第3話 再生の瞬間

月曜日だった。日曜日に自殺を試みた後、学校に戻る初めての日。鏡を見た。そこには、うまく死ぬことさえできなかった、空虚な自分の姿が映っていた。それでも、ここにいる自分がいて、制服の襟を整えながら、世の中に存在するという美しさを探していた。


「ハルト、ヒュウガさんが来たって、学校に一緒に行けって!」


母さんがドアの向こうから叫んだ。俺は罪悪感を感じていたが、ヒュウガは俺が死にかけていたことを心配しているようだ。まだ理解できていないけれど、何とか知りたいと思っている。ただ、学校に行くにはもう遅い時間だった。


「今行くよ!」 そう言って、髪を整えながら鏡の前で言った。


階段を下りると、ヒュウガさんが玄関で待っていて、弁当を持っていた。


「お母さんがこれを食べろって言ってた。電車の中で食べながら、私は本を読んでいるから、それをやっておけって。」


「なんでお前に命令されるんだ」冷たく返し、弁当を受け取った。


「命を一度救われたからって、もう俺に命令できると思ってんのか?」と言ってやった。


「はい。あなたが生きているのを確認したいから」ヒュウガは予想外に真剣な声で答えた。


「別にお前にそれをやられる必要はないんだよ」 俺は冷たく言った。


「お母さんに約束したからやってるだけだ」ヒュウガの言葉はさらりと重かった。


「お前に面倒を見てもらうつもりはないんだよ。母さんから何か盗んでそれを"面倒見"の代わりにしてるんだろ?」俺は答えた。


ヒュウガは少し怒った顔で俺を見つめてきた。しばらく謝ろうかとも思ったが、思い止まった。裏切られた奴に、今更謝る必要があるのか?


「ハルト、ヒュウガさんにちゃんとしなさい!」母さんの声が後ろから響き、冷たい風が背中を刺した。


結局、ヒュウガさんに謝る羽目になった。母さんは、どうやらヒュウガさんを自分の息子よりも大切に思っているらしい。


「もっと礼儀正しくしなさい」と言えば良かったのに、母さんはそれを言わなかった。そんなことを考えながら、電車の中でヒュウガの視線を感じながら弁当を食べた。


「そんなに俺を見ないで」


「見てるわけじゃない。私はお前のことを守るって、あの時湖からお前を引き上げたときに決めたことだから」ヒュウガさんは、しっかりとした言葉で答えた。


俺は何も言えず、ただ顔をそむけて、友達のことを思い出した。まあ、ニシダの友達の二人だ。


「タチバナとシセキは、私たちを見てどう思うかな。私がまた元彼のところに戻ったことで、きっと私を軽蔑するだろうな」


ヒュウガは本をぎゅっと握りしめながら、ため息をついた。


「私はお前が精神的に安定するのを待ってる。私には他人の意見なんて気にしない。お前とのことをきちんと整理したいだけだ。でも、それはタイミングが来たら話す」— ヒュウガは冷静な声で言い、俺は黙って頷いた。


その言葉に何も返せず、ただ顔をそむけた。


「ハルト、お前が橋から飛び降りたこと、本当に辛かったんだよ」ヒュウガの声は柔らかかったが、その一言一言が彼女にとって言うのが苦しいもののように感じられた。


「どういう意味だ?」俺は、窓の外を見つめていたが、ふと彼女の青い目に目を向けた。


その目には、非難の色はなく、ただ深いものがあった。僕らが別れてから、こんな目で見つめられたことはなかった。心配しているのだと気づいた。


「お前と何があっても、私はお前に死んで欲しくない。もしお前がいなかったら、私はどうすればいいか分からない」 彼女の視線は、本の中に向かっていたが、顔は見せずに避けた。


その心配の気持ちが、俺に昔のことを思い出させた。あの時のように、お互いのことを心配し、愛し合っていた時のこと。すべてはニシダが邪魔していたけれど。


「ニシダのこと、まだ引きずってるのか?」


突然、アキコが切り込んできた。彼女の言葉は正確で、まるで俺の心の中を読まれたようだった。俺はただ頷いた。「僕がどれだけニシダを想っているのか、どう言えば伝わるのか」そう思っていた。


「信じられないよ。彼が自殺したなんて。もっと早く気づいてあげられたら、僕はいい友達でいられたのに」俺は声に出すのが辛かった。


「橋から落ちたとき、私も同じ気持ちだった。もう二度とそんなことをしないでほしい。私たちが別れるかどうかは別として…ただ、あなたが死んでほしくない、もし私が一人で、友達と言える人が誰もいなかったらどうすればいいのか分からないから」 日向さんは静かに言いながら、顔を本に隠した。おそらく、その告白のせいで顔が真っ赤になっているのだろう。


「それでも裏切りは許さないからね。」


「くそっ、真剣なこと言ったのに、なんでそれを言うんだ!?本気で言ってるのか?」


そう言いながら、彼女は私を殴ろうとした。私はただ叫ぼうとしたけれど、急に米粒が喉に詰まって息ができなくなった。


「やばっ、待って、今助けるから!」


日向さんは慌てて私に近づき、背中を叩きながら、必死に助けようとしていた。その叩き方は力強くて、どこか慌てているように見えた。


「ちょっと待って、これは殺そうとしてるのか、それとも助けようとしてるのか!?」と、やっと米粒が取れたことで、ようやく息をつけた。そして日向さんを見た。彼女は顔を真っ赤にして、まるで溺れたかのように息を切らしていた。


「そんなつもりじゃない!私はあなたを守りたかっただけなんだ、信じて!」


「それを言うなら、ただ力強く殴らないでよ!認めなさい、ただ私を殴りたかっただけでしょ!」


私たちの議論はそのまま続いたはずだった。でも、突然、年配の女性が話しかけてきた。


「なんてロマンチックなのかしら、何年もこんな純粋な若い愛を見ていなかったわ。」


その年配の女性の言葉を聞いた瞬間、顔が真っ赤になり、日向さんは私の手首を取って席から引きずり出した。


「私たち、付き合ってませんから!友達でもないし、そんな人とは関わりたくないわ。私はただ、あなたのお母さんとの約束を守ってるだけだから。」と、日向さんは恥ずかしそうに言った。


「ごめんなさい、二人がこんなに親しそうだから、てっきりカップルだと思っちゃった。」と年配の女性が恥ずかしそうに言った。


日向さんの言葉に少し傷ついた。もしかして、私はまだ彼女にとって足りない存在なのだろうか?それなら、どうして私を助けてくれるのだろう?


「もういい、行こう。次の駅だから。」


急いで言いながら、私はまだバッグをしまっていた。横目で見ると、日向さんは顔を隠して赤面していた。おそらく、恥ずかしかったのだろう。


駅を出ると、私たちはしばらく無言だった。年配の女性の言葉のせいで、どこか気まずい空気が漂っていた。私は日向さんから離れようとしたが、学校に向かう階段を上る途中、日向さんが私に話しかけてきた。


「休憩時間に会おうね。もし胸の圧迫感とか、あの日医者に言ったことを感じたら、すぐ教えて。助けるから。」


「え?あの日、医者に話したこと、聞いてたの?」


先日、病院を出る前に心理学の医者が近づいてきて、自殺未遂について話を聞いてきた。正直なところ、何も言わなかった。気持ちを打ち明けたくないわけではないけど、どうしていいか分からないし、あの医者に気を許せなかった。結局、胸の圧迫感だけ話した。


「もちろん、聞いてたよ、バカ。お前の気持ちを知らなきゃ、ちゃんと守れないだろ。心配なんだよ、バカ。」


私は反論しようとしたけれど、周りの同級生たちが私たちを見ているのを感じた。みんな、何かを囁いている。耳を澄ませると、いくつかの声が聞こえた。


「週末、自殺しようとしてたんだって。」 「一人にさせたらダメだよ、助けてあげよう。」 「でも、名前も知らないし、どうしたらいいんだろう?」 「前、付き合ってた子じゃない?彼女が一緒にいるって、もしかして助けてるのかな?」 「確か、あの子、4年生の先輩と付き合ってたんじゃなかった?あの時、彼じゃ足りなかったのかな。」 「もしかして、元彼にアピールするために橋から飛び降りたんじゃない?」 「いや、マジで、死ねなかったなんてどんだけ無能なんだよ。」


その言葉が私の胸に突き刺さり、思わず胸を押さえてその圧迫感を感じた。あの空虚感がまた戻ってきた。


「ハルト、そんなの気にしなくていいよ。クラスメートの言葉なんて、友達の言葉じゃないんだから。」


日向さんの声が、近くから聞こえた。実際には私のすぐ横にいるのに、どうしてか遠くから聞こえるように感じた。


「ごめん、日向さん。君に迷惑かけたくないし、あの噂にも巻き込んでほしくない。自分のことを考えさせてくれ。」私は深くお辞儀をして、走り出した。


「ハルト、どこ行くの!?」 日向さんの叫び声が遠くから聞こえた。私はただ走りたかった。誰とも一緒にいたくなかった、ただ、この気持ちに負けたくなかった。


走りながら、また胸の圧迫感が強くなり、息をするのも苦しくなった。私は誰にも見られたくなくて、その場を離れるために走り続けた。誰もいない場所にたどり着くと、私はその場で息を整えようとした。


「もうだめだ、もうだめだ。」


呼吸が乱れ、体が震え、心の中でただその言葉を繰り返していた。あの時、自殺を試みた日のことが蘇ってきた。


「あの時、何もかもが無駄だったのかな。」


その瞬間、背後から声が聞こえた。


「大丈夫だよ、全てうまくいく。」


振り向くと、私を抱きしめてくれる女性の姿が見えた。彼女は私の背中を優しく撫でて、私の髪をなでながら、穏やかな声で言った。


「君は一人じゃないよ、リラックスして、ここで少し休んで。」


私はただ静かにうなずきながら、その女性の優しい言葉に耳を傾けていた。まだ息が荒かった。


「水を飲んで、落ち着いて。」


「ありが…とう。」


手が震えながら水を取る私。彼女はにっこり笑って、私の目を見つめていた。


「気にしないで。私はあなたの気持ちが分かるから。名前は、早水菊恵。」


「吉田ハルト。」

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