の仕込みまで終えた材料を全て使い切ってしまえば、明日の営業に支障をきたす。それに、閉店時間を過ぎれば、アルバイトの高校生たちにも迷惑がかかる。
「大変申し訳ございませんが、ご要望にお応えすることはできません」
私は毅然とした態度で答えた。この判断は間違っていない――そう確信していたから。
結果は案の定で、クレームとなって本部に上がり、今日の退職勧告につながった。
「佐伯さんは確かに仕事ができる。でも、お客様の要望を断るのは良くなかった」
店長の言葉に、私は静かに頷いた。
「分かっています。だから、この結果も受け入れます」
制服をロッカーに収め、私は背筋を伸ばした。28年の人生で、こんなにもすっきりした気持ちは初めてかもしれない。
元々、私の夢は一流ホテルで料理人として働くことだった。しかし、専門学校を中退せざるを得ない事情が発生し、その夢は諦めた。それでも料理への情熱は消えず、せめてスーパーのお惣菜パートでも、と就職したのだ。
「それじゃ、お先に失礼します」
最後の挨拶を済ませ、従業員出入り口から外に出る。秋の夕暮れ空が、妙に鮮やかだった。
「よし」
明日から職探しだ。貯金はそこそこある。今度こそ、自分の目指す料理の道を――。
その瞬間だった。
目の前の景色が、まるで水彩画が滲むように歪み始めた。
「え?何これ?」
私の体が、渦に巻き込まれるように浮き上がる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
叫び声は虚空に吸い込まれた。気がつくと、そこは見知らぬ石畳の街並み。中世ヨーロッパのような建物が立ち並び、行き交う人々は誰もが異国の衣装を身につけている。
「うそ、ここって……」
聞き慣れない言語が飛び交う中、私は確信した。これは間違いなく、異世界。それも、ファンタジーな世界そのものだと。
「おや、新しい召喚者が来たようじゃな」
振り返ると、銀髪の老人が穏やかな笑みを浮かべていた。その手には、きらきらと光る水晶のようなものが握られている。
「ようこそ、ラインハルト王国へ。さて、そなたの職業を確認させてもらおう」
水晶が淡く輝き、老人の表情が変化した。
「これは予想外。そなたの職業は〈料理人〉じゃ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心が大きく揺れた。自分の道を探そうと決意した矢先の異世界転移。そして与えられた職業が料理人?
もしかして、これは――。
私の直感は、間違っていなかった。これは私にとってまさに、新しい人生の始まりだったのだから。
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